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月刊シロロ

月刊シロロ  1月号(2018.1)

 

 

 

 

《シンリッウレシパ(祖先の暮らし)25》
  実はとってもえらい神? パナンペ・ペナンペの謎(下)

 

 文・絵:北原次郎太(北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授)

▲『パナンペとペナンペうみのカムイによばれる』(上田トシ・楠本克子・北原次郎太2010)より(部分)

 

(要約)

1.パナンペ・ペナンペといえばズッコケキャラ。特に下ネタが得意。

2.にも関わらず「人間の始祖となった」などなど、威厳ただよう話もある。

3.文化神(サマイェクルやオキクルミ)や超人的英雄と役柄を共有する、あるいは同一視されることもある。

第24回 東アジアが誇る笑い話? パナンペ・ペナンペの謎(上) 2017.12

 

はじめに

 

 パナンペ・ペナンペが登場する話は、ナンセンスな、身も蓋も無い結末のものが目立ちます。また、ペナンペが短気を起こして戸口に放尿する点など、どこか人間らしからぬ雰囲気がただようとも指摘されています。

 それなのに、そんなパナンペ・ペナンペが人間の始祖とされたり、文化の起源に結び付けられたり、はては文化神と同一とされる話まであります。いったいなぜこうした対極にあるかのような役柄が彼らに負わされているのでしょうか。今回は、そうした威厳漂うパナンペ・ペナンペ譚の例を紹介します。
 

1.人類の起源譚としてのパナンペ・ペナンペ譚

 

 まず、パナンペ・ペナンペが人類の始祖となった話の例として、沙流川流域の平取町二風谷にくらした貝澤ちきさんの伝承を見てみましょう。早稲田大学語学教育研究所のアイヌ語音声資料『二風谷の昔話と歌謡・神謡』に収録されている「民話1」を要約します。

▲同上

 パナンペとペナンペがいた。他には人間はいなかった。クマでもシカでも獲っては食べ、くらしにこまるということも無かったが、動物の頭を祭るということを知らなかったので、辺りに投げちらかしていた。

 ある日、引き寄せられるように海へ船出し、どこかの大きな山のふもとに船をよせて、のぼっていった。山頂に金の家があり、そばには大きなトドマツが2本あって、金の小鳥と銀の小鳥がとまっていた。

 家の中には神々しい老夫婦と若い女性がいた。老人は海の神で、神であるクマ・シカの祭り方を教えるために2人を呼びよせたのだった。2人がイナウや祭壇、ユクサパウンニ(シカの頭を祭る木)・カムイサパウンニ(クマの頭を祭る木)の作り方、動物の祭り方を覚え、これからは必ずこの通りに祭ると約束すると、老人は金銀の小鳥を1羽ずつくれた。

 パナンペ・ペナンペが家に戻ると、小鳥は若い女性になり、2人はその女性達をめとって幸せに暮らした。子供がたくさんできて、そこから人間の系統が広がった。これが人間の起源である。

※原文テキストと音声はこちら↓
 
早稲田大学語学研究所 アイヌ語音声資料05 二風谷の昔話と歌謡・神謡 : 民話1

 

 これは前回紹介した静内のパナウンペ・ペナウンペ譚と、似たストーリーになっています。静内バージョンでも、パナウンペ・ペナウンペは狩猟具の作り方やクマ神の祭り方を知らず、力任せに獲って食べて捨てるの生活をしていました。このためにクマ神の怒りを買って化けグマに追われ、逃げているうちにペナウンペは消息を絶ってしまいます。

 パナウンペはハルニレの木によって助けられ、狩猟や祭礼について教えられるとともに、自分達の素性も聞かされました。二人は、国造り神が国作りをしたおりに、休みながら吸った煙管の灰から生まれたのです。国造り神は、煙草を二服吸って、灰を東と西に捨てたといいます。アイヌ文化では、東には「生」、西は「死」のイメージが伴います。これは、パナウンペが成功し、ペナウンペが死ぬことの理由を説明しているのでしょう。

 静内版のパナウンペも、どこかから来た娘と結婚し、また旅人を迎え入れて村を広げ、人々に狩猟と儀礼を教えます。

アイヌ民族博物館デジタル絵本『パナウンペとハルニレの木』(織田ステノ伝承)

 

 2つの話は、通常のパナンペ・ペナンペ譚とはストーリー展開が異なり、特に沙流川の話は2人とも幸福に生涯を送っています。挿入歌が無い点、1人称叙述で語られる点など、語りの形式においても他のパナンペ・ペナンペ譚とは異なります(貝澤ちきさんの語りは3人称ですが、別な語り手(上田トシさん)が語ったバージョンでは1人称になっています)。

 

ポイヤウンペを始祖とする別伝

 先のパナンペ・ペナンペ譚と同じく沙流川流域の鍋沢ワカルパ氏が伝えた伝承の中には、よく似たストーリーでありながらポイヤウンペ(ユカラのヒーロー)が登場するものがあります。金田一京助が『アイヌの神典』(1924)に掲載した和訳を要約すると次の通り。

 低天を司る神の妹は、高天を司る神の許嫁となっていた。ところが、理由もわからず懐妊し、怒った兄によって地上に追放されてしまった。仕方なく草屋を立ててそこでお産をすると、生まれたのは2つの糸玉だった。糸玉とはいえ自分が産み落としたものに愛着があり、大切にしていた。ある日、山しごとから帰ると、2つの玉は2人のかがやくような男の子に変わって遊んでいた。女神の喜び方は例えようもなかった。

