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月刊シロロ

月刊シロロ 12月号(2015.12)

 

 

《シンリッウレシパ(祖先の暮らし)9》イクパスイ

 

 文・写真:北原次郎太(北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授)

▲谷元旦『蝦夷紀行』より

 

 

1.はじめに-話上手な祭具・イクパスイ


 みなさんはカムイノミ「神祭」やシンヌラッパ、イチャラパ「祖霊祭」といった儀礼に参列したことがおありでしょうか。こうした儀礼の際、右手に持ってお神酒を捧げるヘラ状の祭具をイクパスイ・イクニッ・イクニシ(註)と言います。この祭具は、お神酒をカムイや先祖に届けるとともに、イクパスイ自身が言葉を発し、祈り詞を伝える働きをします。そのため、イクパスイを指す飾った言い回しとしてイタクノカムイ「よく話す神」、パワシヌピト「雄弁な神」、パスイパルンクル「話し上手なパスイ」という表現もあります。

▲図1 イクパスイの細部の名称

 図1にイクパスイの部分名称を示しました。これらは杉山寿栄男氏とF.マライニ氏の著作に書かれている名称で、長万部でアイヌ民具の収集をした小倉範三郎氏の調査に基づいているようです。先端はエトゥ(鼻)、後端はオホントケと呼ばれ、エトゥの薄く削った部分はアカパリと呼ばれます(このままではアイヌ語として少し不自然な形ですが、アカパレイ(薄くした所)が縮まってアカパリになった可能性があります)。

 シリカシケ(表面)の一端または両端には、イトクパという印が刻まれます。ノシキ(中央部)には幾何学模様や動植物など思い思いの装飾が施され、それを鑑賞するのも楽しいものです。

 次に、シリポキ(裏側)を見て見ると、そこにも何かが刻まれていることに気が付きます。裏側に刻まれるのは所有者を示す印などですが、特に先端部分に、しばしば小さな三角形の刻み目がついていることをご存知の方も多いでしょう。これはパルンペ「舌」と呼ばれるもので、イクパスイが話をするのに必要なものだとされています。

 いっぽう、様々な地域のイクパスイを見比べると、イクパスイの先端の表側にパルンペのような刻みがつけられている場合もあります。これをパスイ イタンキ「パスイの酒杯」、あるいはパスイコンパ「パスイの三角形」と呼びます。

 イクパスイの使い方には地域ごとの作法があり、例えば道東部ではお神酒をあげる際にパスイタリタリといって、先端を上下に揺らします。お神酒を注いでもらう際にも、右手にもったパスイの先端をゆっくりと上下させます。これに対し、道西部ではパスイスイェスイェといってパスイを左右に振るようにして祈ります。白老ではお神酒を注いでもらうときはイクパスイを揺らしません(附録参照)。

 名取武光氏は、八雲の作法として、祝い事の際にはイクパスイの先端を上へ振り、不祝儀の時には先端を下へ振ることを書いています。樺太では、女性がトゥキを受けた場合はイクニシを襟首に挿してお神酒を飲みます。

 

2.特別なイクパスイ-キケウシパスイ


 イクパスイは大切に保管しておき、儀礼の度に使いますが、クマ送りなどの特別な儀礼ではキケウシパスイ「削りかけのついたパスイ」という特殊なパスイを作る地域があります。これは1度きりしか使わず、儀礼の後は祭壇のイナウに結び付けるか火中に投じる、あるいは家の守護神の近くに挿して納めます。北海道では美幌を除くほとんどの地域でキケウシパスイが使われてきました(地図2参照)。樺太では西海岸の来知志で2例、多蘭泊で1例見られるのみで、基本的にキケウシパスイを使わない地域と考えて良さそうです。樺太の資料を多数収集した河野広道氏も、樺太にはキケウシパスイが無いと述べています。千島についてはシコタン島(シムシュ島出身者の製作)の資料が1点だけ残っています。

