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月刊シロロ

月刊シロロ  6月号(2016.6)

 

 

 

 

 

《シンリッウレシパ(祖先の暮らし)14》アイヌの衣服文化⑴ 木綿衣の呼び名

 

 文:北原次郎太(北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授)

 

 

はじめに


 金田一京助氏と杉山寿栄男氏によって書かれた『アイヌ藝術』は「服装篇」「木工篇」「金工・漆器篇」の3篇からなり、言語研究と民具研究の専門家による合作ならではの貴重な情報を多く含んだ文献です。そのうち『服装篇』p125の解説には、木綿衣の名称として次の5つが挙げられています。

表1.金田一・杉山(1941)に見られる木綿衣名称 ※カナ表記は筆者による

日常用

chininninup

(チニンニヌプ)

刺子

古着や切地類を継ぎ合わせて厚司織と同様に仕立て刺繍紋を施したもの。

chiukaukap

(チウカウカプ)

合せ着

袷に仕立てられたもの。

 

儀礼用

chikarkarpe

(チカラカラペ)

文様衣・刺繍衣

儀式用の単衣。生地面に白木綿の直曲線となったものを切り伏せて雄大な文様を表す。

retar chikarkarpe

(レタラ チカラカラペ)

白文様服

白木綿を切伏したもの。

kunne chikarkarpe

(クンネ チカラカラペ)

黒文様服

黒木綿を切伏したもの。 ※図示されている物は刺繍衣

 

 平服にあたるものとしてはチニンニヌプとチウカウカプの2種。チニンニヌプは刺繍がある、あるいは刺子(さしこ)になった物とされ、チウカウカプは袷(あわせ)、すなわち裏地を付けて仕立てた物です。したがって、刺子であり、かつ袷である着物も想定できますから、この2つの名称は同じ着物を指しうるといえます。

 礼服にあたるものとしてはチカラカラペが挙げられ、さらに白木綿で装飾したものをレタラ チカラカラペ(白いチカラカラペ)、黒木綿を用いた物をクンネ チカラカラペ(黒いチカラカラペ)としています。

 チカラカラペは刺繍で装飾した物です。切伏(きりぶせ)とは、衣服本体の布の上に、別な布を重ねて綴じ付ける技法の事をいいます。後2者は、これを装飾に用いる布の色によって分けた下位分類の名称です。なお、同書の図版にクンネ チカラカラペとして示された物はすべて木綿の地に刺繍だけを施した物です。したがって、クンネ チカラカラペとは黒い木綿で装飾するのではなく、切伏をしない事で黒みがかった地の色がそのまま見えている物という意味かもしれません。

 この他、樹皮製の衣服としてアットゥシが、草皮製の衣服としてイラクサ製のテタラペ(白い物)が挙げられています。後述するようにアットゥシは素材、テタラペは樹皮製の衣服に比べ白いという見た目の特徴にちなむ名称です。

 このように、これらの衣服の名称には材質、見た目、製法、形態などいくつかの異なったポイントに着目して付けられた名称が混在していることがわかります。今回は、こうした、こんにち広く使われている衣服の名称のなりたちについて書いてみたいと思います。

 →樹皮衣 アットゥシと 草皮衣 テタラペについて(月刊シロロ2015年4月号)

 

 

1. 木綿衣の地方別名称

 

 次に北海道教育委員会による『アイヌ民俗資料調査報告』(1968)に収められた「アイヌ服飾の調査」に記された木綿衣の名称を見てみましょう。この調査は、児玉作左衛門氏と娘のマリ氏、伊藤昌一氏、三上マリ子氏らによって行われたもので、木綿衣を製作技法の面から「無切伏刺繍衣(きりぶせなきししゅうい=刺繍のみの着物)」「黒裂置文衣(くろきれおきもんい=黒を主体とした布を直線的に切伏したもの)」「色裂置文衣(いろきれおきもんい=多彩な色の布を細く裂き、それらを思い思いの形に曲げながら切伏して曲線文様を作った物)」「白布切抜文衣(しろぬのきりぬきもんい=幅広の白い布を模様の形に切り抜いて切伏したもの)」の4つに分けています。また、金田一・杉山(1941)では、それぞれの名称がどこの地域で用いられていたのかが明確にされていませんでした。

▲無切伏刺繍衣 ▲黒裂置文衣
▲色裂置文衣 ▲白布切抜文衣

 

 それに対しこちらの調査では、北海道内の31の地域について、ほぼ同じ時期(1963年〜65年)に上記4タイプの木綿衣の名称を体系的に調査しており、また門別地方で白布切抜文衣に当てられたカムカムプなど、他の資料に見られない豊かな語彙を記しています。その他、それぞれの衣服形式の成立時期に関する作り手の認識や、美意識などの服飾関連の民族誌的情報も盛り込まれている貴重な報告書です。

 同報告書に見られる木綿衣の名称を表2にまとめました。地域区分は記載にしたがっていますが、順番を入れ替えました。「チカルカルペ」と「チカラカラペ」は同じ名称を表していると考えられ、「チヂリ」も今日の一般的な表記では「チチリ」となりますが、すべて元の資料にしたがって書いています。「―」と書かれた欄は、話し手がその名称をしらないか、その地域ではそうしたものを作らない事を示します。下線を引いた話者名は男性であることを表します。

表2.児玉ほか(1968)に見られる木綿衣名称

 表2に見られる名称を、命名のポイント別に整理してみます。次回以降の説明のため、他の文献からひろった名称も一緒に一覧にします。木綿衣以外の衣服については次回以降とりあげます。下線があるものは樺太方言です。

a.材質による名称

ルシ rus/ウル ur/カッコロ kakkor(皮衣の総称)、カムイルシ kamuyrus(アザラシ皮衣)、セタルシ setarus(イヌ皮衣)、イソルシ isorus(クマ皮衣)、ユクル yukur(シカ皮衣)、シタウル sitaur(イヌ皮衣)、モウル mour(小さい皮衣=肌着)、コルル korur(フキの葉の衣)、アハルシ ahrus/アットゥシ attus(樹皮衣)、チェプル cepur(魚皮衣)、ラプル rapur(鳥羽衣)、チルル cirur(鳥皮衣)、サランペ saranpe(絹衣)

