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月刊シロロ

月刊シロロ 11月号(2015.11)

 

 

《イヤイライケレ》自然図鑑用の写真をご提供いただきました

 

 このたび、日本野鳥の会苫小牧支部の新谷幸嗣さんから写真2枚をご提供いただきました。(どうやって撮ったんでしょう! すばらしい!)

 さっそく自然図鑑内「種トップ」にも掲載させていただきました(▶︎オオワシ ▶︎オジロワシ)。イヤイライケレ(ありがとうございます)。

 新谷幸嗣さんのブログ http://sizensansaku.blog.fc2.com

 なお、同様に写真をご提供いただける方は、次の記事に募集要項を掲載しましたので、お読みいただいた上でふるってご応募ください。お待ちしております。

 

▲オオワシ
撮影日:2012年3月4日
撮影地:羅臼町
コメント: 早朝から流氷に集まるワシ類を撮影していました。
      その中で、氷上をこちら側に向かって飛ぶ姿を撮りたくなり
      氷上のオオワシたちをじっくり観察。
      その中の一羽がこちらを向いて飛ぶ様子を見せたので、
      すかさず狙いを絞り流氷の上すれすれを飛ぶ、雄々しい姿を撮影できました。

 

▲オジロワシ
撮影日:2013年2月10日
撮影地:釧路市阿寒町
コメント: 普段は人を警戒してあまり近くへは来ませんが、
      彼らの狙いはタンチョウの給仕場。
      エサの横取りを狙っているので、人を気にせず頭上を飛んでくれます。
      おかげで、空を悠々と飛ぶオジロワシの姿を写真に収めることができました。

 

 

 

《告知》自然図鑑用の写真の募集について

 

 「アイヌと自然デジタル図鑑」(以下「自然図鑑」)に掲載する写真を募集します。応募方法などの詳細は、募集要項をご覧ください。(鳴き声も可です)

 

▶︎[募集要項]

 

 

 

 

《図鑑の小窓7》サランパ サクチカプ(さよなら夏鳥)

 

 文・写真:安田千夏

 

 数年前のこの季節、ウトナイ湖にある自然系施設でレンジャーという仕事をしていた時のことです。事務所の隣にある展示スペースの窓で「ドン」という大きめの鳥がぶつかった音がしました。自然豊かな場所では鳥が窓ガラスに衝突するという事故は決して珍しいことではなく、この施設でも年平均3、4件は起きています。スズメサイズの鳥は脳しんとう程度で済むのですが、ハトサイズの鳥の場合は自分の重さと衝撃で首の骨が折れて死んでしまうことがあるので、心配してすぐ様子を見に外へ出ると、なんと窓の下にはつぶらな瞳をしたトラツグミがうずくまっていました。どうやら脳しんとうを起こしているようなので、しばらく空気穴を開けた段ボール箱に入れて様子を見ることにしました。物音がしないので最初のうちは心配でしたが、やがてゴソゴソと箱の中で動くようになり、どうやら無事なようだとわかりひと安心。30分ほどして箱から出してみるとつぶらな瞳をパチクリさせてまぶしがっています。これなら大丈夫と外に連れて出たところ元気に飛び立って行きました。季節は初雪の便りが聞かれる頃、夏鳥のトラツグミはもうとっくに本州に向けて旅立ったものだと思っていました。あるいは越冬がしばしば記録されている鳥なので、わずかな餌を頼りにこの地で冬を過ごすつもりだったのでしょうか。当然ですがその後の消息はようとして知れませんでした。

▲写真1 保護されたトラツグミ ウトナイ湖

 さてこのトラツグミ、夜間や薄暗い曇りの日などに「ヒュー…」(注1)という寂しい口笛のような声で鳴き、和人文化ではそれを「ぬえ」という妖怪の鳴き声と言って不気味がったと言われています。ぬえは一説に顔がサル、体がタヌキ、手足はトラ、尾はヘビという異形の姿をしていると言われており、可愛い鳥なのにずいぶんなイメージがついてしまっているのです。また和人文化には「夜に口笛を吹くのは縁起が悪い」という迷信があるので、そこにちょうど「夜に鳴く」「口笛のような声」というトラツグミの生態が合致し、不気味というイメージは決定的なものとなってしまったのでしょう。テレビの時代劇で暗闇の中の不気味さを演出するためにトラツグミの声が効果音として使われているのを聞いたときは、つぶらな瞳を思い出して何だか気の毒になってしまいました。

 アイヌ文化でこの鳥についてはいくつかのアイヌ語名が採録されています。デジタル図鑑では織田ステノ氏が「マウシロチリ」と語っている鳥をトラツグミに同定しています(注2)

 マウシロチリ(口笛を吹く鳥)は、

 祖母達が夜にそれをエイコイサンパ(の真似をする)して口笛を吹くなと言ってやかましく言った。自分はそういうふうに言われて育ったから、孫達にも口うるさく言う。祖母に「どうして嫌がるんだ」と聞いたら「夜にそうやって口笛を吹いたら、おばけが呼ばれたと思って寄って来る」と言われた。でも何のモトホ(由来)でハットホ(禁止)されたのかはわからない。夕べも色々考えて、悪いって言うから悪い鳥なのではないか、何か悪いことしたものをアパカシヌ(神にに罰せられる)して、夜そうやってマウシロ(口笛を吹く)してエイコイサンパしたら良くないって祖母達は言うのではないかと思った。(34130)

 

 夜に口笛を吹くことを禁止するという考えがアイヌ文化に元々あったものなのか、それとも先述のような和人文化の迷信が伝わったものなのかは、他に検討材料がないので不明という他はありません。こうした伝承者の方々が生きた時代には和人文化の迷信が既に入って来ていたのですが、一方で「鳥の声真似は良くない(注3)」という考え方はアイヌ文化に元来あるものです。そして織田氏がここで「由来がよくわからない」と語っていることも重要です。例えば図鑑の小窓第1回で紹介した「アカゲラになった女の子」のように、アイヌ文化では悪い行いをした人間が罰を受けて鳥にされるという由来話がしばしば見受けられるのですが、トラツグミにはそうした話が付随していない、少なくとも織田氏が聞いた話にはその要素がなかったということになり、これは今後こうした問題を考える場合にひとつの手がかりになるかと思います。