 男の子たちは狩りに行き、素手でシカやクマを獲り、毛皮を剥ぐことも知らないので、皮ごとむしり取って食べていた。それをアイヌラックルが見て「こんな小さな子供がクマやシカを手で獲るとは」と感嘆していた。そこでアイヌラックルは、刀で交互に斬り合う勝負を持ちかけたが、互いに斬っても斬っても傷がふさがって勝負がつかない。アイヌラックルはあきらめて家に戻り、子供たちの素性をよく探ると、太陽神が低天の女神の美しさに見惚れたために、その思いによって懐妊したことを知った。

 アイヌラックルは子供たちと兄弟になることにし、再び訪ねて、動物は刃物で解体しイナウを作って祭れば神々も喜ぶが、そうしないと神々が怒る事、子供たちの素性などを言って聞かせた。そして、子供たちはトミサンペッに砦を作って住み、弓や矛で動物を獲ってイナウで祭るようになった。そして、アイヌラックルが戦をする時は、兄弟として協力し、繁栄した。

 

 ユカラに登場する超人的ヒーローと(一般的なストーリー内の)パナンペ・ペナンペとはかけ離れた存在ですが、始祖・文化起源譚の中では「強靭な肉体」や「特殊な出自」を持つといった点で、両者は接近していきます。そのためか、ここに見たように、両者がまったく同じストーリーを共有していることもあります。

 

2.文化神兄弟との類似

 

 サマイェクルとオキキリマ(胆振・日高ではオキキリムイまたはオキクルミとサマユンクル)も、北海道の神謡や伝説に頻繁に登場するおなじみのキャラクターです。単独で現れることもありますが、特にこの両者がコンビ(兄弟)となって現れるタイプの話ではパナンペ・ペナンペ譚と似た兄弟の葛藤や優劣の対比が見られます。例えば、白糠町の四宅ヤエさんが語った神謡に、こんな話があります。

 私(木の神)は、高い枝を神天に揺らし、低い枝は人間界に揺らして立っていた。ある日若いオキキリマが私の下に来て背の高いイナウを立て「これから狩小屋に行くので、雌熊120匹、牡熊120匹、牡鹿を授けてくれ」といって出かけていった。その通りにしてやると、春になって獲物を背負って下がってきた。こんどは小さいイナウを立てながら「次に来たらあなたを切り倒して船にしたい」といって帰った。頼みごとをする時は立派な贈り物をし、礼をするときには粗末な物をよこすので腹を立てた。

 しばらくするうち、本当に斧を持ってやってきたので、私の硬い肉を外側に出し、柔らかい肉を内側に入れて、斧の刃をみんな欠いてやった。

 またあるとき若いサマイェクルが来て、同じように獲物を欲しがるので授けてやった。春になって獲物を下げてきて、背の高いイナウを立てながら「あなたを切って船にしたい」というので切らせてやった。私は船の形にされて、松前まで交易に行き、もどると大変丁寧に感謝の祈りを受けた。私が年を取ると、若いサマイェクルは新しい船を作ったが、私のことも変わらず大切にしてくれて祈りを受けている、と船神が語った。

 

 このように、オキキリマは尊大で欲深であるために失敗し、サマイェクルは敬虔に振る舞ったために幸福を得ます。

 面白いことに、胆振や日高ではこの関係が逆転し、オキクルミは理想的な人物として幸運を得、サマユンクルは自らの心根の悪さで不幸になります()。アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブスから沙流川流域の神謡を紹介します。川上まつ子氏による語りです。

「100.沼貝を助けたオキクルミ」

 私(沼貝)が川べりで強い日差しに苦しんでいると、人間(サマユンクル)が来て、「災いめ、なんでいるんだ」と言いながら私を踏みつけた。後に来た人間(オキクルミ)は「湖の神様が育てたものが、洪水で打ち上げられて、こうして苦しんでいるというのに、これは助けもしないで、兄が踏みつけて行った後ではないか」と言って、怒りながら私を抱えて、その人間(オキクルミ)の水汲み場であるきれいな湖に私を放した。それから「ここで暮らして、たくさん兄弟をつくったらいい」といってくれた。それで私は安心したのだった。それからサマユンクルは憎らしく悪い心を持っているから、その川には魚が一匹もいないようにしようと思った。オキクルミは心根もいいから川にはたくさんの魚がいるようにしようと思った。そうして、サマユンクルが食べ物にも困っている一方で、オキクルミは何でも恵まれているのを見ながら、私は物語りました。

アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブス」より


 このように、サマイェクルとオキキリマがペアで出てくる話には、一方は必ず成功し、一方はその反対になるという、パナンペ・ペナンペ譚と共通の構成を持った物が多く見られます。若干異なる点としては、パナンペは狡猾に振る舞って利益をある面もあるのに対し、サマイェクルやオキクルミが成功するのはもっぱら知性や人格が秀でているためです。また、パナンペ・ペナンペ譚では先に成功した者を愚か者が真似ることが多いのに対し、サマイェクルとオキキリマの話では兄が失敗したことを弟が成功させる、という流れが多く見られます。

 

サマイェクルとオキキリマの文化起源譚

 サマイェクルとオキキリマの話にも、文化起源譚として解釈することができる話があり、その場合はパナンペ・ペナンペ譚と同様に、どちらかが失敗するという要素が弱まります。次の話は、新ひだか町静内農屋地区の神謡です。日本放送協会が「アイヌ伝統音楽」の調査事業で収録したものです。