b.見た目による名称

テタラペ tetarape(白い物=イラクサ衣)、レタラ チカラカラペ retar cikarkarpe(白文様衣)、クンネ チカラカラペ kunne cikarkarpe(黒文様衣)

c.性質による名称

カパリミ kaparimi(薄手の着物=単位)、カパラミプ kaparamip(薄手の着物=単位)、カノカンペ kanokanpe(細い糸で織られた物)、カリテンペ karitenpe(柔らかい(=細い糸)で織られた物)

d.製法による名称

チキリペ cikirpe(文様を施した物)、チキリイミー cikiriimii(文様を施した衣服)、チカラカラペ cikarkarpe(装飾を施した物)、イヨイミ iyoimi(装飾をした着物)、チニンニヌプ cininninup(刺繍を施した・刺子にした物)、チウカウカプ ciukaukap(袷にした物)、カムカムプ kamukamup(布で覆った物)

e.産地による名称

サンタチミプ santacimip(山丹=アムール地方の服)、マンチウコソント manciwkosonto(満州の小袖)

f.外来語と考えられる名称

コソント kosonto/コソンテ kosonte(小袖)、サクリ sakuri(裂織・サックリ)、チチリ ciciri/チンチリ cinciri(ツヅレ)、ケラ kera(けら)、ホホト hohto(衣服)、カヤハ kayah(魚皮衣)

g.着方による名称

イカクシペ ikakuspe(上着)、イカワアミプ ikawaamip(上着)

 表2を見ると、北海道の南西部の白布切抜文衣を作る地域(静内)や色裂置文衣を作る地域(胆振)では、それらを指す名称が見られますが、装飾衣一般を指すと思われるチカラカラペも併用されています。一方、そうした衣服を作らない地域ではチカラカラペやイヨイミがほどんどの形態の衣服に用いられています。

 チカラカラ〜という呼び方は、鉢巻き(チカラカラ マタンプシ)や頭巾(チカラカラ コンチ)、前掛け(チカラカラ マンタリ)など、他の装身具にも見られ、刺繍などによる装飾を施した物に広く用いられています。ですから、技法の如何によらず、装飾をした衣服の一般的な名称としてこの言葉が広く使われてきたのでしょう。浦河の女性は、イヨアミプについて、裂で飾った衣服であること、イヨとは充たすという意味だと語っています(p55)。「i-y-o-amip それ(模様)・わたり音・入れる・着物」という意味でしょう。上川地方のイヨイミなどもこれと同じで、装飾のある衣服全般を指して用いられています(→付記)

 沙流川流域では、黒裂置文衣に複数の名称があてられていますが、これは先に見た様に、同じ着物を異なった視点から名付けているためです。

 

2.「サクリ」と「チチリ」

 

 虻田町から様似町までの地域にはサクリやチチリ/チンチリという名称が使われています。これらは北陸から東北地方で盛んに作られた「裂織(サックリ、シャックリ、サッコリ)」や「つづれ」が借用されたものだと言われています(→リンク1 →リンク2)。『日本民俗大事典』上巻の「裂織」の項、「サックリ」の項には次のように書かれています。

 さきおり 裂織 古布を細く裂いて紐状にしたものを緯糸に使って織った織物。経糸は樹皮・草皮繊維や綿糸など。裂織で作った衣服をサッコリ、サックリ、ツヅレなどと呼ぶ。綿の栽培に適さなかった北陸から東北地方では、日本海を北上する船が運んできた、西日本の古着をほどいて刺子や裂織にして衣服を再生した。裂織の仕事着は、漁師や木挽きなどの戸外の過酷な労働の体の保護、防寒用として長く使用されてきた。(p688)

 サックリ サックリ 布地の中でも縦緯とも同じ太さの糸で、特に粗い布質に織られたものの総称。利用された素材は選ばないのふつうとする。したがって、麻をはじめ、フジなどの自生植物による布地で、太い糸質のものは、ある時点まで多くの地方でサックリと呼んでいた傾向がみられる。対して、細い糸質の布地を、ヌノとかノノといって区別していた。サッコリ、シャックリなどの呼び方があるほかに、利用した緯糸の素材を冠するノノサックリ、オクソザックリ、それにモメンサックリ、カナサックリまで登場する。この分布は、日本海側の方に多くみられ、太平洋側では東北地方を除くと少なくなる特色がうかがえる。中でも、オクソザックリは、麻やイラクサなどのオクソを緯糸にしたので経糸より太く、糸というよりは紐に近く織り上りは厚手のものになる。その折、表皮の層は叩いて毛立たせているので、ネル地の感触をもち、冬期の衣類に最適の布地となっていた。モメンサックリはこの応用で、経糸は昔のまま麻などを用い、緯糸の素材には使い古した木綿の布地を細く裂いて織り込む。このひも状とする緯糸の製法により、裂織の名称が江戸時代に導入され、以来、サックリと混同される傾向が多少ある。各サックリとも、長着物や、各種の二部式の仕事着にも利用したが、やがて、ソデナシ系に残るのみとなり第二次世界大戦後を境に次第に消滅してしまった技法である。(pp.700-701)

 

 つまり、サックリ等と呼ばれる物には綿布を再生したものと、太布(たふ)と呼ばれるアサ、カラムシ、フジ、クズ、コウゾ、シナなどの自製素材で織られた物が含まれることになります。新潟県立博物館にはフジ製のツヅレも収蔵されており、サックリと同様にツヅレも様々な素材の衣服を指して用いられるようです(http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/146155)。

 前出報告書のなかで、浦河地方と十勝地方の女性がサクリについてコメントしています、それによれば、樹皮製の生地に似た東北地方のサクリ(縞もの)を取り入れたので、名称もサクリというようになったということです。また児玉マリ氏は、静内地方で特に厚手の縞木綿を指してサクリと呼ぶことを指摘しています。木綿を使ったサックリは、元の布地の柄によって美しい縞模様になりますので、静内、浦河、十勝地方での用法と合致します。また、本州においても北陸・東北の人々にとっては新しい綿布はなかなか手に入らず、古着をほどいて剥ぎ合わせる、紐にして織るなど、苦心しながら利用していたことを考えれば、アイヌ社会に最初に運ばれてきた木綿には、こうしたツヅレやサックリが多く含まれていたと考えるのが自然でしょう。