 キケウシパスイはその名の通り、表面に削りかけを削り出した物です(別の木から削り出したイナウキケをイクパスイに巻き付けることもありますが、こちらはイナウウンパスイやカムイノミパスイと呼んで区別されます)。また、イクパスイのパルンペがつけられる位置に、しばしば本当に舌を模したような削りかけを持つことがあります(▼図2)。

▲図2 キケウシパスイに見られる舌状削り出し

 北海道各地のキケウシパスイを集成した名取武光氏は、削りかけの数や向き、口や舌を表す刻みと家紋などの印を地域ごとに細かに整理しました。ごくかいつまんで言えば、日高地方沙流川流域には4か所削る物が多く、胆振などでは3か所、石狩流域などでは2か所、余市や釧路周辺、シコタンは1か所です(▼図3)。

図3 キケウシパスイの形 杉山(1934)より

 また、舌状の削りは沙流川周辺から室蘭までと余市だけに見られます。千歳の鵜柵舞(ウサクマイ)と室蘭には、舌状の削りとパスイイタンンキの両方が作られるケースがあり、これは異なる文化圏の接触域であるためだと考えられています。

 

3.イクパスイ・キケウシパスイのなぞ-どっちが古い?


 イクパスイとキケウシパスイは、用途の面ではほぼ同一ですが、なぜ2種類のパスイを作るのかについては今のところ分かっていません。また、どちらが元の形なのかについても、興味深い点ではありますがはっきりしていません。研究者の中にはキケウシパスイが先行すると考える人もいますが、名称についていえば「削りかけのついたパスイ」は「イクパスイ」を前提にして成り立っていると考えられます。分布の上から見ても、樺太にキケウシパスイが無いことを考えれば、イクパスイが先行して分布し、その後北海道を中心としてキケウシパスイが発生したと考える方が素直に理解できます。

 ちなみに、文献では1565(永禄8)年、ルイス・フロイスの書簡に記された記録が最も古いもので、18世紀末に谷元旦が記した図には、イクパスイとキケウシパスイの両方が描かれています。考古資料では16世紀末〜17世紀初頭頃と思われる物が出土していますが、明確にキケウシパスイだとわかる資料は今のところありません。

 

4.イクパスイの地域差-パスイイタンキ・パルンペを指標とした場合


 先に述べたイクパスイ先端の刻みは、イクパスイの地域差を見る上で1つの目安となる物です。そこで、収集地が明確な資料によって、各地域の特徴を一覧してみたいと思います。今回は資料として、旭川市博物館(主に河野広道氏が収集)、市立函館博物館(馬場修氏の収集資料)、新ひだか町博物館、北海道大学植物園(主に名取武光氏が収集)が収蔵するイクパスイ・キケウシパスイ合わせて510点を参照しました。これらの地域性を地図で見ると、地図1・地図2のようになります。 地図中の△は表面に刻む、▲は裏面に刻む、裏舌は舌状の削り出し、記号がない地域は何も加工をしないことを表します。1つの地域に複数の様式がある場合は「/」の前後に並記しています。

▼地図1 イクパスイ先端の刻み 分布とタイプ

▼地図2 キケウシパスイ先端の刻み 分布とタイプ

 この分布から、イクパスイ・キケウシパスイに舌や口を意味する刻みを付ける地域は大よそ北海道の西半分であり、さらにそのうち約半分の地域では表面に、もう半分の地域では裏面に刻むことが分かります。白老町や浦河町、旭川市は文化上の境界にあたる地域で、家系によって三角形の有無や刻む位置が異なります。また、面白いのは、余市(イクパスイなし・キケウシパスイあり)や八雲(イクパスイ表・キケウシパスイなし)のように同じ地域・同じ作者のイクパスイとキケウシパスイにも、舌の付け方・有無に違いがあるケースがあるということです。イクパスイが継続的に使用するのに対し、キケウシパスイはその都度製作するため少なくとも年に1,2度は製作する機会があります。またイクパスイは他の人から譲渡を受けることもあるため、これらの事が両者の様式に差異を生む要素になると考えられます。この点は、今後イクパスイとキケウシパスイの性質の違いを考えていくヒントになりそうです。

 