 私(トリカブトの神)と妹は、毎日歌を歌いながら風に揺れていた。あるとき人間の声が聞こえ、狩人たちがやってきたが「このトリカブトはだめだ、もっと奥へ行こう」と言って行ってしまった。私たちは口惜しく思いながらも、また風に揺れながら歌を歌って日々を送っていた。

 あるとき、また人の声が聞こえたかと思うと、現れた男はかぶり物をとり、後ろにいる男にも「弟よ、立派な神がおられるぞ、かぶり物をとりなさい」と言った。見るとそれはサマイウンクルを連れたオキクルミであった。2人は私たちのそばに座ると、拝礼して「偉大な神よ、あなたたちを連れて帰り狩りに使ったなら、私たちは誰にもまして多くの獲物を得るでしょう。どうぞおいでください。私たちの家においでくだされば、祭壇の女神や火の女神が大いにあなたたちを歓待し、神々どうし楽しく過ごすことができましょう」と祈った。

 そこで、2人の家に行くと、祭壇の女神も火の女神も手にしていたものを置いて私たちを迎えてくれた。そうしてオキクルミとサマイウンクルは、他に並ぶものがないほどの猟運の持ち主となった、とケレプノイェとケレプトゥルセが物語った。

 

 ケレプノイェ(触れた者をよじる)とケレプトゥルセ(触れた者が倒れる)は、トリカブトのアイヌ語による分類です。その名の通り、他のトリカブトに比して非常に強い毒性を持ち、狩猟に大きな力を発揮できる神であることを文化神兄弟が初めて見出した、とする起源譚です。このような展開の話では、兄弟はともに成功し、葛藤や対比はあまり前面に出ません。

 

3.文化神兄弟との同一視

 

 先に見たようなストーリーの類似にとどまらず、中には文化神兄弟とパナンペ・ペナンペを同一人物として描く話もあります。例えば、沙流川流域の平賀エテノア氏は、パナンペがサマイウンクルになったという伝承を伝えています。久保寺逸彦『アイヌの昔話』(1972)掲載の和訳を要約します。

「パナンペがサマイウンクルと呼ばれるいわれ」

 パナンペとペナンペがいた。あるときパナンペが聞いたところでは、ヤウンモシリ(北海道)のオオカミ神が住む山のふもとに金のエゾマツがあり、それを伐り倒したものに「妹を与える」とふれを出したために多くの神が集まって挑んだが、誰も成し遂げられずにいるという。そこで、ペナンペを誘って船出したが、ペナンペは疲れのあまり途中で死んでしまった。パナンペはなんとか北海道に着いたところで浜の砂の上に倒れこんだ。そこへ、ボロボロの着物を着たチャチャ(爺)が降りてきて、パナンペを誘った。チャチャは草小屋の中で食事を振る舞うと、錆びた斧とノコギリを背負い、汚い杖をついて出かけた。

 水源の高い山に、ウワサに聞くエゾマツが立っていて、大勢の神々が切ろうと試みている。チャチャが行くと神々やオオカミ兄妹は嘲笑ったが、チャチャとパナンペはそれをよそに、エゾマツを切り倒し、帰ってしまった。

 チャチャの小屋にいると、オオカミ神の妹が不平を言いながら嫁に来た。しばらくすごして、ある日目覚めると、チャチャの小屋と思った所は金色に輝く大きな屋敷に変わっていた。

 パナンペが炉辺へ行くと、靄の山のようなものの中から、神の話す声が聞こえた。「私は人間界の長として降ろされた神だ。お前もまた私とともにこの世界を治めるために降ろされた者にちがいない。兄弟となって力を合わせよう。お前はオオカミ神の妹をめとり、別な村に住むがよい。以後はパナンペではなくサマイウンクルと呼ぶことにする」と言った。

 

 これと同じ筋の話が「アイヌ語アーカイブス」№104にあり、また久保寺逸彦『アイヌ叙事詩 神謡・聖伝の研究』にも納められています。いずれも同じ地域の話です。アーカイブス収録の神謡ではエゾマツを切った神の正体は不明ですが、もう一方はやはりオキクルミがエゾマツを切ったのだとされています。こちらではサマユンクルではなく、オキクルミの妹が加勢しています。

 いっぽう、先ほどと同じ語り手により別な伝承では、パナンペ・ペナンペ兄弟とオキクルミはまったく別の人物として描かれています。

「ペナンペがコミミヅクにされた話」

 パナンペが金のエゾマツを見つけてのぼってみると、美しいアイヌの国が広がっており、その先の和人の国までも見晴るかすことができた。パナンペが家族にそのことを話していると、立ち聞きしていたペナンペがマネをした。

 ペナンペが樹上で景色を眺めていると、鞘尻の燃えたつ太刀と裾の燃えたつアットゥシを身に付けたオキクルミ神が、クモの神とともにエゾマツをのぼってくるのが見えた。ペナンペはイタズラ心を起こし、木を大きく揺さぶって2神を転落させた。ペナンペは急いで木を降りてどこまでも逃げたが、とうとうつかまり、木の上に2年も3年も吊るされたあげくマカオタリ(コミミヅク)に変えられて、不吉な鳥として恐れられながら、国の端から端へさまようことになった。

 

 このように、同一地域・同じ語り手の伝承の内においてもパナンペ・ペナンペと文化神兄弟の関係はかなり錯そうしています。このような状態に至った経緯は、推測するほかありませんが、人の様でいて人とは異質であるという彼らに共通の性質が、語り手たちに「互いに近い存在」というイメージを抱かせたのかも知れません。

 

おわりに

 