 改めて表2を見ると、チチリ・チンチリの名で呼ばれる衣服には無切伏刺繍衣と黒裂置文衣が含まれます。これは、どちらもツヅレを素材として製作されたことがあったためでしょう。こんにちではチチリ・チンチリといえば「刺繍のみで装飾する」という技法を指して用いられる事がほとんどですが、本来はこうした外来の素材名に基づいた名称であったと考えられるのです。

 

3.ルウンペとカパラミプ

 

 ルウンペの解釈については、門別地方の話し手が「ru=裂または文様のこと」だとコメントしています。つまり「ru-un-pe(裂・がある・物)」という解釈になり、装飾の技法を表す名称だということになります。

 それに対し、カパラミプは「kapar-amip 薄い・着物」という性質にもとづく名称です。アイヌ文化には「薄い物=上質な物」という価値観があります。これは、木製品にせよ布にせよ、薄く仕上げるためには良い素材と高い技術を要するという背景があり、したがって「薄い着物」とは同時に「上質な着物」をも意味するのです。また、この名称で呼ばれる着物は袷ではなく「単衣(ひとえ)」になっています。木綿が流入した当初は端切ればかりだったことを考えれば、つぎはぎをする(=厚くなる)ことなく使える大きな一枚布は貴重な素材でした。この面からも「薄い=上質」という価値観が生まれてくることがわかります。

 ルウンペという名称を用いるのは、先の調査では虻田地方と白老地方のみで、日高・門別地域では両者合わせてカパラミプまたはカパリミと呼んでいます(ただし、この地域ではどちらも「他地域の着物」という意識が強いようです)。

 児玉氏が立てた類型のうち、黒裂置文衣と色裂置文衣、白布切抜文衣は、切伏をするという点において技術的に共通性を持っています。それにも関わらず、色裂置文衣と白裂置文衣が同じ呼称で呼ばれるのは、この2タイプが比較的新しい時期に成立したことによるのかも知れません。

 例えば、上川地方の聞き取りでは、古い時代から着られていたのは樹皮衣、黒裂置文衣、刺繍衣だという証言があります(p58)(注1)。また、静内地方や浦河地方以外で白布切抜文衣があまり用いられなかった理由としては、白木綿を多用した衣服が、葬儀の際に死者に着せる衣服を連想させることが挙げられます。日高地方や釧路地方では、そうした理由によって白布切抜文衣を忌避する意識が見られます(p33、p72)。

 

おわりに


 ところで、チチリの説明でも述べた様に、これまで取り上げてきたチカラカラペやカパラミプ、ルウンペといった呼称は、こんにちでは以前と少し違う意味で、具体的には「チチリ=無切伏刺繍衣」「チカラカラペ=黒裂置文衣」「ルウンペ=色裂置文衣」「カパラミプ=白布切抜文衣」に対応する名称として用いられています。

 児玉作左衛門氏は、前出の報告書において各地域の名称の用いられ方を詳細に記す一方、そうした名称の多様さが調査においては混乱の一因となると考えていたようです。そうしたことから、上記の日本語による4つの名称を設定し、それにアイヌ語で「標準名」を付けた、名称の選択にあたってはそれぞれの様式の中心地の名称を採用したと書いています(p28)。これまで見てきたように、チチリ、チカラカラペ、ルウンペ、カパラミプの名称は、素材、装飾の有無、製法、上質さといったそれぞれ異なる属性にもとづいて付けられていました。それに対し、児玉氏は、一度そうした元の意味からは離れ、それぞれの製作技法で作られたものを限定的に指す名称として用いることを提唱しました。これは、アイヌ語を元にして、研究上のターム(用語)を作ったということです。

 アイヌ文化研究のタームとしてアイヌ語を使うということは自然な発想でしょう。ただ、児玉氏の意図をよく理解した上で用いなければ、こうした4類型がどこの地域にも存在し、それらのアイヌ語名称も技法と一体のものとして用いられて来たかのような誤解の原因ともなります。研究用語は、作られてから時間が経つと独り歩きをし、当初込められていた意味とはズレが生じることが往々にしてあります。この記事を執筆するにあたり、私自身も改めて自分の思い込みを知り、研究史を知ることの必要性を再認識しました。

付記:イヨイミ・イヨアミプに類する語彙として、J.バチェラーの辞書p217に「iyo-attush, イヨアッツシ, 日本の布にて飾りし衣服.n.A cloth garment trimmed with Japanese stuff.」とあるのを見つけました。

 

注1)『アイヌ語千歳方言辞典』のチカラカラペの項にも、刺繍を施した衣服であり、千歳地方の着物はもとは全てこの形式であったという記載があります。

 

参考文献
萱野茂
1978『アイヌの民具』アイヌの民具刊行運動委員会。

金田一京助・杉山寿栄男
1993(1941)『アイヌ芸術 服装編』北海道出版企画センター。

久保寺逸彦
1977『アイヌ叙事詩神謡・聖伝の研究』岩波書店。

久保寺逸彦編
1992『アイヌ語・日本語辞典稿』北海道教育委員会。

児玉作左衛門ほか
1968「アイヌ服飾の調査」『アイヌ民俗調査報告書』北海道教育委員会。

児玉マリ
1984「概説 アイヌの装い」『第25回特別展目録 アイヌの装い―文様と色彩の世界―』北海道開拓記念館。
1985「アイヌ民族の衣服と服飾品」『北海道の研究 第7巻 民俗・民族篇』清文堂。
1991「アイヌ民族の衣服」『第8回企画展アイヌの衣服文化―着物の地方的特徴について―』財団法人アイヌ民族博物館。

知里真志保
1973a(1944)「樺太アイヌの説話(一)」『知里眞志保著作集』1 平凡社。
1973(1960)「アイヌに伝承される歌舞詩曲に関する調査研究」『知里眞志保著作集』2 平凡社。
1975(1954)『分類アイヌ語辞典 人間篇』『知里眞志保著作集 別巻Ⅱ』 平凡社。
1987(1953)「樺太アイヌの神謡」『北方文化研究報告』第4輯思文閣出版。
福田アジオ・新谷尚紀・湯川洋司・神田より子・中込睦子・渡邉欣雄(編) 
1999『日本民俗大事典〈上〉』吉川弘文館。