 またデジタル図鑑には、マウシロチリについて他の伝承者(注4)が「赤い鳥」「ハトより小さい」(34402)と語ったデータがあります。トラツグミの体の色を「赤」と表現することについては違和感があるように感じるかも知れませんが、いわゆる赤色よりもアイヌ語のhure(赤)の範囲は広く、茶色っぽい色もhureと表現されることがあるので(注5)、そんなにかけ離れた表現とはいえないように思います。「ハトより小さい」というのは、トラツグミの全長は29㎝であり、33㎝のキジバトよりは確かに小さいので的確な表現と言うことができます。

 そしてこの伝承者の語りからはもうひとつ重要な情報を読み取ることができます。それはトラツグミを「サクチカプ(夏鳥)」(34134)と言っている点で、つまり夏場に限って存在する鳥がいるという認識がこの方にはあったということを示しています。また川上まつ子氏も「春から秋までいる鳥はみんなサクチカプ(夏鳥)」(34600)と語っていることからみても、その概念は普通に用いられていたようです。

 それでは冬鳥も同様に言われていたのかというと、そうはうまく行かず「マタチカプ(冬鳥)」というそのものずばりの言い方はデジタル図鑑には見られません。しかしキジバトについて「冬にいるものはリヤクスイェプ(冬越しのキジバト)」と語った例が見られます(34134)。キジバトは夏鳥ですが道内でも比較的温暖な地域では毎年のように越冬するのが確認されていて、この方が見たキジバトはそうした越冬個体であったということを言葉の上で的確に表現しているということになり、バードウォッチャーも顔負けの観察眼を持っていたということがわかるのです。

▲写真2 越冬するキジバト ウトナイ湖

 夏鳥つながりでいうと、リヤクスイェプと語ったのと同じ伝承者の方のアオバトについての次のような説明にはひときわ感心してしまいました。

 ワオ(アオバト)は背中青いよ。海に出るんだ、もう8月頃になったらいっぱい出ている。背中は草色しているんだ。いっぱい浜に昆布取りに行くんだわ。何か磯ひきに行くらしくて。「なんだこれ、ワオでないか?」って私が言うと「そうだ」って。私も昆布の行商に行くけど、このワオも行くらしい。ウエサイネ(群れになる)しているもの。(34134)

 

▲写真3 アオバト(デジタル図鑑より)

 鳥の生態に詳しい方はこれを聞いて「ああ、なるほど」と思うでしょうが、普通の人は何のことだかわかりませんね。じつは海岸近くに生息するアオバトは、夏場の日中に森から海岸までわざわざ群れで飛来し海水を飲んだり浸かったりすることで知られている鳥なのです。ミネラル分を補給するためともいわれていますが、なぜ夏鳥の中でこのアオバトだけが溺死する危険を冒してまでこうした行動をするのか、その理由はよくわかっていません。この伝承者の方は、そうした特異な行動をよく観察し知っていたからこそこのような説明をしているというわけなのです。もちろんアオバトが昆布取りをしていたかというと、それはウィットに富んだ表現の範囲と解釈すべきだとは思いますが。

 さてこうした夏鳥達を見送り森の中は寂しくなるかと思いきや、そんなことはありません。代わりに飛来する冬鳥達、葉が落ちて夏場より姿が見やすくなる留鳥達。こうした鳥達や生き物達との出会いを求めて、今年も寄る年波と寒さに負けず極寒の森に出かけてみるつもりです。

▲写真4 冬に観察が最適の留鳥シマエナガ アイヌ語名ウパシチリ(雪の鳥) ウトナイ湖

 

(注1) デジタル図鑑トラツグミの鳴き声参照。

(注2) 『アイヌ語沙流方言辞典』(田村すず子 草風館 1996)にはmawsirocir「アメフリドリ」(「雨降りが近くなるとよく鳴く、ピーと口笛のような声で鳴く」)。とあり、これはトラツグミ以外の鳥である可能性が考えられます。また『分類アイヌ語辞典 植物編』(知里志保 日本常民文化研究所1953)にはトラツグミの道東地方のアイヌ語名としてsipuymawkus、supuymawkusと書かれており、mawsirocirという名は採録されていません。

(注3)神謡のひとつのパターンとして「人間の子供に声真似をされて怒った鳥の神が仕返しをした」というものがあります。また体験談としても声真似をされて怒った鳥の神に罰を受けた村の話が採録されています。

(注4)伝承者名非公開。この伝承者はmawsorocirと言っています。口笛を吹くことはmawsiroとmawsoroどちらも採録されています。

(注5) 前掲書『アイヌ語沙流方言辞典』によると「オレンジ系の黄から紫くらいまでの範囲にわたり、茶色っぽい色まで含む(後略)」とされています。日本語でもかつては茶色い犬のことを「赤犬」と言ったりしていましたので、アイヌ文化でも和人文化でも色の範囲の感覚が昔と今では違っているということを理解する必要があります。(やすだ ちか)

 

[バックナンバー]

《図鑑の小窓》1 アカゲラとヤマゲラ 2015.3

《図鑑の小窓》2 カラスとカケス   2015.4

《図鑑の小窓》3 ザゼンソウとヒメザゼンソウ 2015.5

《自然観察フィールド紹介1》ポロト オカンナッキ(ポロト湖ぐるり) 2015.6

《図鑑の小窓》4 ケムトゥイェキナ「血止め草」を探して 2015.7
《自然観察フィールド紹介2》ヨコスト マサラ ウトゥッ タ(ヨコスト湿原にて) 2015.8

《図鑑の小窓》5 糸を作る植物について 2015.9

《図鑑の小窓》6 シマリスとエゾリス 2015.10

 

 

 

 

《シンリッウレシパ(祖先の暮らし)8》北方の楽器たち(5)

 

 文・写真:北原次郎太(北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授)

 

1.はじめに

 

 前回はアイヌ社会に到来したリュート系の楽器を紹介しました。その中で触れた松田伝十郎『北夷談』収載「スメレンクル(ニヴフ)」の三弦型撥弦楽器を参考に、サケ皮を貼った同型の楽器を製作しましたので、今回はその報告をまとめます。試作段階ですので改善点は山積していますが、サケ皮でも十分な音量・音質の楽器が作れるという見通しを得られ、たいへん嬉しく思います。

 

2.近代以前の工具

 

 今回は、作業時間の短縮のために電動工具を併用しましたが、18世紀後半〜19世紀初頭にこの楽器を作った人々は、当然ながら手作業で木材を加工したと考えられます。そこではどのような工具が用いられたのでしょう。ニヴフ民族が用いてきた工具については、中国・ロシアの文献を検討する必要があります。残念ながらまだそこまでの作業ができていませんので、今回はアイヌ・日本の資料を元に考えることとします。