5.おわりに


 イクパスイに限らず、様々な分野でアイヌ文化の「常識」として紹介されてきたことは、巨視的に見た場合には一部の地域にのみ見られる特殊な現象であることが多々あります。「イクパスイは先端の裏に三角形を刻み、これをパルンペと呼ぶ」という説明も、いわば「常識」のように語られてきましたが、全体としてみれば日高西部から胆振東部という、北海道の4分の1にも満たない地域での慣習であり、同地域を特徴づける造作だと言えます。イクパスイの先端を見れば、仮に背景情報がない資料であっても、その来歴をあるていど推測することができるということですね。
 
註 イクニシは樺太方言です。北海道方言では語尾に表れる子音p、t、kは樺太方言ではh(息を吐く音)となっており、またその前に母音iがある場合はsになります。なお、パスイ、イクパスイという名称も使われます。


参考文献

旭川市博物館
2006『旭川市博物館収蔵品目録ⅩⅥ―民族資料/儀礼関係:捧酒箸―』。
内田祐一
2006「第11章 イクパスイの機能についての一考察」『アイヌ文化と北海道の中世社会』
北海道出版企画センター。
北原次郎太
2015「ikuasuyの口舌型式再検討」『千葉大学ユーラシア言語文化論集』第17号。
金田一京助・杉山寿栄男
1993(1942)『アイヌ芸術 木工編』北海道出版企画センター。
河野広道
1971(1931)「墓標の型式より見たるアイヌの諸系統」『河野広道著作集Ⅰ 北方文化論』
北海道出版企画センター。
1971(1933)「アイヌのキケウシパシュイ」『河野広道著作集Ⅰ 北方文化論』北海道出版企画センター。

杉山寿栄男

1975(1934) 『北の工藝』北海道出版企画センター
千徳太郎治
1980(1929)『樺太アイヌ叢話』(『アイヌ史資料集』6 樺太編に再録)、北海道出版企画センター。
知里眞志保
1973a(1944) 「樺太アイヌの説話(一)」『知里眞志保著作集』1 平凡社。
名取武光
1985 『アイヌの花矢と有翼酒箸』六興出版。
1972(1934)「北大附属博物館所蔵アイヌ土俗品解説」『アイヌと考古学(一)名取武光著作集Ⅰ』北海道出版企画センター。
1987(1959)「樺太・千島のイナウとイトクパ」『北方文化研究報告』第7冊 思文閣出版。
フォスコ・マライニ著、ロレーナ・スタンダールディ訳
1994『アイヌのイクパスイGli iku-bashui degli Ainu』財団法人アイヌ民族博物館。

 


付録 カムイノミ参列のポイント(画像をクリックで拡大PDF 1.6MBが開きます)

 

[シンリッウレシパ(祖先の暮らし) バックナンバー]

第1回 はじめに|農耕 2015.3

第2回 採集|漁労   2015.4

第3回 狩猟|交易   2015.5

第4回 北方の楽器たち(1) 2015.6

第5回 北方の楽器たち(2) 2015.7

第6回 北方の楽器たち(3) 2015.8

第7回 北方の楽器たち(4) 2015.9

第8回 北方の楽器たち(5) 2015.11

 

 

 

 

《図鑑の小窓8》カッケンハッタリ(カワガラスの淵)探訪

 

 文・写真:安田千夏

 

 江戸時代に松浦武四郎が北海道各地のアイヌ語地名を記録した『東西蝦夷山川地理取調図(注1)という文献があり、そこには白老市街地の西側を流れるウヨロ川の中流域に「カッケンハッタリ」という地名が書かれています。意味は「カワガラスの淵」。きっとそこにはカワガラスが生息しているのだろうと見当をつけ、とりあえず行ってみることにしました。

 

▲カッケンハッタリ(東西蝦夷山川地理取調図より)

 