 今回は、パナンペ・ペナンペ譚の中ではやや特殊な、文化神と共通するストーリーを持つ話を中心に紹介しました。パナンペ・ペナンペになぜこのような役割が与えられたのかはまだわかりませんが、一般的に物語の世界では破天荒な行動と英雄的な性格が1つのキャラクターに同居している事はそれほど珍しくないようです。人とは違う風変わりな生い立ちや性格、異界の住人といった属性ゆえに、良くも悪くも「大それた行動をしかねない」というイメージが備わりやすいのでしょうか。

 今回登場した文化神たちも、創世神、人間の始祖、巨人など複数の属性・エピソードを持ち、地域によってすべてが1人の人物に集約されていたり、いくつかの神に分かれているなど、その捉えられ方も一様ではありません。近いうちにこの連載で、彼らについても紹介する予定です。

 なお、前回・今回の記事を構想する上で、安田千夏様ほか多くの方にご助言をいただきました。記して御礼申し上げます。

附録 朝鮮半島の説話『大洪水と人類』

 以下は『朝鮮民譚集』pp.24~29に収録されている洪水説話の1篇を要約したものです(同書には洪水神話が他に2篇収録されており、それらはまた異なった内容を持っています)。

 木の神の申し子としての生い立ち、仲間(兄弟)と共に妻を得、さらに人類の祖となる点にも、アイヌラックル・パナンペ譚との類似が見られます。アイヌラックルはハルニレを母、木道令(本編の主人公)はカツラの木を父とし、どちらももう一方の親は、天からやってきます。朝鮮の洪水説話はいずれも、洪水によって滅びかかった人類が、主人公たちによって再興されるテーマを含んでいます。したがって厳密には人類の「始祖」というわけではありませんが、今につながる人類全ての祖であるという点で、やはり共通の意味を持つと言えます。
 
第17話 『大洪水と人類』その一

 昔、大きなカツラの木があった。そこにとある1人の仙女が降りて休むのを常としていたが、やがて木の神との間に子が出来た。7、8年ほどして仙女は天に去った。ある時から暴風雨が何か月も収まらず、地上は全て海に覆われてしまった。カツラの木のところまで水が迫って来たとき、木は木道令(木の子供)に「お前は私の子だ。私は倒れてしまうだろうが、倒れた私の背に乗れば助かるだろう」と言った。やがて波が木を倒したので、木道令はその上に乗り何日も漂流した。アリとカの群れが流されているのを木に乗せて助けた。次に、同じ年頃の男の子が流されていたが、木はこの子を助けることをしぶった(後でわかるように、狡猾なところのある者だった)が、木道令に懇願されて助けた。

 木は、とある高山の峰が、島のように水から出ている所に流れ着いた。腹が減っていたので人家を探すと、1人の老婆と2人の娘(1人は継子)が住む家があった。子供たちはそこに住み込み、田を耕して働いた。老婆は成長した子供のうち、賢い者を実の娘の婿にしようと考えた。木道令に助けられた子は、老婆をそそのかして、砂の上に撒いた粟粒をすべて拾い集める試練を木道令に課した。木道令は困惑したが、無数のアリ達が加勢してこれを乗りこえた。

 老婆は「2人の娘を西と東の部屋に1人ずつ入らせておく。お前たちは自分の思う部屋に入って、中にいる娘を妻とするがいい」と言って、木道令達を外に出した。そのとき木道令の耳元に大きなカが飛んできて「東の部屋だ」と教えた。木道令は老婆の実の娘を妻とし、この2組の夫婦によって人類は存続することとなった。彼らは今日の人類の祖先である。

 

参考文献

稲田浩二ほか(編)
2004『世界昔話ハンドブック』三省堂。

上田トシ(語り)・楠本克子(文)・北原次郎太(絵)
2010『パナンペとペナンペうみのカムイによばれる』アイヌ文化振興・研究推進機構。

金田一京助
1993(1924)「アイヌの神典」『金田一京助全集第11巻 アイヌ文学V』三省堂。

久保寺逸彦
1972『アイヌの昔話』三弥井書店。

関敬吾 
1981「解説」『アイヌ民譚集』岩波書店。

孫晋泰
1930『朝鮮民譚集』郷土研究社。

田村雅史・平良智子
2011『冨水慶一採録 四宅ヤエの伝承 韻文篇1』「四宅ヤエの伝承」刊行会。

知里真志保
1981(1937)『アイヌ民譚集』岩波書店。

中川裕
1997『アイヌの物語世界』(平凡社)。

 

(注)こうした文化神の地域差などの問題については、別の回に詳しく取り上げます。

 

 

[シンリッウレシパ(祖先の暮らし) バックナンバー]

第1回 はじめに|農耕 2015.3

第2回 採集|漁労   2015.4

第3回 狩猟|交易   2015.5

第4回 北方の楽器たち(1) 2015.6

第5回 北方の楽器たち(2) 2015.7

第6回 北方の楽器たち(3) 2015.8

第7回 北方の楽器たち(4) 2015.9

第8回 北方の楽器たち(5) 2015.11

第9回 イクパスイ 2015.12

第10回 アイヌの精神文化 ラマッ⑴ 2016.1

第11回 アイヌの精神文化 ラマッ⑵ 2016.2

第12回 アイヌの精神文化 ラマッ⑶ 2016.4

第13回 アイヌの精神文化 ラマッ⑷ 2016.5

第14回 アイヌの衣服文化⑴ 木綿衣の呼び名 2016.6

第15回 アイヌの衣服文化⑵ さまざまな衣服・小物 2016.7

第16回 樺太アイヌのヌソ(犬ゾリ)-1 2016.12

第17回 樺太アイヌのヌソ(犬ゾリ)-2 2017.1

第18回 樺太アイヌのヌソ(犬ゾリ)-3 2017.2

第19回 樺太アイヌのヌソ(犬ゾリ)-4 2017.3

第20回 アイヌの衣服文化⑶「アイヌ文様は魔除け?」を検証してみた 2017.4

第21回 樺太アイヌの防寒帽 2017.5

第22回 北方の楽器たち(補遺1) 鉄製口琴で戦う乙女-ほか 2017.6

第23回 北方の楽器たち(補遺2) 千島? 釧路? のカチョ 2017.8

第24回 東アジアが誇る笑い話? パナンペ・ペナンペの謎(上) 2017.12

 