 現代の三味線職人は鉋、手斧、鑿、鋸などを使って木材を加工します。ただし、素材に硬質の樹種を使うため、鉋などは堅木用の特殊な物(逆刃鉋)を用いています。

 これに対し、一般に知られていれるアイヌ民族の工具としてマキリ(小刀と)タシロ(山刀)があります。マキリは、一般的なナイフの他に、曲面を削るレウケマキリ/チレワマキリがあります。他にも湾曲を強くした鎌などが同じ用途に使われました。また、刀身が反ったエピリケヘというナイフは女性用とされ、魚を解体したり、皮革の加工の際に皮に傷を付けずに皮下脂肪を削ぐのに適しています(注1)。ほかにも、形状は不明ですが彫刻に用いるというイヌイェマキリ(彫り物をする小刀)やサランペチャマキリ(薄布を裁つ小刀)などいくつかの種類があります。

 鋸はノコ、あるいはイトゥイェカニ(物を切断する金属製品)と呼びます。現代では身近な工具ですが、鋸の登場は工芸史上ではたいへん重要な出来事でした。後に述べるように、板などを作る際には他の工具で作業することも可能ですが、正確さと、材木が無駄なく使えるという点においてはノコギリが最も優れた工具です。本州でも、鋸が導入される以前はクサビで木を割ったのち、斧や「ちょうな」で整える方法が使われていましたが、この方法は木の目によって結果が大きく左右され、労力も大変なものでした(注2)。アイヌの口承文芸では、カムイの家は「イタヤ(板造りの屋敷)」と呼ばれます。板=木造で、現代的な感覚では質素な家のように思えますが、かつては板を入手することが非常に困難だったことを思えば、イタヤがいかに貴重な素材を使った家かということが理解できます。

 樹木の伐採から大まかな整形まではムカラ(斧)が活躍しました。私達は斧と言うと木を切り倒すくらいしか思い浮かびませんが、アイヌ社会では臼や舟の内を彫りぼめる際にも使われ、また斧を使い慣れた人は、非常に細かい作業も斧を使って行います。その扱いの正確さには舌を巻くばかりです。このほか、テウナという語彙があることから「ちょうな」も入っていたことがうかがえます。漢字で書くと手斧ですが、通常の斧が柄に対して平行に刃が取り付けられているのに対し、ちょうなは直角に刃を取り付けます。それで、ちょうなを「横斧」と呼ぶ場合もあります。テウナは、鋸を使わずに板を作るためにも使われました。本州では、椀などの刳り物を作る工程で原木に大まかに窪みをつけるのにも用いられます。穴を開けるにはイキサカニ(錐)や、焼いた鉄火箸が用いられました。

 明治以前の工具について知るにあたっては『入北記』というたいへん興味深い資料があります。1857(安政4)年、箱館奉行堀利煕らとともに北海道各地や樺太南部を歩いた仙台藩士玉虫左太夫が記したもので、各地の交易品の内訳などが詳細に挙げられています。これを見ると、当時の交易品の中にマサカリが数種類とヤスリ、タシロ、マキリなどの鉄製工具が見られます。また、イシカリやハママシケ、ソウヤ、エサシなどで「木挽(鋸をつかって材木を作る仕事)」や「大工」、「鍛冶」として、和人の漁場に雇われていたアイヌがいたことがわかります。とくにソウヤでは、その腕前が「内地ノ職人ニモ劣ラザル」と評され、樺太のクシュンコタンでも建具の見事さが記されています。様々な工具は、自分の物ではなく貸与されたものかもしれませんが、いずれにせよ幕末にはこうした様々な工具の扱いに通じた人が各地に居たことになります。ノコギリが普及するのは近代以降と考えられますが、上記のように江戸時代後半には流入していました。

 また、鉋も楽器製作の上では重要な工具ですが、いつ頃流入したのかは明確ではありません。1792(寛政4)年に有珠付近を旅した菅江真澄は、鉋を指すと見られる「マガナ」、「ピルカネ」という言葉を記しています。マガナは真鉋の借用と考えられます。ピルカネのカネは金属、ピルは「〜を拭く」という言葉でしょう。文法的には目的語を欠いた形ではありますが「木材の表面を拭くような仕草で削る工具」と考えれば、鉋の使用状況とは合致します。余談ですが、J.バチェラーの辞書には鉋を意味する「kana」のほか、鉋をかけるという意味の「kanaiki」という動詞も収録されています。また、吉田巌が編纂した民具関連の語彙リストにも、鉋を指す語として「siyoro」と「hokekane」が収録されています。「siyoro」の語義は不明ですが、「hokekane」は「尻・削る・金属」と解釈すれば、鉋を連想させるものではあります。こうした名称の多彩さを見ても、鉋がアイヌ社会にもたらされて、すでに長い年月を経ていることを感じさせます(注3)

 

3.「三弦」製作のポイント

 

 三線や三味線は、大まかに、棹、胴、糸巻き、駒からなります。の胴は、4つの部材を継いで丸みをおびた角形に作られています。これに対し、松田伝十郎の『北夷談』に描かれた三弦は、丸太をくり抜いたと見られる継ぎ目の無い円形の胴を持っています。これを作るには、上記のうち、テウナ、イキサカニ、ノコのいずれかがあれば良いでしょう。本州の木地師(椀を作るために木材を加工する職人)は、手斧で椀の内側を刳ってきました。丸太を輪切りにして使う場合は、錐等でくり抜きたい部分にそって穴を開け、槌で叩けば抜くことができます(図3〜6参照)。細い鋸があれば、内部を根気よく挽いてくり抜くことも可能です。なお、三線や三味線の胴の内側には、音響を複雑にするための工夫がされています。図1のように、三線の名器とされる「開鐘(ケージョー)」の内部をCTスキャンで確認したところ、胴の内部は平たんではなく、複雑な凹凸を持っていることが分かりました。

▲図1 盛島開鐘のCTスキャン映像 『三線のチカラ』より

 また琴や三味線には「綾杉彫(あやすぎぼり)」と呼ばれる細かな刻み目を施す技法、「すじ彫り」と呼ばれる刃物の跡を長くスジ状に残す技法もあります。

 こうした技法はインドの太鼓タブラやアフリカのジャンベにも用いられ、楽器製作における一般的な技法と言えるでしょう。もっとも、こうした彫り方をしない音を好む文化もあります。東京国立博物館に収蔵されているトンコリ2点のうち1点は、表の板が失われたため胴内部の様子を詳しく知ることができます。本資料は、胴の内部を平たんにせず、すじ彫り状に加工されています。アイヌが三弦を造れば、おそらく内部はこうした仕上げをしたことでしょう。