 秋に大量のサケが遡上するウヨロ川筋は近年フットパスとして遊歩道が整備され、ハイキング気分で気軽に散策することができます。

▲現在のウヨロ川筋

 最初に訪れたのは2011年9月26日のこと。のどかな牧場の景色が広がるスタート地点から上流に向かって歩くこと20分、出会いの時はあまりにもあっさり訪れたので拍子抜けしてしまうくらいでした。目当ての鳥はウヨロ川の中流域、まさに川の流れが深くよどんでいる「淵」と呼ぶにふさわしい場所に確かに生息していたのです。

 特徴的な鳴き声(注2)が聞こえた方向に目をやると、街で見るカラス類よりずっと小さい鳥の姿がありました。全身は褐色ですが、光の加減で青黒く光って見えるときもあります。時には水にダイブして餌をとってみたり、岩場をうろうろ歩いて何かをついばんでみたり。そこがお気に入りの場所だったのでしょうか、川沿いに上流または下流へ飛んで行ってはしばらくするとまた戻って来ます。あまり人を警戒せず近くまで寄って来ることもありました。その後もウヨロ川中流に行くと、今に至るまでかなりの確率でカワガラスに出会うことができます。

▲カワガラス(2011.9.26 カッケンハッタリにて撮影)

▲カワガラス(2015.10.17 伊達市大滝)

 アイヌと自然デジタル図鑑には、カワガラスについての次のような体験談が採録されています。

 私(話者)が生まれたか生まれていないかという頃の話です。父が漁をするために川の上流に向かって行きました。川でマスをとる途中で魚を焼いて置いておき、また上流へ向かって魚をとり、焼くために大きな木の根をくべて火を焚き、そのそばに仮小屋を作って背中をあぶりながら寝ていました。するとカワガラスが激しく鳴きながら私の仮小屋の戸口まで来ました。そして父の着物のすそをグイグイと引っ張るので驚いて目を覚ますと、下流の方へ鳴きながら飛んで行きました。そしてしばらくすると火にくべた根っこが転がって川の中へ入ったのでびっくりし、恐ろしくなりました。何かを予知して知らせに来たのがカワガラスだったのではないかと思い、魚を荷物にまとめて「もう日が暮れるけれど、下流に行けば仲間がいるだろう」と思い下流へ向かって水の中を歩いて行きました。すると前方にクマが川を渡って行く様子が見えました。そこを通らなければ仲間のところに行けないので神に祈り「このようにカワガラスの神の教えで下流に向かっているのです。神様どうぞ私の方を振り向いて守ってください」と祈りました。そして前に私が魚を火棚の上に置いておいたところまで来ると、全てクマに食べられてなくなっていました。さらに下流に来ると、やはり魚とりに来ていたおじさんが火を焚いているのが見えました。そこへ行って咳払いをすると、おじさんは驚いて「暗いのに一体どうしたんだ」と言うので今までのことを話しました。そしてそこで一晩泊まって翌日ふたりで山を下りて来ました。そのおじさんも「カワガラスが『さあ逃げろ逃げろ』という意味で着物を引っ張ったんだろう」と言っていました。(注3)

 

 図鑑の小窓6「シマリスとエゾリス」(注4)でも述べた通り、アイヌ文化では生物のしぐさに意味を読み取ることがあるのですが、この話にみられるカワガラスはしぐさというよりは直接人間に触れてメッセージを伝えるというかなりインパクトのある行動を取っています。その知らせに従ってクマの襲撃を回避したわけですから、話者のお父さんが体験したこの話が語り継がれるうちに散文説話の形態になって行ったとしても全く違和感のない逸話だと思います。この鳥が川辺でしつこく何かをついばんでいる姿を見ていると、確かに寝ている人の着物をグイグイ引っ張るということもやりそうだなと思いました。

 また織田ステノ氏はカワガラスについて「カムイユカラ(神謡)にアスルコロ(噂を聞く)するカムイ達」と言っています。残念ながらアイヌ民族博物館の音声資料には織田氏の語るカワガラスの神謡は残されていませんが、『アイヌ叙事詩神謡・聖伝の研究(注5)などで概要をうかがい知ることができます。