津田命子
2008『アイヌ刺しゅう入門 (チヂリ編)』クルーズ。
2010『アイヌ刺しゅう入門(カパラミプ編)』クルーズ。
2011『アイヌ刺しゅう入門(ルウンペ編) 』クルーズ。

 

(きたはら じろうた)

 

[シンリッウレシパ(祖先の暮らし) バックナンバー]

第1回 はじめに|農耕 2015.3

第2回 採集|漁労   2015.4

第3回 狩猟|交易   2015.5

第4回 北方の楽器たち(1) 2015.6

第5回 北方の楽器たち(2) 2015.7

第6回 北方の楽器たち(3) 2015.8

第7回 北方の楽器たち(4) 2015.9

第8回 北方の楽器たち(5) 2015.11

第9回 イクパスイ 2015.12

第10回 アイヌの精神文化 ラマッ⑴ 2016.1

第11回 アイヌの精神文化 ラマッ⑵ 2016.2

第12回 アイヌの精神文化 ラマッ⑶ 2016.4

第13回 アイヌの精神文化 ラマッ⑷ 2016.5

 

 

 

 

 

《図鑑の小窓14》「樹木神の人助け」事件簿

 

 文・写真:安田千夏

 

 アイヌ文化においては生物神がその信仰において重要な地位を占めています。樹木もまた神様であり、儀式やおまじないの時に主神として祈られます。口承文芸の散文説話というジャンルにおいては身の安全を火の神様に頼むという描写がよく出て来ますが、それだけに留まらず野外で危ない目に遭ったときには水の神や木の神に助けを求めて祈るとも描かれています。神々は人間が危ない目に遭ってもうっかり見落としているという場合がしばしばあるものの、基本的には人間の様子を見守ることが大事な神様としてのお仕事なので、危ないときには手を貸してくれる心強い存在なのです。

 そうは言っても樹木神は自分自身では動くことができません。しかし散文説話でしばしば語られている「樹木神の人助け」のお話。樹木神は様々な悪神に襲われる人間を一体どのような方法で助けるのでしょうか。今回はアイヌ民族博物館の散文説話資料の中から3種の樹木神の人助け事件簿を見ていきたいと思います。

 

case1.「エゾマツの女神と魔鳥」


 川上まつ子伝承 C150_34626A_34626B

 参考※上田トシ伝承 C227_35298A_35298B

・事件に至るまでの経緯:事件現場は石狩川筋。主人公は中流の村長の息子(以下Aとする)。旧知の仲である下流の村長の息子(以下Bとする)が行方不明となるので、Aが山へ探しに行く。

・主犯:ケソラプという巨大な魔鳥。Bに痴情を抱き山で道に迷わせ記憶や言葉を奪い、殺してその魂を神の国へ連れて行き自分のものにしようとたくらみ犯行に及ぶ。

・救済方法:ひときわ高いエゾマツが、山で何もわからくなったBを助けるため自分の枝を下げて家のようにし、その中でBをかくまう。AがBを探しに来て、エゾマツの家の中にいるBを発見する。Aが供物を捧げてエゾマツに祈ったところ、夢にエゾマツの女神が現れて頼りになるAを呼び寄せたことが判明、ケソラプを特別な弓矢で射るように指示。Aはいわれた通りにBをつけ狙いエゾマツの上にとまったケソラプを倒し、Bを家族のもとに連れて帰る。

・事件の解決:ケソラプがAに夢を見せる。「矢で射られて痛かったけど、これからもBをつけ狙う」と宣言。それによりBの家族は激怒し、神々へ抗議の祈りを捧げる。それによりケソラプはやっとBのことをあきらめる。以後AとBは親交を持ち、エゾマツ神へ感謝の祈りを捧げながら幸せな人生を送る。(伝承地域:沙流地方)

▲写真1 エゾマツの葉(デジタル図鑑より)

 

case2.「イヌエンジュの神に助けられた娘の話」


 織田ステノ伝承 C043_34151A_34151B

 参考:織田ステノ C068_34180A_34180B

・事件に至るまでの経緯:事件現場はイペッという名の川筋。主人公はある村で両親が早死にしてしまい、兄とふたりで暮らす若い娘。年頃になると兄が離れた村に暮らす会ったこともないいいなづけのところへひとりで訪ねて行けと盛んに勧めるようになり、嫌な思いをしながら暮らしていた。

・主犯:赤まむしの大蛇。娘に痴情を抱きつけ狙う。兄にいいなづけのもとへひとりで行くようにと言わせたのもおそらくこの悪神である。

・救済方法:ある時娘の夢にイヌエンジュの神が出て来て、赤まむしの大蛇が狙っていることを知らされる。訪ねて行く途中で襲われたら近くにあるひときわ立派なイヌエンジュの木のまわりを回りながら逃げなさいと教えられ、兄には何も告げずに出かけて行く。イヌエンジュの神に知らされた通りに襲われたので、木のまわりを回って逃げる。まむしは木の神に何度もかみつき、除魔の効果があるにおいを体内に取り込んだために死んでしまう。娘は泣きながらいいなづけの家に辿り着く。

・事件の解決:いいなづけの家の人がイヌエンジュの神のところへ行き、感謝の祈りとともに悪神の攻撃で傷ついた樹皮の再生のために木幣を捧げる。娘はいいなづけと共に兄のところへ戻り、全てを話す。以後娘はいいなづけと結婚して嫁ぎ先の村で暮らし子宝に恵まれ、結婚した兄の一家とは親交を持ちつつ幸せな一生を送る。(伝承地域:静内地方)

▲写真2 芽吹きの葉が白く輝いて見えるイヌエンジュ

 

case3.「パナウンペとハルニレの木」

 

 織田ステノ伝承 C023_34127A

 参考:織田ステノ伝承 C034_34144B_34157A

・事件に至るまでの経緯:主人公はパナウンペ(川下の者)というアイヌ口承文芸では有名なキャラクター。ペナウンペ(川上の者)と共に自分たちがどうして生まれて来たのかもわからず、道具というものを知らずに獲物をこぶしで殴りつけては殺し、むしって食べていた。