 次に、絵図を見ると胴の表面だけでなく、裏面からも皮を張っていることが分かります。胡弓に類する楽器は、表面だけに皮を張り、裏面は空いていることがほとんどですが、三弦類は両面を張るのが一般的です。実は表面だけ貼っても音は鳴り、むしろ裏面を張ると音量が下がります。それでも裏面を張らないと音が散漫になり、張ることで「音が前に出る」と言われます。

 三弦型楽器を作る際の難しさは、1つにはいかにして皮を強く張るかにあります。三線や三味線の皮張りは、従来は縄とクサビを用いていました。簡単に言えば、皮を張った枠と板で胴を挟み、枠と板を締め付けていくことで皮を強く張るという技法です。締め付けの際に縄とクサビを使います。北方でも同様の技法が使われたことでしょう。なお、三線・三味線製作においては、近年ではジャッキやクランプを用いた製作法が一般化しています。

 また、皮に継ぎ目が見られないことから、1匹の魚の、背鰭から首までの皮を使っていると考えられます。ここが、魚の皮の内で最も大きな面積を持っているためです(図2)。

▲図2 使用する部位

 ここから楽器の大よその寸法も推定できます。サケであれば、背鰭・首までの長さは大きくても25~26cmと言ったところです。胴の外周に数センチ巻き込むことを考えると、胴の寸法は20cm前後だと考えられます。これは現在の三線・三味線に比べるとやや小ぶりです。イトウを使えばもう少し大きな皮が取れます。先の『入北記』には、各地の産物としてチョウザメの皮が挙げられていますが、これも使えるかもしれません。今回は市販のカンカラ三線の寸法に合わせたため、胴の直系は16cmとしました。これに、じゅうぶん余裕をもって皮を張るには23cm以上の皮が欲しい所です。

 

4.胴を作る

 

 今回は桂を使いました。三弦型楽器の素材には硬質の木が良いとされ、最高級のものにはコクタンやシタン、カリンといった素材が選ばれます。北海道に自生する樹木で堅い木と言えばチクベニ(エンジュ)やトペニ(イタヤカエデ)などがあります。今回は胴、棹ともランコ(カツラ)を使いました。

 大判で厚手の板から大まかに原形を切り出しました。このため、木取りは年輪に対して直角になります。まず、内側の線に沿ってドリルで円形に穴をあけ、回し引き鋸で落としました。次に外側を鋸で整形し、ベビーサンダーで仕上げます。私はこのまま皮を張ってしまいましたが、もう少し内側を削った方が皮膜が振動する部位が広くなり、鳴りが良くなります。研修生達はノミ等で内側を削りました。

▲図3 ▲図4 ▲図5
▲図6 ▲図7
▲図8

 

 次に棹を通す穴を開けます。通常は胴の側面中央付近に穴を開けますが、今回は棹用に十分な大きさの材を用意できなかったので、若干表面寄りに開けています。ノミだけで開けられますが、慣れないうちはドリルと糸鋸を用いた方が安全でしょう。ノミの扱いが悪いと、胴が割れてしまいます。

 

5.魚皮の採取

 

 サケの身から皮を剥がします。今回は白老産と標津産のサケを使いました。背を切らないように開いてから身を剥ぐ方法と、エラ付近に切り込みを入れて剥がす方法を試しました。作業をした実感としては、後者の方が短時間で済み、身も調理しやすいように思います。

 皮と身がなかなか離れない場合には、木をヘラ状に削ったカプメスプ(皮を剥がすもの)という道具を使います。魚皮と言うと弱く破れやすいと思われがちですが、鋭利に削ったカプメスプで思い切り突いても破れないほど丈夫です。

 身が離れたら、皮下脂肪などをカプメスプでこそげ取り、板に張り付けて乾燥させます。今回はホームセンターで購入したすのこに張ったところ、乾燥も早く、すのこを重ねることでカラスやネコに食べられることも防げました。なお、作業をしたのは10月でしたが、ハエには注意が必要です。また、多湿の地域ではカビにも注意しなければなりません。

▲図10 カプメスプ
▲図9 標津産のサケ ▲図11 すのこに貼って乾燥

 

6.魚皮を張る

 魚皮が乾燥してから、胴に張ります。まず、皮を水につけて戻します(乾燥せずに、剥がした皮をそのまま張ることもできるでしょうが、1度乾燥させた方が匂いがとれるように思います)。

次に胴が入るサイズの穴を開けた合板を2枚用意し。皮を挟んで小型のクランプでしっかり締めます。皮がずれると張りが弱くなるので、皮の幅に余裕がある部分は、枠の外に巻き込んでいっしょにしっかり固定します、

 ここまでできたら、胴の貼り付ける面に接着剤を塗り、皮をかぶせます。このとき、鰭が外側に向くように、また魚の頭の向きと楽器の上が一致するように注意して貼ります。

 胴の下から別な板を当てて、皮の枠と下の板を大型のクランプで締め付けます。この方法ですと、皮を枠に縫い付ける方法に比べて破れにくく、補強として布を裏張りする必要もありません。

 皮は乾燥するとかなり収縮します。湿った状態ではゆるく感じても、乾燥すると強く張ります。乾燥しきる前に余分な皮を切り落とし、胴の外周に接着剤をつけて皮を貼り、ゴムチューブ等で締め付けます。表が十分乾燥したら裏を張ります。三線の場合、裏の皮は表に対して少し弱く張るそうです。

 
▲図12 皮張りの道具

▲図13 張った状態 ▲図14


7.棹を作る


 胴と並行して棹を作ります。棹にもカツラを使いました。三線や三味線の頭は「海老尾」等と言って大きく反ります。このような形に作りだすためには、棹の太さよりもかなり大きな材が必要です。今回は厚さ4cmほどの板材を使ったので、頭部はあまり反りの無い形にしました。

 鉛筆であらあらの外形を書き、電動糸鋸で切り出してから刃物とベビーサンダーで整えました。

 トンコリと同じく、棹の良しあしを決める重要なポイントの1つは糸巻きと糸巻きを通す穴の完成度です。私は焼いた鉄の棒やドリルで開けますが、最後の微細な穴の調整はヤスリを使うことをお勧めします。

 もうひとつのポイントは棹の表面の微妙な反りと、胴にさす部分の角度です。三弦型楽器はトンコリに比べて弦と棹が近いので、演奏時に振動した弦が棹に当たることがあります。弦と棹が触れると「ビビリ」と呼ばれる雑音の元になります。