 さてこのウヨロ川筋には、バードウォッチャーを歓喜させるさらにレア度の高い鳥が見られることがあるのです。その名はヤマセミ。大型のカワセミの仲間で、大きな体で豪快に水にダイブして餌を取ります。夏鳥で必ず毎年飛来するわけではありませんが、数年前にはウヨロ川で越冬し話題になりました。

 アイヌ語名は知里辞典によると多くの地域で「アイヌサッチリ」と採録されていますが、冒頭に触れた松浦武四郎は、石狩方言で「キサラウシチカプ(耳の生えた鳥)」、釧路方言では「ウリルイ」と違う名を採録しています(注6)ので、時代や地域によって名は変化するものだということがわかるのです。

ヤマセミ(アイヌと自然デジタル図鑑より)

 


▲『石狩日誌』より

 一方でその隣に描かれた、同じカワセミ科でさらにレア度が増すアカショウビン。かつては白老町でも生息が確認されていましたが、今では見られなくなってしまいました。アイヌ語名「ヲユゝケ」とありますが、これはデジタル図鑑で日高地方の伝承者の方達が「ウユイケチリ(ふるえる鳥)」と語っている名と同一と考えることができます(鳴き声(注7)。変わる名がある一方で変わらない名があるという面白さ。そこを追求すると知られざるアイヌ文化の一側面が見えて来るのかも知れません。

アカショウビン(アイヌと自然デジタル図鑑より)

 

 古文献を頼りに自然を訪ねアイヌ文化のかつての姿に想いを馳せる、ちょっと変わっていますが出会いに満ちたオススメ自然散策です。

(注1)『東西蝦夷山川地理取調図』松浦武四郎 1860(函館市中央図書館デジタル資料館)
(注2)アイヌと自然デジタル図鑑カワガラス「鳴き声」参照
(注3)34407伝承者非公開
(注4)月刊シロロ10月号(2015年10月発行)

(注5)『アイヌ叙事詩神謡・聖伝の研究』久保寺逸彦 岩波書店 1977
(注6)『石狩日誌』松浦武四郎 1860(札幌市中央図書館デジタルライブラリー)
(注7)アイヌと自然デジタル図鑑アカショウビン「鳴き声」参照

 

 

[バックナンバー]

《図鑑の小窓》1 アカゲラとヤマゲラ 2015.3

《図鑑の小窓》2 カラスとカケス   2015.4

《図鑑の小窓》3 ザゼンソウとヒメザゼンソウ 2015.5

《自然観察フィールド紹介1》ポロト オカンナッキ(ポロト湖ぐるり) 2015.6

《図鑑の小窓》4 ケムトゥイェキナ「血止め草」を探して 2015.7
《自然観察フィールド紹介2》ヨコスト マサラ ウトゥッ タ(ヨコスト湿原にて) 2015.8

《図鑑の小窓》5 糸を作る植物について 2015.9

《図鑑の小窓》6 シマリスとエゾリス 2015.10
《図鑑の小窓》7 サランパ サクチカプ(さよなら夏鳥)(安田千夏) 2015.11

 

 

 

 

 

伝承者育成事業レポート》キハダジャムを作ろう

 

 文・写真:イオル再生伝承者(担い手)育成事業 第三期生一同
       (木幡弘文、新谷裕也、中井貴規、山本りえ、山丸賢雄)、山道ヒビキ

 

はじめに

 

 今年度のイオル再生伝承者(担い手)育成事業自然講座では、10月中旬にアイヌ有用植物の木の実採取を行った。本稿はその時に採取したうちの一種、キハダの実の採取から加工に至るまでの実践報告である。

 

1.キハダ概要と実の採取

 

 キハダは山地や平地に生える落葉樹であり、樹皮はコルク質なので触ると柔らかい。この樹皮の下にある内皮は鮮やかな黄色で、この色からキハダという名前がついたとされている。内皮を乾燥させたものを漢方では「黄柏」「黄檗」(おうばく)と呼び、煎じてお茶にして飲むと身体に良いとされているが、とても苦味が強い。この木は6〜7月に開花し、秋に黒い実をつける。