・主犯:山裾に住むクマ神。獲物に対するふたりの礼儀がなってないので激怒。山や海の悪神に加勢を頼み、大きなクマの姿になってふたりを襲って来る。

・救済方法:ふたりがクマから逃げる途中、ペナウンペの姿が見えなくなる(過労死案件?)。パナウンぺがひとりで何日も逃げ続けると、湿地の真ん中に大きなハルニレの木が立っているのが見えたので助けを求めながらその木に登って行くと、追いかけて来たクマがハルニレに触れたとたんに死んでしまう。

・事件の解決:木の上からハルニレの神の声が聞こえて来て、ふたりが生まれた理由、神である獲物に対する礼儀、悪神を罰したことなどを教える。その後はパナウンぺはハルニレ神に教えられた場所に家を造り、きちんとした作法で儀式を行い獲物の魂を送るように心がける。家のまわりには徐々に人が移住して来て村ができたので、ハルニレの神の教えを伝えながら暮らし、結婚して幸せな一生を送る。(伝承地域:静内地方)

▲写真3 葉が出るとすぐに開花し実をつけるハルニレ 

▲デジタル絵本「パナウンペとハルニレの木」

 樹木神は人間との意思疎通を図り、人間の側をうまく動かすことによって助けているということがわかります。エゾマツ神然り。イヌエンジュ神は魔を祓う力がある自らの臭気を悪神に取り込ませるために自分をかじらせる目的で主人公を動かすという、かなり凝った技を使っています。また別の話ではイヌエンジュが「私をかじって!」と人間に語りかけ、言われた通りに人間の側が木にかじりつきその臭気を取り込んだことで悪神に打ち勝つという話もあります(C037_34147A)。そしてハルニレ神の救済は圧巻。木に触れただけで悪神が死んでしまうという、何をどうしたのかは人間風情には想像もつかないような力を発動しています。

 アイヌ民族博物館資料には、他にもナナカマドミズナラヤナギ類がそれぞれの特徴を活かした人助けをしたという話が採録されており『アイヌと自然デジタル図鑑』でそのあらすじが公開されていますので、どのような話か興味のある方は樹名で検索してみてください。

 『デジタル図鑑』の資料だけではなく過去に出版された資料の検証結果と併せて考えてみると、人助けをする樹種は高木類が圧倒的に多いのです。低木類が人助けをした話はないわけではありませんが、再録例がわずかです。基本的には樹木神が人助けをする力を発揮するのはアイヌ語でポロ(大きい)、ルウェ(太い)、イパシピリカ(立ち姿が良い)などの樹相表現で語られ、実際にある程度の大きさを伴っていたことがわかります。でもそれが必ず巨木といえるかというと、樹木のラインアップを見る限りにおいてはそうではないようで、そこには和人文化の巨木信仰とは異なるアイヌ文化独特の木の神様についての考え方があったように見えるのです。

 見慣れているはずの木々が全く違う姿で見えて来るアイヌ口承文芸の世界。その視点での自然散策はこの季節のお勧めです。何かを知らせてくれるそのささやきに耳を澄ませながら歩いてみませんか。

 

 (本稿は本年6月4、5日に北海道大学で開催された日本口承文芸学会大会での筆者の研究発表「アイヌ樹木神伝承についての再考」の内容を一部アレンジして再構成したものです。)

 

※アイヌ民族博物館資料は同一話者、もしくは異なる話者により同内容の話が複数回採録されていることがあり、内容も少しずつ異なっています。本稿の各case冒頭でC150_34626A_34626Bのような記号で書かれているものは博物館の資料整理番号で、最初に記した番号が事件簿化の元になった資料であり、「参考」とあるのは同内容の伝承の別録音。内容の参考に留めたということを示しています。

 

(やすだ ちか)

 

[バックナンバー]

《図鑑の小窓》1 アカゲラとヤマゲラ 2015.3

《図鑑の小窓》2 カラスとカケス   2015.4

《図鑑の小窓》3 ザゼンソウとヒメザゼンソウ 2015.5

《自然観察フィールド紹介1》ポロト オカンナッキ(ポロト湖ぐるり) 2015.6

《図鑑の小窓》4 ケムトゥイェキナ「血止め草」を探して 2015.7
《自然観察フィールド紹介2》ヨコスト マサラ ウトゥッ タ(ヨコスト湿原にて) 2015.8

《図鑑の小窓》5 糸を作る植物について 2015.9

《図鑑の小窓》6 シマリスとエゾリス 2015.10
《図鑑の小窓》7 サランパ サクチカプ(さよなら夏鳥) 2015.11

《図鑑の小窓》8 カッケンハッタリ(カワガラスの淵)探訪 2015.12

《図鑑の小窓》9 コタンの冬の暮らし「ニナ(まき取り)」 2016.1

《図鑑の小窓》10 カパチットノ クコラムサッ(ワシ神様に心ひかれて) 2016.2

《図鑑の小窓》11 ツルウメモドキあれこれ 2016.3

《図鑑の小窓》12 ハスカップ「不老長寿の妙薬」てんまつ記 2016.4

《図鑑の小窓》13 冬越えのオオジシギとは 2016.5

 

 

 

 

 

《伝承者育成事業から》今月の新着自然写真「私の一枚」(春のポロト湖)

 

 アイヌ民族博物館で行われている伝承者(担い手)育成事業受講生の新着写真等を紹介します。

▶木幡弘文の一枚

▲和名:コゲラ アイヌ名:エニコカラセプ(木のまわりをまわるもの)

 

このアイヌ名は屈斜路での呼び名だそうで、名の通り木の周りを回っていました。

そのおかげでカメラに写すのが少し大変でした。

実はコゲラも頭に赤い部分があると聞いて驚きました。

見るには怒ってトサカを立てた時だけみたいですから

見れなくても良いのかもしれませんね。

(木幡弘文)

木幡弘文のアルバム

 

▶新谷裕也の一枚

▲ハリギリ

 

春になり、とうとう葉が開いてきました。葉が開く前の若芽はタラノキの若芽の様に食べる事ができます。幹に棘がついているので、触ると痛いのですが、大きくなるにつれて棘は劣化し、無くなっていきます。この棘があるという特徴から、アイヌ語でayusni(アユシニ)と呼ばれ、ay(棘)us(ある)ni(木)と呼ばれます。ハリギリはとても大きくなる木なのでアイヌ文化では臼の材料やお盆等の様々な木彫をするのに用いられました。