 棹の仕上げに、カラーニスを塗り、文様を彫りました。三線や三味線は本体への装飾は控えめですが、中国やチベット、モンゴルの楽器には非常に華やかな物が多くあります。また、ニヴフのトゥンクルンには、弦を抑える位置の目安にもなりそうな装飾が施されています(図15および図16)。

▲図15 アムール川(ニヴフ?)国立民族学博物館蔵 4543

 

▲図16 ニヴフのトゥンクルン 国立民族学博物館蔵 20143

 

 彫刻によって棹に凹凸が付き、手を動かしにくくなるかとも思いましたが、実際には手がかりとなって演奏しやすいようです。

 糸巻きには手元にあったヤナギを使い、柿渋を塗りました。駒にはナラを使い、全て道産材にしました。

▲図17 棹の加工(糸蔵部分

 

▲図18 棹の完成

 

▲図19 棹の装飾

 

 

8.終わりに

 

 棹と胴をつなぎ、三線の弦を張って完成です。演奏についてはまったくの未知ですが、試みに樺太西海岸来知志のヤイプニハウという叙情歌(本来は独唱歌)に合わせて演奏してみました。調弦は二上げ(真ん中の弦を高く)です。原曲の大まかな意味は下記の通りです。
 
 わあっ!あの娘、きれいな娘だなあ
 どうにかして手くらいつなぎたいなあ
 ああ切ない
 俺はだらしのない男だけども
 酒を飲んで元気を出して
 この歌を聞かせよう
 さあこっちへ来てくおくれよ!ねえ!

 

音源 ヤイプニハウ(叙情歌) 演奏:北原次郎太 .mp3(2.8MB)

 

 以上で今回の報告を終えます。作業の補助をしてくださったアイヌ民族博物館学芸課勤務山道陽輪氏、サケを提供してくださった標津町の椎久慎介氏、解体作業に協力してくださった北嶋由紀氏と城石梨奈氏に感謝申し上げます。

 

付記

 楽器を愛好する方々の中には「手作りしたい」という思いを持つ人が少なくないようで、インターネット上の記事を見るだけでも、数々の手作り楽器の紹介があふれています。今回の作業に当たっては、ブログ『三線おやじの独り言』を大いに参考にさせていただきました(URL:http://sanshin-oyaji.blog.so-net.ne.jp/2008-10-29)。当該ブログの記事を読み進めるうちに、これら詳細な記事を掲載された方は既に故人となられていることを知り、少なからぬ驚きを覚えました。ご自身の苦心や創意工夫の成果を惜しげもなく公表・共有なさった姿勢に対し、深く感謝と敬意を表するとともに、謹んでご冥福をお祈りいたします。

 また、北海道に暮らしていれば「サケ皮を使ってみたい」とお考えになる方も少なくないようで、本稿脱稿後に、2009年に既にサケ皮三線を製作されていた方がいたことを知り、大変嬉しくなりました。豊平川上流の札幌市豊平さけ科学館のブログに記事がありますので、併せて紹介いたします(URL:http://www.sapporo-park.or.jp/blog_sake/index.php/2009/12/22/1274/)。製作者の方も三線の愛好家で、展示等での活用をお考えの様です。北海道産の素材を使った楽器として、人々に愛される楽器となることを願って止みません。


注1)レウケマキリ/チレワマキリとエピリケヘは、形も用途も異なりますが、形状の説明として「曲げられた」という表現が使用されるため、しばしば研究者によって混同されてきました。前者は椀の内側などの曲面を切り出し、後者はあくまで平面を切り出すものです。

注2)アイヌの口承文芸では、カムイの家をイタヤ(板造りの屋敷)と表現します。板=木造ですから、現代的な感覚では質素な家のように思えますが、かつての人々にとっては板を入手・製造することが非常に困難だったことを考えれば、イタヤはそうした時代状況を反映して生まれてきた言葉だという事がわかります。

注3)なお、『入北記』に記された交易品の中にしばしば「カンナ」が見えます。これは鉋である可能性もありますが、一方で単位が「繰」であること(小刀や鉞は枚、挺など)や、ほかの工具に比して数量が多いことなどから考えて、刃物ではない可能性があります。『アイヌ語方言辞典』には、幌別で綿糸を指す語として「kana」があり、前出の吉田巌のリストには「カナサイェプ」(カナを巻き付ける物)という道具が見えます。『入北記』の「カンナ」は、こうした糸状の品物なのかもしれません。

 


参考文献

(財)アイヌ民族博物館2005『西平ウメとトンコリ』。
沖縄県立博物館・美術館2014『三線のチカラ―形の美と音の妙―』。
沖野慎二 1994「アイヌ民族に“うなり板”は実在したか?」 『北海道立北方民族博物館研究紀要』3号、北海道立北方民族博物館。
帯広市図書館(編) 2015『帯広叢書№67 吉田巌資料集-33 アイヌ調査書 附録その三』帯広市教育委員会。
金谷栄二郎・宇田川洋1986『樺太アイヌのトンコリ ところ文庫2』常呂町郷土文化研究同好会。
北原次郎太2003「トンコリの戦後史-1945年〜1977年を 中心に-」『社会文化科学研究』6 千葉大学大学院社会文化科学研究科。
北原次郎太(編)2013『和田文治郎 樺太アイヌ説話集』1、北海道大学アイヌ先住民研究センター。
北原次郎太(編)2014『和田文治郎 樺太アイヌ説話集』2、北海道大学アイヌ先住民研究センター。
北原次郎太(ciwrantay)2015「hemata kusu ene kacotaata=anihi」深澤美香・吉川佳見(編)『parunpe』第10号、パルンペ同好会。
金田一京助・杉山寿栄男『アイヌ工芸』北海道出版企画センター。
篠原智花・丹菊逸治2009「サハリンの口琴再考」『itahcara』第6号、itahcara編集事務局。
甲地理恵
2011 「アイヌ音楽の録音・録画のあゆみ 第1回 音楽学者・田辺尚雄氏による樺太アイヌ音楽の録音(1)」『アイヌ民族文化研究センターweb連載 フィールドから・デスクから』http://ainu-center.pref.hokkaido.jp/11_02_001.htm
2011 「アイヌ音楽の録音・録画のあゆみ 第2回 音楽学者・田辺尚雄氏による樺太アイヌ音楽の録音(2)」『アイヌ民族文化研究センターweb連載 フィールドから・デスクから』http://ainu-center.pref.hokkaido.jp/11_02_002.htm
平良智子・田村雅史ほか編2007『冨水慶一採録四宅ヤエの伝承 歌謡・散文編』四宅ヤエの伝承刊行会。
直川礼緒1994「口琴の美8 ハバロフスク地方ウリチ地区、ロシア」『口琴ジャーナル』No.8 日本口琴協会。
玉虫左太夫著・稲葉一郎解読1992『安政四年函館奉行堀利煕随行録 蝦夷地・樺太巡見日誌入北記』北海道出版企画センター。
松浦武四郎1969『近世蝦夷人物誌』(谷川健一(編)『日本庶民生活史料集成第4巻 探検・紀行・地誌(北辺篇)』所収)株式会社三一書房。
谷本一之2000『アイヌ絵を聴く 変容の民族音楽誌』北海道大学図書刊行会。
千葉伸彦2011『久保寺逸彦の収録したトンコリ楽曲の基礎資料(五線譜を含む)』(財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構平成22年度研究助成事業成果品)。
知里真志保1973(1948)「アイヌの歌謡(第一集)」『知里真志保著作集』2、平凡社。
1973(1952)「呪師とカワウソ」『知里真志保著作集』2、平凡社。
藤村久和・平川善祥・山田悟郎(編)『北海道開拓記念館調査報告第5号 民族調査報告書 資料編Ⅱ』北海道開拓記念館。
R.ヒッチコック著 北構保男訳1985『アイヌ人とその文化』六興出版。
桝谷隆男1997「楽器学から見た狩猟用具-鹿笛概説(その2)」『アイヌ文化』21号、(財)アイヌ無形文化伝承保存会。
桝谷隆男1997「樹皮トランペット型鹿笛の一考察:動物の擬声を作りだす囮笛と音楽の起源」『北海道立北方民族博物館研究紀要』6号、北海道立北方民族博物館。