 今回の採取は、ポロトの森自然休養林での研修中に数日前の大風で木から落ちたと思われる実のついた枝を偶然大量に発見したことによる。実はミカンの様な香りがして中にある種は苦いが、今回採取したものは大粒で意外にとても甘かった。ジャム作りの日まで干して保存しておくこととし、ザルの上で2週間ほど置いたところ干しぶどうのような生乾きの状態になった。

▲キハダ樹皮


▲キハダ実

 

2.加工法の選定

 

 せっかく得られた機会なので、アイヌの伝統的な加工法を再現した形で食べてみようということになった。

 キハダの実の食用についてはラタシケプという煮物料理に香りづけとして入れるという調理法が最も知られているが、これは全員が様々な場面で口にする機会があり風味をよく知っているため今回は対象外とし、次項で述べる通りデータ上に散見する「煮詰めてジャムのようにする」という方法を実践することとした。

 

3.文献と聞き取りデータ

 

 知里辞典にはキハダの実について次のような利用法が見られる。

この果実を煮て潰してザルで漉して種子を除きそれを煮つめて喘息の薬にした(幌別)。
この果実をジャムのごとく煮つめたものを、胃病に毎日少量ずつ服用した(樺太)。


 また『アイヌと自然デジタル図鑑』でも伝承者が次のように語っている。

織田ステノ氏(静内)

実を煮物料理に入れて食べました。また実を煮詰めてあめのように煮詰めてから固め、肺病の薬にしました。(34102)

 

黒川 セツ氏(平取)
のどが痛いときは実を鍋で煮て、黒く煎った豆と玉砂糖を入れて飲みました。(35270)

 

 他にも文献に以下の様な記載があった。

 

「薬用として干したる粒を白湯に煮て食す、痰肺疾によし。」(十勝)(吉田1918)

 

「シコロの実(シケレペsikerpe)の汁は肺炎、結核、助膜炎に効く。鍋で煮て、柔らかくなったらざるにあけ、こして、その汁をさらに煮つめる。飴のようになったらびんにつめ保存する。」(様似)(道教委1985)

 

「シコロ(キハダ)の実は、なっている枝の先端が少しでも入るとすごく苦いから、注意して実の部分だけをきれにもいでとろ火で煮る。すると皮と種が分離してドロドロになる。それをざるでこしてさらしでしぼる。その汁だけを黒砂糖を加えて煮詰める。飴のようにして喉の薬に使う。」(標茶)(道教委1994)

 

「実を浸しつけた汁の最初は捨てるが、二、三回取り替えた黒い汁に水飴、黒砂糖、ザラメ、ハチミツなどをいれて煮つめ、咳止めの薬とする。また、長時間煮つめて種子を取り出し、さらに煮つめた実をなめると風邪にきくという。」(旭川)(福岡1995)

 

 以上のデータから、キハダの実を煮てジャム状にしたものは食用というよりは風邪、肺病など呼吸器系の病気(まれに胃痛)に効く薬として色々な地域で利用されていたということがわかった。

 

4.実践の記録

 

 キハダジャムを製作したのは2015年11月13日(金)。レシピにあたるような「正しい作り方」というものはわからないので、自分達で考えて試しながら調理した。

場所:アイヌ民族博物館学芸課 給湯室
材料:シケレペ(キハダ)、砂糖、水
道具:鍋、入れ物、お玉、ザル、コンロ、スプーン、コップ、ビニール袋、ビン

 

4-1.
・干して保存しておいたキハダの実を一晩水につけてうるかしたものを使用した。
4-2.
・キハダの実を鍋に移す。
・鍋に水を入れ火にかけ沸騰させる。

4-3.
・沸騰したら実をつぶす。

・ひたすら煮詰める。

4-4.
・砂糖おたま4杯を足し、焦げつかないようにかきまぜながら煮詰める。
4-5.
・実を漉し器に移して漉す。
4-6.
・更に煮て、鍋の中身がトロトロになったら容器に移す。
・冷ましてビンに入れる。
4-7.
・完成品。左のクッチ(サルナシ)、真ん中のハッ(ヤマブドウ)はついでに作ったもの。右がシケレペ(キハダ)。
4-8.
試食会を行い自分たちで食べた後、アイヌ民族博物館の職員の方にも試食してもらった。