(新谷裕也)

新谷裕也のアルバム

 

▶中井貴規の一枚

▲ケヤマハンノキ

 

5月上旬に採取したケヤマハンノキの枝です。

採取したときには、枝に花も葉もついていませんでした。

しかし、それから数日間、乾燥させるために私たちの研修室に置いておいたところ、

このように葉が出ていました。

素晴らしい生命力に、心を動かされました。

 

(中井貴規)

中井貴規のアルバム

 

▶山本りえの一枚

▲アオジ アイヌ語名:ムルルンチカプ

 

人目につきやすい夏鳥です。ムルルンチカプという名前は「もみがらの中にいる鳥」という意味だそうです。

ピピピ ピーチュルチュル ピピピという鳴き声で、なんとなく機械の音みたいです。スズメみたいに小さいですが、お腹の黄色が特徴です。

(山本りえ)

山本りえのアルバム

 

▶山丸賢雄の一枚

▲ヤマブドウの新芽 アイヌ語名 ハッ hat 

 

ヤマブドウの新芽が出ていました。新芽はきれいなピンク色をしていてかわいらしかったです。生のまま少しちぎって食べてみると酸味がありました。アイヌ文化でも生の若い葉や茎をむいて食べると言われています。一度食べてみたいですね。

(山丸賢雄)

 

山丸賢雄のアルバム

 

▶山道ヒビキの一枚

▲和名:ヒバリ アイヌ名:チャランケチリ(抗議する・鳥)

 

ヨコスト湿原でいまにも飛び立ちそうなヒバリちゃんと出会いました。

アイヌ文化では、特徴的な鳴き方に意味があると言われています。

一説によると、ヒバリが天界の神に命令されて、役目を持って地上に降りてきた。

だがあまりにも地上が美しいので、つい遊びすぎてしまった。

そして慌てて天上世界に帰ろうとしたところ、神の怒声が聞こえてきた、

「この怠け者!もう帰ってくるな!」と...驚いたヒバリは「それはあんまりだ」

と言って飛びながら神に抗議をしているそうだ。だからあの鳴き声なのね、と納得です。

また、神に抗議をしている声は聞きなしとしても伝承されています。

沙流川流域に

ハントイ キナ カー コッケウ ナッキ 

ピラ ピラ トイ ピラ ラーチューラ テッ 

チウ ピシカン チャー ケレレー ウッポー

テン テン カラカラ チクチク

というヒバリの早口言葉があります。

おもしろいので練習してみてくださいね。

 

山道ヒビキのアルバム

 

 

《伝承者育成事業から》今月の新着自然写真「私の一枚」 バックナンバー

6月号 2015.6

7月号 2015.7

8月号 2015.8

9月号 2015.9

10月号 2015.10

11月号 2015.11

1月号 2016.1

5月号 2016.5

 

 

《伝承者育成事業レポート》

女性の漁労への関わりについて 2015.11

キハダジャムを作ろう 2015.12

《レポート》ウトナイ湖野生鳥獣保護センターの見学 2016.2

《レポート》アイヌの火起こし実践ルポ(前編) 2016.3

《レポート》アイヌの火起こし実践ルポ(後編) 2016.4

 

 

 

   

 

 

 

 

 

《儀式見学の予備知識1》式場とマナー

 

 文:安田益穂

 

1. はじめに

 

 前回、4月30日に開催された春のコタンノミ(集落の大祭)についてご報告しましたが、そのコタンノミの準備中のこと、式場となるポロチセで炉かぎに酒粕を盛っていると、「その白いのは何ですか?」と熟年夫婦の見学者の方から質問がありました。確かに見ただけでは、それが前日酒こしをしてできた酒粕(シラリ)であることも、炉かぎの女神(スワッ カッケマッ)に捧げる供物であることも、わからなくて当然です。

▲写真1 トゥナエトゥ(炉かぎを下げる横木の鼻先)にシラリ(酒粕)を盛る


 また、4月30日付のコタンノミ開催を知らせるフェイスブックの記事には「写真の説明お願いします(^^)」とコメントがありました。

▲写真2 フェイスブックの記事


 アイヌの儀式は目にもめずらしく興味を引きますが、写真から分かることは限られています。こうした問いに答えるのが博物館の仕事だろうと思いますが、実際の儀式の中やSNSで解説するのには限界があり(注1)、必ずしも十分な対応ができていないのが現状です。

 スポーツ観戦でもルールがわからないと楽しめませんね。その点は儀式見学も同じだろうと思います。そこで今回から数回に分けて、儀式見学に必要な予備知識について、できるだけやさしく解説を試みたいと思います。

 

2.いろいろな儀式

 

 本題に入る前に、まずどんなアイヌ儀式(一般に「カムイノミ」といいます)があるのか、ここ20年の間にアイヌ民族博物館で行った主な儀式を以下に示します。特に大きな儀式は①⑤⑨で、大部分は見学可能です。

儀式の名称

伝統的な実施時期

近年の当館の実施時期

①コタンノミ(春秋の大祭)

春秋の年2回

同左(4月末〜GW中/11月初め)

②チュプカムイノミ(月例の儀式)

——

毎月1日(1月は③)

③アシリパノミ(正月の儀式) (正月) 正月(1月6日)

④シンヌラッパ(先祖供養)

大祭に併せ、
または単独で

①⑤⑨などの大祭に併せ、及び
お盆過ぎ(8月17日)に単独で

⑤イヨマンテ(熊の霊送り)

飼い熊が2歳前後に達した冬

飼い熊が死んだ時(成獣も)

⑥ペッカムイノミ(鮭の豊漁祈願祭)

毎年、鮭の漁期の初めに

同左(9月上旬)

⑦チプサンケ(舟下ろし)

新たに舟を作った時

新たに舟を作った時、及びコタンノミの午後(湖水開きの意味で)

⑧チセコテノミ(地鎮祭)

家を建てる前

⑨チセノミ(新築祝い)

家が完成した時

⑩シリカプ(メカジキ)送り

漁があった時

8月17日の場合が多い

⑪イワクテ(物送りの儀式)

古くなった舟や家財道具などを処分する時

⑫アフプカラ(結婚式)

随時

⑬家の守護神を祭る儀式 男性が独立して家を建てた時など 儀式に使う家を新築した時など

⑭ウニウェンテ(魔払いの儀式)