 

[シンリッウレシパ(祖先の暮らし) バックナンバー]

第1回 はじめに|農耕 2015.3

第2回 採集|漁労   2015.4

第3回 狩猟|交易   2015.5

第4回 北方の楽器たち(1) 2015.6

第5回 北方の楽器たち(2) 2015.7

第6回 北方の楽器たち(3) 2015.8

第7回 北方の楽器たち(4) 2015.9

 

 

 

 

《レポート》女性の漁労への関わりについて

 

 文・写真:イオル再生伝承者(担い手)育成事業 第三期生一同

 

はじめに

 イオル再生伝承者(担い手)育成事業(注1)では、アイヌの伝統漁法を学ぶ一環としてマレク(marek)の製作および実地でのサケ捕獲を行っている。マレクを用いてサケをとった後、すぐにイサパキクニ(isapakikni)〜イパキクニ(ipakikni)等と呼ぶ棒でその頭を叩くというのが、アイヌの伝統的な漁法のひとつである。(注2)

 マレクとは、サケなどを突いてとるための鈎銛である(写真1※「担い手」第二期生の製作品。以下同じ)。突くときは、長い柄の先にその鈎銛をとりつける(写真2)。鈎には紐が結びつけられていて、サケが鈎に刺さると鈎が溝から外れて(写真3)、紐でぶらさがり、あばれても外れないようになる。


▲(写真1)マレク全体

▲(写真2)マレク先端1

▲(写真3)マレク先端2

 

 イサパキクニはサケをとった際に、そのサケの頭を叩くためのものである(写真4)。「イナウ(注3) コロ inaw kor.(イナウを持て)」と唱えながらサケの頭を叩くと(写真5)、その霊魂はこの棒を土産としてくわえ帰って行くものとされた。イサパキクニで叩かないと、サケが怒って川を上ってこなくなるという説話が各地に伝えられており、実用の漁具であるとともに信仰上も重要な意味を持つ道具である。イナウ(inaw)は神の国へのお土産として、喜んで持っていくものだとされてきた。


▲(写真4)イサパキクニ

 

▲(写真5)イサパキクニの使用状況

 なお、「担い手」研修事業におけるサケ漁は、2014年9月9日に北海道より特別採捕許可を得ている。下記は、特別採捕許可証より抜粋。

「採捕する水産動植物の種類及び数量 種類:さけ 数量:100尾以内
区域:新ウヨロ橋から上流3㎞地点までのウヨロ川本流の区域
使用漁具及び漁法 種類:マレク ラオマプ   ※原文表記のまま
採捕期間:2014年9月16日から11月30日まで
制限または条件:伝統的な儀式若しくは漁法の伝承及び保存並びにこれらに関する知識の普及啓発に供すること以外の目的で採捕してはなりません。」

 

1. 関心の所在

1-1 アイヌ社会における性的分業

 かつてのアイヌ社会では「男性が行う仕事」、「女性が行う仕事」というように性別による仕事の分担が決まっていることが多かった。例えば次のようなことである。「マレク漁に女性は関わってはいけない」「女性はイサパキクニでサケの頭を叩いてはいけない」「カムイユカラは女性が語るもの」「ムックルは女性が演奏するもの」、儀礼で言えば「女性が酒や料理を作り、イナウは男性が作る」…といった具合である。担い手研修は上記のとおり伝統文化を学んでいるため、そうした考えを軽視することはできない。

 一方、その考えを重視するあまり、研修の内容によっては、男女一緒に参加できない場面が出てくる恐れがある。1期から3期まで研修生の男女比はまちまちである。仮に性的分業を徹底するなら、募集の段階から男女比をそろえる等の対処を、男女双方の文化が保たれるよう配慮が必要である。現状ではそのような体制にはなっておらず、分業によって学習の機会が減少し、研修生自身にとっても不利益が起こると考えられる。

 また、今では知識と技量を兼ねそろえた伝承者から教わる機会が少ないため、「男性が行う仕事」「女性が行う仕事」という線引きの根拠が不確かな場合がある。過去の伝承者が残した事例が、偶然の物なのか、それとも一定の規範意識を伴うのかを判断することは難しい場合がある。そのため、しばしば「石橋をたたいて渡る」ごとく過度に慎重になりがちである。本来そのような線引きがないであろう領域にまで種々の制約をもうければ、伝承が先細り、意欲を持つ人が関わりにくくなりかねない。また、通説的にタブーとされていることが必ずしもその通りではなく、実は、資料を見ればもっと柔軟な面が見えてくることもある。

 性差を越えて社会に参加することが志向される現代の価値観と、こうした「伝統的価値観」の間での衝突も深刻な問題である。、先人たちの考え、習慣を尊重して学びつつ、現代の価値観とのすり合わせを模索しなくてはいけないだろう。