 

 

 

《図鑑の小窓30》カラ類たちの窓辺

 

 文・写真:安田千夏

 

 年が明けて大寒の候、今回は寒さを一瞬忘れるため時間を半年ほど巻き戻し、初夏の窓辺にタイムリープすることにします。

 雨の合間を縫ったような、陽光が暖かい6月のある日。窓辺にシジュウカラが集まって来ました。でもこの鳥たち、普段見かける様子とはちょっと違うということにお気づきの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

▲写真1

▲写真2

 あどけない表情と仕草(伝わるかな?)、そして何より体の黒の淡い色合い。この鳥たちはこの年に生まれたばかりの若鳥たちなのです。カラ類の若鳥は、天敵から身を守るために、初夏の頃は群れを作って行動しているのです。仲間といるため気が大きくなるのか、経験不足のせいか、好奇心旺盛で人をあまり恐がりません。離れた場所にいる群れの声を聞いたとき、レンジャーに伝わる「秘伝鳥寄せの術」を使うと、ワラワラと近寄って来ます。ちょこまかと動き回るので、カメラで追っているとこちらの目が回りそうになりますが、よく見るとカラ類だけではなく、種を超えてムシクイの仲間やコゲラなどが行動を共にしていることさえあり、それはさながらカラ類の学校に来た転校生。見た目の違いを気にする風もなく、みんな仲良く過ごしています。

▲写真3 混群に混ざっていたムシクイの仲間の幼鳥

 ところでシジュウカラのアイヌ語名は「パケクンネ(頭が黒い)」と言います。そしてシジュウカラに見た目がよく似たヒガラは「ポンパケクンネ(小さくて頭が黒い)」。観察してみると、確かにヒガラの方が少し小さいのです。図鑑でみる全長はシジュウカラが14-15㎝。ヒガラが10㎝前後。的確なサイズ感が名前に反映されていることに改めて感心します。この機会に両者のさえずりも聴き比べて、その違いの微妙さも堪能してみてください。

▲写真4 パケクンネ(シジュウカラ) 成鳥(デジタル図鑑より)

▲写真5 ポンパケクンネ(ヒガラ) 成鳥(デジタル図鑑より)

 留鳥たちの春の訪れは思いのほか早く、あと半月ほどした立春の頃には真っ先にハシブトガラがさえずり始めます。そう考えると冬なんて短いもの。木の葉が落ちて夏よりも姿が見つけやすくなった留鳥や冬鳥たちを追いかけながら、春を待つのもまた楽しからずや、なのです。

▲写真6 冬枯れの森で何かをついばむハシブトガラ成鳥

[バックナンバー]

《図鑑の小窓》1 アカゲラとヤマゲラ 2015.3

《図鑑の小窓》2 カラスとカケス   2015.4

《図鑑の小窓》3 ザゼンソウとヒメザゼンソウ 2015.5

《自然観察フィールド紹介1》ポロト オカンナッキ(ポロト湖ぐるり) 2015.6

《図鑑の小窓》4 ケムトゥイェキナ「血止め草」を探して 2015.7
《自然観察フィールド紹介2》ヨコスト マサラ ウトゥッ タ(ヨコスト湿原にて) 2015.8

《図鑑の小窓》5 糸を作る植物について 2015.9

《図鑑の小窓》6 シマリスとエゾリス 2015.10
《図鑑の小窓》7 サランパ サクチカプ(さよなら夏鳥) 2015.11

《図鑑の小窓》8 カッケンハッタリ(カワガラスの淵)探訪 2015.12

《図鑑の小窓》9 コタンの冬の暮らし「ニナ(まき取り)」 2016.1

《図鑑の小窓》10 カパチットノ クコラムサッ(ワシ神様に心ひかれて) 2016.2

《図鑑の小窓》11 ツルウメモドキあれこれ 2016.3

《図鑑の小窓》12 ハスカップ「不老長寿の妙薬」てんまつ記 2016.4

《図鑑の小窓》13 冬越えのオオジシギとは 2016.5

《図鑑の小窓》14「樹木神の人助け」事件簿 2016.6

《図鑑の小窓》15 アヨロコタン随想 2016.7

《図鑑の小窓》16「カタムサラ」はどこに 2016.8

《図鑑の小窓》17 イケマ(ペヌプ)のおまもり  2016.9

《図鑑の小窓》18 クリの道をたどる 2016.10

《図鑑の小窓》19 くまのきもち 2016.11

《図鑑の小窓》20 エンド(ナギナタコウジュ)のつっぺ 2016.12

《図鑑の小窓》21 わけありのラウラウ(テンナンショウの仲間) 2017.1

《図鑑の小窓》22 春待つ日々のサクラ4種 2017.2

《図鑑の小窓》23 タクッペ(やちぼうず)の散歩 2017.3

《図鑑の小窓》24 カッコク カムイ ハウェ コラチ(カッコウ神の声のように) 2017.6

《図鑑の小窓》25 トゥレプ(オオウバユリ)とトゥレプタチリ(ヤマシギ) 2017.7

《図鑑の小窓》26 オロフレ岳と敷生川のミヤマハンノキ 2017.8

《図鑑の小窓》27 ムクという名の野草について 2017.9

《図鑑の小窓》28 ヤイニ ヤクフ(ドロノキの役目) 2017.10

《図鑑の小窓》29 植物のアイヌ語名から読み取れること 2017.11

 