火災や事故死など、凶事があった時

  ※日程は変更する場合がありますので、見学希望の方は当館ホームページ等でご確認下さい。

 

 当館の儀式は、伝統的な神事であると同時に博物館事業でもあります。伝承保存に重きを置きながらも、見学者や参加者の利便を考慮したり、観光イベント的な色合いを帯びた儀式も少なからずあります。また、②③のように現代の新暦に基づく儀式もあります。当館の儀式は、かつてアイヌ集落で行われていたものと全く同じというわけではありません。

 ただ、アイヌの儀式は元々決まった経典があるわけでもなく、専門の神主がいるわけでもありません。イヨマンテ(熊の霊送り)など名のある儀式がある一方、毎朝夕の家庭内の祈りから、出漁(猟)、旅行、病気、木を切るなどの作業の前後など、随時自分の口で神々へ祈願と感謝を伝えるスタイルで、臨機応変な部分が少なくありません。またお酒や獲物、ご馳走が手に入ったからコタンの人々を招いて儀式や祖先供養をするということも普通でした。ですから現代日本の暮らしの中で正月やお盆、月初めなどに儀式が定着しても、ごく自然なことだろうと思います。

 この連載では、①コタンノミ、②チュプカムイノミを中心に取り上げます。最も見学が容易ですし、内容も最も一般的な儀式だからです。

▲写真3 毎朝夕主人が単独で家庭で行うカムイノミ。主人が酒杯を手に火の神へ祈り終えて、妻にパケシ(お流れ)を渡す。(満岡伸一『アイヌの足跡』より)

 

3. 式場

 

▲写真4 ポロチセ(式場)

 当館の儀式の主会場となるのはポロチセ(大きい家)です。儀式によって、たとえばペッカムイノミ(鮭の豊漁祈願)であれば河口、チプサンケ(舟下ろし)であれば湖畔というように、別に式場を設けるような場合もありますが、その場合もまずはポロチセで「これから△△の儀式を行いますので、神々によろしくお伝え下さい」と火の神へ祈ってから向かいます。したがってどんな儀式でも本拠はポロチセです。

 昔のコタン(アイヌ集落)では、その中心にひときわ大きい家(ポロチセ)があって、コタンコロクル(村おさ)の住居と儀式場、集会場をかねていたそうです。当館のポロチセは復元家屋で人は住んでいませんが、やはり5軒並んだ茅葺き家(チセ)の真ん中に位置しています。(→案内図

▲写真5 アイヌ民族博物館のコタンゾーン。3軒目がポロチセ。

 チセはどれもほぼ同じ形をし、同じ向きに建っています。この向きにも意味があります。白老や日高地方ではどの家も東西に長い長方形をしていて、家の西側にある玄関(セム=物置を兼ねる)から母屋に入ると、中央に炉があり、突き当たり(東)に神窓(ロルンプヤラ)、神窓の更に東外に祭壇(ヌサ)があります(図1参照)。

 これらの地方では東が神のいる方角とされていて、室内では東側が上座、西側が下座になります。また南北では、北側が上座、南側が下座になります。ですから東西、南北の両軸が交わる北東隅はソパ(上座)といって室内で最も上座になり、イヨイキリ(宝物置き場)には家の守り神や、宝物である漆器類などが大切に飾ってあります。

 現在の日本でも、宴席の上座下座とか、応接セットの座る場所など、知らないと恥をかいたり礼を失する場合がありますが、アイヌの儀式の場合も同じです。座や空間の話はどこかに「上座」「下座」「立入禁止」と書いてあるわけではなく目に見えないルールなので、ぜひ知っておきたいところです。以下の図1にまとめましたので、頭の片隅に入れておいて下さい。

▲図1 式場の配置(ポロチセ)と見学場所

 

▲写真6 室内の様子。(入口から神窓に向かって)

 [室内]

 儀式は炉火(火の神)を中心に行われます。炉(アペオイ)から神窓にかけて男性が2列に向かい合って列座(ウエソプキ)します。先述の通り室内は神窓の方が上座でしたが、列座の序列は逆に炉に近い方が上位で、祭主や主賓などが座を占め、神窓に行くにしたがって下位になります。

 炉が儀式の中心になるのは、火の神(アペフチカムイ=火のおばあさん神)が儀式で最も重要な神だからです。火の神は人と神々を仲介する役割を持つとされ、どんな儀式でも祭主が火の神の前に座り、最初に火の神に祈ります。火の神なしには儀式は成立しません。

 [神窓の外 ヌサ]

 一方、神窓の外にはヌサ(祭壇)があってイナウ(木幣)が林立しています。集落や家系によって違いがありますが、当館の場合には14神を祭っています。白老では②ポロヌサ(大きい祭壇)、①ポンヌサ(小さい祭壇)、③シンヌラッパ(祖先供養)を行うヌサ(注2)があります。これら神窓と祭壇の間は儀式のための神聖な空間で、むやみに立ち入ってはいけません。

▲写真7 ヌサ(祭壇)。右から順に、②ポロヌサ(大きい祭壇)、①ポンヌサ(小さい祭壇)、③シンヌラッパヌサ(祖先供養の祭壇)。

 

4.見学者が座って良い場所、入ってはいけない場所

 

 図1にある通り、見学者は下座の壁際に座ります(図中の緑色のエリア)。すると下座ばかり混み合うわけですが、だからといって上座に座ることは避けなければなりません。ですからポロチセ内での儀式は70人ぐらいが見学者数の上限かと思います。

 一方、赤色の破線で囲った部分は立ち入ってはいけない場所です。上座であり、神々を祭る神聖な場所だからです。室内では上手の炉(注3)から東側(上手)が立ち入り禁止ですが、これは儀式の時に限った話で、通常の見学時には上座へも自由に立ち入ることができます。

 野外では、家の東側にあるヌサ(祭壇)の一帯が立ち入り禁止です。先祖供養(シンヌラッパ)の時には祭壇③シンヌラッパヌサの前は見学者の皆さんも立ち入りできますが、その際も家の北側を通らなければならず、家の南からヌサを横切ってはなりません。普段はヌサには立ち入れないようにロープが張ってあります。

 

5.その他、儀式見学のマナー

 