 むろん、一足とびに今すぐ伝統を変えるという結論に行くのではなく、まずは資料に基づき、本来の様子を探ることが先決である。

 

1-2 担い手研修でのサケのマレク漁を一例に

 先にも述べたとおり、「担い手」研修ではサケのマレク漁を行っている(写真6)。第三期研修生は全員で5名であり、そのうち女性は1名である。現代のアイヌ社会では、女性は漁を行ってはいけないという考えが存在する。実際に女性研修生が「女性だからマレク漁を行ってはいけない」と言われたことがあった。そこで、「女性は本当に漁を行ってはいけないのだろうか」「過去に漁を行っていた女性はいなかったのだろうか」という疑問が生じたため、「青本」などを使って調べることにした。

▲(写真6)マレクでサケを突く

 

2.資料概要-何を使って調べたのか

 まず、北海道大学北方文化研究室『北方文化研究報告 第5冊』北海道大学(1955年)に収録されている、犬飼哲夫「アイヌの鮭漁に於ける祭事」を読んだ。この論文は白老地域について記載されている。

 次に、北海道教育庁社会教育部文化課編『アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査Ⅰ〜ⅩⅧ)』北海道教育委員会(1982〜1999年)、いわゆる「青本」をもとに調べることにした。この「青本」は、「担い手」研修生の親より上の世代の方々が語った情報であり、「地域別に」「誰が語ったのか」が、ある程度まとまって記載され、「こういうケースがあるのか」という良い情報が記載されている。

 

3.調べた結果はどのようであったか

 犬飼(1955)では「鮭は川の水が澄んで美しい時は必ず多く上るから、川を汚さないように用心している。【中略】一般に婦人は遠ざけられたが、若い女は(月経で汚れている意味から)余り鮭の上る川には行かぬようにし、川では洗濯はせぬことにし、腰巻や下衣を洗うことは厳格に禁じられ、沼や池で洗うようにした。婦人は尻をはぐって川を渡渉することも禁じられ、若しその家に出産があると夫でさえも二三日経って臍の緒が切れる迄は漁には出られなかった」と記載されている。

 この文献を読んで、白老地域において、女性は漁に関わってはいけないし、他にもいろいろなタブーがあることが分かった。それでは、他の地域では女性はマレク漁を行ってはいけないのだろうか。また川に近づくことさえできないのだろうか、他の地域では女性はどのように漁労にかかわっていたのか。これらも併せて、他の文献でも調べることにした。

 「青本」の中で、「漁労活動」の項目は全て読み、「人間観」や「伝承」など他にも関係がありそうな項目にも目を通した。その結果、女性の漁労への関わりについての記載があった地域は、旭川、静内、浦河、千歳、美幌、屈斜路、本別、帯広、平取、鵡川、浦幌、標茶、幕別、白糠、阿寒(※「青本」掲載年度順)であった。

「青本」で調べた結果は、下記のとおりである。※詳細は別紙参照(PDF234KB、15ページ)
証言者:34名

  旭川 静内 浦河 千歳 美幌 屈斜路 本別 帯広 平取 鵡川 浦幌 標茶 幕別 白糠 阿寒
件数 10 6 4 14 8 4 2 4 4 4 1 1 2 2 11

合計77件

(女性が漁に関わっていると判断できるもの) 55/77
条件付き○ (川に近づくのは良い、生理上がりなら良いと判断できるなど) 7/77
× (女性が漁に関わっていないと判断できるもの) 1/77
条件付き× (妊婦とその夫はダメ、産後2〜3週間はダメ、生理中はダメなど) 7/77
(前後の文脈から、関わりはあると推測できるが、断定できないもの) 7/77

 

 「青本」で本件に関しての記載は77件である。そのうち55件は女性が漁に関わっていると判断できるものである。

 

おわりに

 「青本」での記載を調べた結果、上記のように関わっていると判断できる事例が多かった。そのため女性も漁労に関わっても良いだろうと判断し、「担い手」研修では、女性もマレクを使って漁を行った。ただし、千歳地域では「女もイサパキクニを使って構わない」という記載はあったものの「普通男が魚の頭を叩く」と続いていた。そのため、女性はイサパキクニを用いず、男性が行った。他にも、生理中や妊娠中は川に近づかない方が良いという記載が多く見られたため、その時期には女性は記録などの役割にまわることとした。

 今回は、『北方文化研究報告 第5冊』を読んだ上で、「青本」に限って調べている。他にも、重要な文献があるかもしれない。女性と漁の関わりについては、依然として情報が少なく、自分たちの判断に不安を感じる部分がある。今後折にふれて学びたい。

 また、慣習的に男女のどちらかが担ってきたことが「信仰上のタブー」と混同されていることもあると考えられる。それに加え、後継者不足などから様々な領域で、性別を超えて実践されるケースがある。たとえば「担い手」研修でも、本来女性の手仕事であるエムシアッ(emusat)(注4)を男性が編んでおり、本来男性が行う木彫りも女性が参加している。

 まずは先人の考え方や行い方を尊重しつつも、仮に疑問が生じた場合、今回のように事例を調べて、自分たちで検証し、「担い手」研修ではどのように行うか判断するということが、現代的継承のあり方のひとつの方法ではないだろうか。

 

注1) 本事業は「伝統的生活空間(イオル)再生事業」の一環として実施されているものである。アイヌ文化の保存、継承、発展を図るうえで、アイヌ民族・文化に関する総合的な知識・技術・技能を身につけ、アイヌ文化を根底から支える総合的な人材(伝承者)を育成する事業である。平成20年度より3年間を一期として実施されており、アイヌ語・衣・食・住・信仰・儀礼・工芸・芸能・教材開発など多岐にわたる研修が実施されている。2015年現在は第三期の研修を実施している。

注2)他にヤシ(yas 流し網)やウライ(uray 簗)、アプ(ap 流し鉤)などを用いた漁法がある。二人の人、または二艘の舟の間に張った網を流し、魚をとる漁法をヤシといい、水の流れや魚の習性を利用して、魚を追い込む仕掛けをウライという。アプは、主に川で用い、鉤の中ほどから柄にかけて張った糸に魚の腹ビレが触れた瞬間柄を手前に引いて魚を引っかける。暗いところや水の中が良く見えないときに使われた。

注3)イナウとは、アイヌの祭礼において捧げられるカムイ(kamuy 神)への贈り物である。木を削って作られる。

注4)刀掛け帯。刀を肩からつるす幅の広い帯。

 