 

 

 

 

《アイヌの有用植物を食べる 8》 保存食

 

 文:新谷裕也

 

はじめに

 

 1月になり新しい年を迎えました。あと数か月で暖かい春ですが、まだまだ寒い冬は続きます。冬になると山菜や野草は採取できないので、昔のアイヌは春から秋にかけてとった植物を保存して一年中使えるようにしていました。今回はそうしたアイヌの有用植物の保存について調べたので紹介します。

 

1.保存食について

 

 保存食とは、植物や動物の肉を長期間保存するために加工して作られるもので、アイヌだけでなく様々な民族が作っていました。肉類も保存食としますが、春から秋にしか取れない山菜や野草を保存しておけば、植物採取ができない冬場でも野草や根菜を食べることができるため、アイヌは保存できる植物をそのまま、または団子や粉末にした状態で乾燥し保存しました。山菜や野草は貴重な栄養源なので、植物の保存食作りは、厳しい冬がある北方の地域では欠かすことのできない知恵であり、その保存方法は現代でも伝承されています。

 

2.保存方法

 

 ひとくちに保存と言っても様々な方法があるので、その中でも山菜や野草を保存するときの方法を紹介します。主に採取した山菜や野草は、一度下ゆでしてから乾燥させて、食糧庫に保存します。乾燥させるときは気温や湿度、乾燥させるものによって天日干しや陰干しなど干し方を変え、カビが生えたり傷んだりしないように注意して乾燥させます。ヒエやアワなどの穀物は穂摘みをしてから乾燥させて保存します。オオウバユリは球根を潰してデンプンを採取して粉末で保存し、デンプンを取った球根の残りを団子状にして発酵させてから囲炉裏にかけて保存します(月刊シロロ2017年6月号「アイヌの有用植物を食べる1 オオウバユリ」参照)。他にもドングリは中に虫が入っているかもしれないので、ゆでてから食糧庫で保存し、キハダの実などは屋内に干して乾燥させて保存します。

 

3.発酵させた保存食の食べ方

 

 ここではアイヌ文化独特の、発酵させた保存食の食べ方を紹介します。

 

3-1.オントゥレプアカム


▲写真1 オントゥレプアカム

 オオウバユリの球根からデンプンを採取した後に残る繊維とデンプンをまとめて発酵させたもの。発酵したら臼に入れて杵でついて、ねばりを強くしてから円盤状の団子にして縄を通して屋内で保存する。

《食べ方》

①刻んで水に入れて「あく出し」をする。

②何度か水を変えて、水がきれいになったらさらしなどで水を絞る。

③絞ったものを臼に入れてつく。

④団子にしておかゆに入れて食べる。

 

3-2.ペネイモ

 

 ジャガイモを冬から春の間、外で野ざらしで置いておき、何度も凍ったり解けたりして柔らかくなったもの。水でふやかして布でこし、臼と杵でついてから丸めて乾燥させて保存する。地域によってペネコショイモ、ペネエモ、ペネ、ポッチェイモと呼び名が違う。

《食べ方》

①乾燥したものを水に入れて戻す。

②練って団子を作る。

③作った団子をおかゆや汁物に入れたり、焼いて食べる。

 

4.ペネイモについて

 

 ペネイモは全道的に食べられている保存食で、前述したように地域によって呼び名が異なります。とてもにおいが強い食べ物で、本当に食べ物かと思うようなにおいがしますが、食べるととてもおいしいものです。食べ方はそのまま焼いて食べるのですが、地域によってはバターをつけて食べたり、砂糖やホットケーキミックスを練りこんで甘くして食べたり、現代風にアレンジして食べやすくしている所もあります。

 

4-1.アイヌ民族博物館でのペネイモの作り方

 

 アイヌ民族博物館では毎年12月頃からペネイモ作りを始めます。おいしいペネイモができるまでを紹介します。

《作り方》

①ケースにジャガイモを詰めて水をかけて4月頃まで外で野ざらしにする(写真2)。

▲写真2:ケースに入ったジャガイモに水をかける

②凍って解けてを繰り返してぷよぷよに柔らかくなっていく(写真3)。

▲写真3:凍っているジャガイモ

③4月になるとたらいに水を張り、柔らかくなったジャガイモを2日程水にさらす。

④皮とごみをきれいに取ってから、布袋に入れて水を搾る。この時あまりきつく搾りすぎると水分がなくなり、ぱさぱさになるので注意する(写真4)。

▲写真4:布袋に入れる

⑤ある程度水分がなくなったら、臼に移して杵でつく。皮やゴミが入っている場合は、見つけたら取る(写真5)。

▲写真5:杵でつく

⑥塊がなくなり、滑らかになったらボールに移す。

⑦仕込んだジャガイモがなくなるまで④~⑥を繰り返す。

⑧つき終わったジャガイモに砂糖、片栗粉、少量の塩を混ぜる。

⑨フリーザーバッグに入れて冷凍保存する。

《食べ方》

①ペネイモを解凍して薄い団子にする。

②フライパンに油を多めに入れて焼く。

③きれいなキツネ色に焼けたら完成(写真6)。

▲写真6:完成

 