《感想》

・苦いけどおいしい

・ゴマみたい

・味がある

・シケレペやっぱりきついね、体にいいよ

・おいしい、コクワよりも好き

・個性的な味。初めての味

 

 

 

5.おわりに

 

 キハダジャムは苦く食べにくい味に仕上がるだろうという予想を覆し、試食に参加した人の感想はおおむね好評だった。喉越しに感じる柑橘系の果実独特の清涼感は、呼吸器や胃の病気の薬として用いられたという文献や聞き取りデータにみられる記述通りの効果があるように感じられた。

 子供の頃実際にこの実を薬として飲んだことがあるという人もいて「なつかしい味」という感想も聞かれた。その人がとても小さい頃、シケレペジャムの入ったビンを親族から渡され「1日1さじ飲みなさい」と言われたとのこと。コーラかと思って飲んだら全然違う味だったという貴重な体験談を聞くことができた。

 作業に関しては、漉すという工程を経たために元々の量に対しての出来高が少なく、砂糖を入れるタイミングを含めて調理器具、手順に改善の余地があるという意見が出た。

 今回かつての暮らしの中にあった食文化の一端について調べ、それを再現してみた。作業を通じて得られた経験は、今となっては得難い貴重な実践例であることは間違いない。今後アイヌ文化を真摯に学ぼうとする人達がこうした機会に恵まれた際の参考にしてもらえたらと願うものである。

 
<引用参考文献及びデータ>
アイヌ民族博物館『アイヌと自然デジタル図鑑』(2015年)
佐藤孝夫『増補新版 北海道樹木図鑑』亜璃西社(2011年)
知里真志保『分類アイヌ語辞典 第一巻 植物篇』日本常民文化研究所(1953年)
福岡イト子『アイヌ植物誌』草風館(1995年)
北海道教育庁生涯学習部文化課編『アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査Ⅳ)』北海道教育委員会(1985年)
北海道教育庁生涯学習部文化課編『アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査ⅩⅣ)』北海道教育委員会(1994年)
吉田巌「アイヌの薬用並に食用植物」『人類学雑誌33巻6号』(1918年)

 

《伝承者育成事業から レポート》バックナンバー

《レポート》女性の漁労への関わりについて 2015.11

 

《伝承者育成事業から》今月の新着自然写真「私の一枚」 バックナンバー

6月号 2015.6

7月号 2015.7

8月号 2015.8

9月号 2015.9

10月号 2015.10

11月号 2015.11

 

 

《イヤイライケレ》自然図鑑用の写真をご提供いただきました

 

 先月号に続いて、日本野鳥の会苫小牧支部の新谷幸嗣さんから写真2枚をご提供いただきました。

 さっそく自然図鑑内「種トップ」にも掲載させていただきました(▲トガリフタモンアシナガバチ ▲トガリネズミ)。イヤイライケレ(ありがとうございます)。

 なお、同様に写真をご提供いただける方は、募集要項をお読みいただいた上でふるってご応募ください。お待ちしております。

▲トガリフタモンアシナガバチ

撮影者
新谷幸嗣  ホームページ  フェイスブック
撮影日
2015年6月15日
撮影地 苫小牧市ウトナイ湖
コメント

毒性・攻撃性は低くともスズメバチの仲間。

観察には刺激を与えないよう注意が必要です。

気温が高めだったこの日。巣の上で羽ばたきながら巣内に風を送っているような様子でした。

 

 

▲トガリネズミ

撮影者
新谷幸嗣  ホームページ  フェイスブック
撮影日
2014年3月9日
撮影地 苫小牧市ウトナイ湖
コメント なかなか生きている姿を見ることの少ないトガリネズミ。
冬場、エサ台のおこぼれを狙って姿を現しました。
ほんの一瞬しか姿を見せないので撮影は難しかったです。

 

 

 

 

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