 儀式に臨むにあたっていちばん大事なのは「オリパク」の精神です。「畏れ慎む」「敬う」などと訳されますが、神事に厳粛な態度で臨むということです。アイヌ民族が大切にしてきた価値観を尊重し、大切なものに気安く触れない、大切な場所に踏み入らない、私語や物音で祈りを妨げない。堅苦しく考える必要はないのですが、儀式の場であるということを忘れず、常に心の中に置いておきたい言葉です。

 [窓から覗かない]……図1に赤字で記入しましたが、アイヌの風習では窓から覗くことはタブーとされます。特に神窓から覗くと昔は裁判沙汰(チャランケ)になり賠償(アシンペ)を取られたりすることもあったといいますが(2015年10月号「非礼なこと」参照)、その名残りで今でも窓から室内を覗くと注意される場合があります。注意された見学者はわけがわかりませんからさぞかし不愉快だろうと思いますが、神窓は神様専用の窓で、人が覗くことは大変恐れ多いことです。ぜひご注意下さい。

 [式場を横切らない]……普段はチセ内は自由に歩き回って見学できますが、所定の場所に模様入りのござ(チタラペ)が敷かれたらチセ内は儀式モードになります。炉から神窓のラインは神々の言葉やお神酒、供物が行き来する通り道。横切ってはいけないルールです。面倒でも炉の下座側(入口側)を回って下さい。

▲写真8 花ござが敷かれた式場は、左右を横断してはいけない。炉の下座側を回るのが原則。

 [儀式中は座り、むやみに立ち歩かない]…… 式場に入ったら帽子をかぶっている人は帽子を取り(注4)、所定の場所(図1の緑色のエリア)に座って下さい。儀式中に立ったままでいること、歩き回ることは避けなければなりません。写真撮影をする場合も座ったその場で行って下さい。儀式は長いですから中途退席したい場合もあると思いますが、祈りの最中は移動や退出は極力避け、祈りと祈りと間に行って下さい。通常、儀式は数分間の祈りが数回繰り返されますが、祈り終えれば酒杯が列座した男性から女性たちへ、更には見学者の皆さんにパケシコレ(お流れを渡す)され、また祈り手に戻されるということが繰り返されます。この間は動きが増え、静寂が崩れますので、見学者の方々も頃合いを見計らって移動・退出することが可能です。

 [写真・ビデオ撮影等]…… 写真撮影は原則としてOK(フラッシュ不可)、ビデオ撮影は儀式によりますので係員に確認して下さい。また入口で可否を表示してある場合はそれに従って下さい。いずれも個人的な利用に限り、インターネット等で人の顔が判別できる状態で公開することはトラブルの元になりますから避けて下さい。また、前項と重複しますが、撮影のため式場を頻繁に移動すること、立入禁止エリアに入ること、フラッシュの使用、連写のシャッター音などは儀式の妨げになりますので避けて下さい。

 ヌサ(戸外の祭壇)での撮影は、これも立入禁止エリアの外から撮影して下さい。ヌサの裏側から祈りの様子を撮影する人が時々ありますが(確かに良いアングルで撮影できますが)、残念ながらこれも禁止です。

 その他は公共のマナー全般と共通することですので常識的に判断して下さればOKです。皆さんの儀式見学がぜひとも楽しいものとなりますように。

 次回は、「何に祈るのか」、祭神や祭具の話を中心に書く予定です。

 

 

注1)当館のSNSのサイトポリシー は次の通り定めており、今後も原則としてコメント欄での質問には答えられない。ただし内容によっては本稿のように間接的に答えることはありえる。

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……

(3)注意事項
・当アカウントへのコメントに対する返信は原則行っておりませんので、あらかじめご了承ください。

注2)満岡伸一『アイヌの足跡』によれば、もともと白老ではシンヌラッパ(祖先供養)をする場所は決まっていたが、ヌサと言えるものはなかったという。現在の③シンヌラッパヌサは、1994年に藤村久和氏(北海学園大学教授=当時)の指導でイヨマンテ(熊の霊送り)を実施した際に追加し、1996年末のポロチセ火災を経て1997年に再建された。

注3) 当館のポロチセには炉が2つあるが、これは1997年にポロチセを新築した際に藤村久和氏の進言で設けたもので、古いポロチセは炉は1つだった。一般的には1つだが、実際に複数の炉があるチセも記録には残っている。儀式では入口側(下座)の大きな炉を主に使い、上座の炉はその周囲に座った人が捧酒する程度である。

注4)2015年10月号「非礼なこと」参照。「⑴コンチなどの被り物をかぶって人の家に入ってはならぬ。戸外でとって入る」とある。最近は室内でも帽子を取らないことがファッションとして広く受け入れられているが、年配者から注意される場合があるので式場では脱ぐ方が良い。

 

参考文献

アイヌ民族博物館『伝承事業報告書 ポロチセの建築儀礼』(アイヌ民族博物館、2000年)

久保寺[1969]「挨拶・礼儀・作法」『アイヌ民族誌 下』(『久保寺逸彦著作集2』草風館、2004所収)

満岡伸一『アイヌの足跡』1924年初版、2003年改訂9版、アイヌ民族博物館→ミュージアムショップ通販

 

(やすだ ますほ)

 


 

[トピックス バックナンバー]

1.「上田トシの民話」1〜3巻を刊行、WEB公開を開始 2015.6

2.『葛野辰次郎の伝承』から祈り詞37編をWEB公開 2015.9

3.第29回 春のコタンノミ開催 2016.5

 

 

[資料紹介]バックナンバー

1.映像でみる挨拶の作法1 2015.10

2.映像でみる挨拶の作法2「女性編」 2015.11

3.映像で見るアイヌの酒礼 2016.1

4.白老のイヨマレ(お酌)再考 2016.3

 

[今月の絵本 バックナンバー]

第1回 スズメの恩返し(川上まつ子さん伝承) 2015.3

第2回 クモを戒めて妻にしたオコジョ(川上まつ子さん伝承) 2015.4

第3回 シナ皮をかついだクマ(織田ステノさん伝承) 2015.5

第4回 白い犬の水くみ(上田トシさん伝承) 2015.7

第5回 木彫りのオオカミ(上田トシさん伝承) 2015.8

 

 

 

 

 

 

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