4-2.味

 

 アイヌ民族博物館のペネイモは、たくさんの油で焼くことによって表面がサクサクで、中はしっとりしていて、更に砂糖が入っているのでとても甘くてお菓子感覚で食べることができます。数年前に札幌で食べたペネイモは、においが強すぎておいしいと感じることができませんでしたが、白老で食べるペネイモはにおいも気にならず、とてもおいしいです。

 

おわりに

 

 有用植物の保存は、アイヌが生活していくうえで必要な知識であり、とても重要なものであるということがわかりました。冷凍庫で冷凍保存するということができるようになった現代では、乾燥保存させるということの大切さが失われつつありますが、乾燥保存はカビが生えたり腐らせたりしては食べることができなくなるので、きれいに乾燥させるのはとても大切な技術でした。今回紹介した保存する植物はあくまでも代表的な植物だけなので、他にも筆者が知らない植物や保存食も存在するかと思います。今後も勉強して保存食について調べていきたいと思います。

 

参考文献・データ

・知里真志保『分類アイヌ語辞典 第1巻 植物篇』日本常民文化研究所(1953年)
・更科源蔵、更科光『コタン生物記Ⅰ樹木・雑草篇』法政大学出版局(1976年)
・『日本の食生活全集 聞き書アイヌの食事』社団法人農山漁村文化協会(1992年)
・アイヌ民族博物館『アイヌと自然デジタル図鑑』(2015年)

 

 

[バックナンバー]

《伝承者育成事業レポート》イパプケニ(鹿笛)について 2017.1

《アイヌの有用植物を食べる》1 オオウバユリ(前) 2017.6

《アイヌの有用植物を食べる》2 オオウバユリ(後) 2017.7

《アイヌの有用植物を食べる》3 ヒメザゼンソウ 2017.8

《アイヌの有用植物を食べる》4 ヒシ 2017.9

《アイヌの有用植物を食べる》5 キハダ 2017.10

《アイヌの有用植物を食べる》6 チョウセンゴミシとホオノキの実 2017.11

《アイヌの有用植物を食べる》7 コウライテンナンショウ 2017.12

 

 

 

 

 

《映像資料整理ノート》アオバトに惑わされる?(前編)


 文:木幡弘文

 

はじめに



 アイヌ民族博物館の映像資料で、アオバトに惑わされるといったエピソードが語られているものがあります。今回はそれについて紹介したいと思います。

▲写真1 アオバト(デジタル図鑑より)

 

1.アオバトについて

 

 アオバトはアイヌ語で「ワオ」や「ワウォウ」などと呼ばれています。図鑑情報は以下の通りです。

アオバト

特徴
 頭部から胸にかけて黄色みが強く、下腹は白い。翼は風切が黒褐色。下尾筒は濃緑褐色で、羽縁が太く淡黄色。

鳴き声
 “アーオー、オアーオ、アオアーオ”ともの悲しげな声で鳴く。

生態
 北海道では夏鳥。平地から山地の森林に生息。本州以南では留鳥。

行動
 初夏から秋にかけて群れで岩礁海岸へ飛来、海水を飲む。北海道では足寄町雌阿寒温泉や中標津町養老牛温泉、美瑛町白金温泉では、温泉水を飲む行動が観察されている。また日本中で同様の事例が報告されている。
 森林では木の実やサクラ類の芽を採食。

(河井2003、中村1986)

 

▲写真2 ウトナイ湖上空を通過するアオバト(撮影 安田千夏)

 先に紹介されていたとおり、アオバトとして有名なのは「海水を飲む」という行動が有名であり、海水の代わりに温泉水を飲む行動も観察されています。詳しい事はいまだ解明されていないようですが、こうした行動が確認されています。

 体の色は全体的に緑で、森の中に入ったその姿を確認するのは困難です。筆者も声は聞こえるが、どこにいるのかが判らないことが多いです。そのためいまだにカメラのレンズにおさめることができていません。

 

2.映像資料

 

 それでは当館の映像資料で語られた内容を紹介します。

資料名:DV0185_27105
撮影年:1997年8月27日
語り手:黒川セツ(平取町)、上田トシ(平取町)
聞き手:萩中美枝、村木美幸、安田千夏
採録地:アイヌ民族博物館2階

〈アオバトに惑わされる話〉

黒 川「(私のおばあさんが)ニペシケプ(シナノキの皮はぎ)に行って、そしてニペシケプして終わったから、帰ろうとしてその荷物そろえて、たばこ吸う人だったから、そこで吸っていたら、ワオ鳥(=アオバト)が木の上さ来てワーオワーオってすっごく鳴くんだって。してね、あんまりそういうとワオ鳥に化かされてあっちこっち歩くもんだったから、それで今度たばこ吸いながら「エモトホ(おまえの素性)わからないわけで鳴いて、自分がね、エモトホわからないわけでないのに、おまえもこうやって木の上さ来て自分にそう言ったってね、おまえは内地から来たウェン シサム(貧乏人の和人)で、山子(木こり)になって木の下になって死んで、それでかわいそうだからっていうことで、オキクルミカムイ(注)がおまえをワオ鳥にして、おまえがワオ鳥になっているのにね、エモトホわからないわけであるまいし、どうしてそういうふうにして人間にいたずらするんだ」っちゅうって、うちのフチ(おばあさん)だから、アイヌイタク(アイヌ語)で言ったと思うよ。そういうふうに言って、したらそのワオ鳥がもうそれこそ、悲しげに鳴いて他へ飛んでって、それから自分が家さ帰ってきたもんだから、山さ行ってあんまりワオ鳥につきまとわれたときには、おまえたちはアイヌイタクで言えなくても「おまえのエモトホわからないわけでもないんだと、おまえはね、ウェン シサム(貧乏人の和人)で、内地から山子に来て木の下で死んだのにね、そうやってオキクルミカムイにアオ鳥にしてもらったのに、人間にそういう悪さをすると、またパカシヌ(〜を罰する)されるよ」って、そのワオ鳥に言えば、ワオ鳥が本当にパカシヌされたら、もう自分がこの世にワオ鳥になっていられなくなってしまうと思えば、よそへ逃げていくんだから、そう言えばいいんだってうちのフチよく言ったもので、それでわしも山へ行ったり、わしもトゥレプタ(オオウバユリ掘り)に行ったり、いろいろやるから、ワオ(アオバト)につきまとわれたときにそういうふうに言ってね、そしてたばこ吸って座っていて、そうすればそのうちにワオ鳥も静かになって、どっかに行っちゃうけどね。だから、そういうふうなね、昔うちのフチはいろいろなことあったみたい」

 

 映像では黒川セツ氏の孫ばあさんが山へシナノキの皮はぎに行った帰りの際にアオバトにつきまとわれ、そのアオバトに対して素性を明かし、アオバトを追い払うという内容です。この話の元になった神謡は、以下のようなものです。

あらすじ

 私(アオバト)は山の中にすんでいたが、ある日退屈なので人間の村近くに下りてきて、ワウォワウォと鳴いていた。するとそこに子供たちがやってきて、私の鳴き声の真似をする。私はそれに腹を立てたので、昼も夜も大きな声で鳴きつづけた。そのうちに私の声で、川は干上がってただのくぼ地になり、ただのくぼ地だったところは水が出て川になった。それでもやめずに鳴きつづけていると、オキクルミの神が窓から身を乗り出してこう言った。

「この悪いアオバトめ。お前はそんなことをするほどえらい神ではないのだぞ。昔、和人の侍がきこりになって、毎日山で木を切ってくらしていたが、ある日霧の中で道に迷って帰れなくなってしまい、とうとう息絶えた。その時自分の髷(まげ)を切って投げ捨てた。その髷は腐りきることができなかったので、アオバトに生まれ変わったのだ。お前はそのようにして生まれたものだから、お前の鳴き声を子供たちがまねしたとしても、腹を立てるほどよい神ではないのだ。この悪いアオバトめ。川が干上がるほど、夜も昼も鳴きつづけおって」

 と、私をしかりつけた。私はそれを聞いて大変恥しく思った。それからは鳴くときも大きな声を出さず、静かに鳴くようになった。

 と、アオバトの神が語った。

(中川2004)

 

 これ以外にはアオバトについてどのような伝承があるのかと思い探してみました。それを次号で紹介することにします。

(注)「Okikurmi オキクルミ 【名】[固有名] オキクルミ(伝説の主人公。 Samayunkur サマユンクル と対で語られることが多い。 他地方でオキキリムイなどとも呼ばれる。 神とも人とも見られ、 人間の始祖 Aynurakkur アイヌラックル と同一視されることもある:児島記述)。Okikurmi kamuy オキクルミ カムイ オキクルミ神」(田村すず子『アイヌ語沙流方言辞典』より引用)

〈参考・引用文献〉
日本放送協会 1965『アイヌ伝統音楽』 日本放送出版協会
更科源蔵 1977『コタン生物記Ⅲ 野鳥・水鳥・昆虫篇』 法政大学出版局
中村登流 1986『検索入門 野鳥の図鑑 陸の鳥②』 保育社
北海道教育委員会 1989『昭和63年度 アイヌ民族文化財調査報告書 アイヌ民俗調査Ⅷ(鵡川・有珠地方)』
稲田浩二、小澤俊夫 1989『日本昔話通観第1巻 北海道(アイヌ民族)』 同朋舎
三浦佑之 1996「口承文芸研究第19号」『ワオとマオ アイヌと東北と』 日本口承文芸学会
北海道教育委員会 1997『平成7年度 アイヌ民族文化財調査報告書 アイヌ民俗調査ⅩⅤ(補足調査2)』
北海道教育委員会 1998『平成8年度 アイヌ民族文化財調査報告書 アイヌ民俗調査ⅩⅥ(補足調査3)』
北海道教育委員会 1999『平成7年度 アイヌ民族文化財調査報告書 アイヌ民俗調査ⅩⅦ(補足調査4)』
アイヌ民族博物館 2001『アイヌ民族博物館伝承記録5 虎尾ハルの伝承 鳥』
河井大輔他 2003『新訂北海道野鳥図鑑』 亜璃西社
中川裕 2004「千葉大学 ユーラシア言語文化論集7」『アイヌ口承文芸テキスト集5 白沢ナベ口述 ワウォリ:アオバトが生まれたわけ』

[バックナンバー]

サパンペ(儀礼用冠)の製作について(木幡弘文) 2017.2

《映像資料整理ノート1》川上まつ子さんのサラニプ(背負い袋)づくり 2017.6

《映像資料整理ノート2》サラニプ(背負い袋)についての新資料報告 2017.7

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《トピックス》第29回 白老ペッカムイノミ(初サケを迎える儀式)を開催 2017.9

写真資料紹介》コタンコロクル像がやってきた(1979年) 2017.10

《映像資料整理ノート4》アイヌ文化における「ラヨチ(虹)」について 2017.12

 

 

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