引用文献
・北海道大学北方文化研究室『北方文化研究報告 第5冊』北海道大学(1955年)

参考文献
・萱野茂『萱野茂のアイヌ語辞典 増補版』三省堂(2002年)
・萱野茂『アイヌの民具』アイヌの民具刊行運動委員会(1978年)
・田村すず子『アイヌ語沙流方言辞典』草風館(1996年)
・中川裕『アイヌ語千歳方言辞典』草風館(1995年)
・北海道教育庁社会教育部文化課編『アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査Ⅰ〜XⅧ)』北海道教育委員会(1982〜1999年)
・北原次郎太『アイヌの祭具 イナウの研究』北海道大学出版会(2014年)
・谷川健一編『日本民俗文化資料集成 第十九巻 鮭・鱒の民俗』三一書房(1996年)
・日本民具学会編『日本民具辞典』ぎょうせい(1997年)
・更科源蔵『歴史と民俗 アイヌ』社会思想社(1968年)
・財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構『アイヌ生活文化再現マニュアル 川漁-サケ・ヤマメ・シシャモ-』(2005年)

 

 

 

 

《伝承者育成事業から》今月の新着自然写真「私の一枚」

 

 アイヌ民族博物館で行われている伝承者(担い手)育成事業受講生の新着写真等を紹介します。

 

▶木幡弘文の一枚


(写真)「黄昏れているヒシクイ」

 このヒシクイはかれこれ10年以上もウトナイ湖に居て、ウトナイ湖のレンジャーからは「センパイ」と呼ばれているそうです。道の駅の湖畔に居ることがあり、かなり近づく事が出来ます。もしよかったらセンパイに挨拶していってあげてください。

(木幡弘文)

木幡弘文のアルバム

 

▶新谷裕也の一枚

(写真)マユミ

 マユミはニシキギ科の植物で、アイヌ語ではカスプニといいます。カスプは杓子を意味するアイヌ語で、昔杓子を作る際に多く使用したそうです。日本文化では弓を作る際に使われた木なので真弓という名前がついています。このマユミの実は不思議な形をしており、ピンク色で綺麗です。

(新谷裕也)

新谷裕也のアルバム

 

▶中井貴規の一枚


(写真)ケヤマウコギの実

今年の6月にウトナイ湖で撮影したケヤマウコギの実です。

ケヤマウコギは「実をオヒョウなどの樹皮で作った糸を黒く染める染料にした」そうなので、写真に収めてみました。

たしかに、実は黒い色をしていますね。

(中井貴規)

中井貴規のアルバム
 


 

▶山本りえの一枚


(写真)コハクチョウ
 今回の研修の目的は「旅鳥」をみるということだったで、ハクチョウ類やガン類、カモ類の観察をしました。思ったよりハクチョウはいませんでしたが、コハクチョウと大量のマガンの写真を撮ることができて満足です。ハクチョウはアイヌ語でレタッチリ(retar-cir 白い・鳥)やペケッチカプ(peker-cikap清い・鳥)と呼ばれ、アイヌの物語にもよく登場します。

(山本りえ)

山本りえのアルバム
 


 

▶山丸賢雄の一枚


(写真)マガン(群れ)  アイヌ語名 クイトプ kuytop

 ウトナイ湖へ旅鳥を見に行きました。湖の向こうで泳いでいた群れが一斉に飛び立ち始めた様子を写真に写しました。これは、どこかへ行くために飛び立ったわけではなく、敵のもうきん類が来たからです。マガンが綺麗に列を作って飛び立つ様子はアイヌ語で、クイトプ サイ kuytop say(マガンの列)といいますが、この写真ではそのようには言えないですね。

(山丸賢雄)

山丸賢雄のアルバム
 


 

▶山道ヒビキの一枚


(写真)ツルウメモドキ  アイヌ名:ハイプンカラ

 ウトナイ湖周辺を散策しているとツルウメモドキに実がついていました。秋になると黄色い外皮が割れて、中から赤い実が出てきます。

 近くで観察すると小さくて綺麗な色でした。アイヌ文化では、この木の内皮から糸を作りました。

 2月頃にツルウメモドキのツルを採取し、内皮をとります。そのあとひと月ほど雪ざらしにすると真っ白い糸になります。

 とても丈夫な繊維なので、切れにくく水につけると膨らんで締まるため、マレク(かぎ銛)などの漁具を作る際にはいつも使っています。

(山道ヒビキ)

 

山道ヒビキのアルバム

 

 

 

 

《資料紹介2》映像で見る挨拶の作法2「女性編」

 

(文:安田益穂)


 11月1日は当館主催の年中行事「秋のコタンノミ」(集落の祈り)でした。お越しいただいたみなさん、ありがとうございました。また来春のゴールデンウィークには「春のコタンノミ」がありますので、今回参加できなかったみなさんもぜひお出かけ下さい。

秋のコタンノミ、チプヤンケ、無事に終了いたしました。

Posted by アイヌ民族博物館 on 2015年11月1日

 

 さて、前回は男性の挨拶を中心にご紹介しましたが、今回は女性の挨拶をご紹介します。まずは前回のおさらいから。

 アイヌ古来の挨拶(おじぎに当たる所作)は男女で異なります。男性は「オンカミ」という拝む所作、女性は右手の人差し指を鼻の下を通過させる所作(ライメク=幌別方言) をします。

 

▼動画1)無声映画「白老コタンのアイヌの生活」(1925年撮影)より「礼儀」

  

 

女性の挨拶「ライメク」

 

 男性の「オンカミ」は「拝み」に由来する言葉で、所作自体も和人の拝む所作と似通っているので挨拶であることは想像がつくだろうと思いますが、女性の所作は似たものを見かけません。それで「ちょっと変わっているので、誰も分からないので、事情に通じない者はこの礼を受けても気づかず、アイヌ婦人は礼儀を知らないように思うことがある。」 (満岡伸一『アイヌの足跡』)ということになるわけです。

 満岡はこの所作を「ハープの礼」と呼んでいます。白老地方では、右手の人差し指が鼻の下を通過するとき「ハープ」と声を発するのでそう呼んでいるのでしょう。この映像でも女性の口が「ハープ」と動いているように見えます(その後も何か言っているようですが)。

 ハープ hapというのは白老に限らず「ありがとう」「いただきます」「ごちそうさま」等の意味を含むアイヌ語で、イヤイライケレと同じ意味で使われるようです。満岡はこの言葉と所作はセットのように書いていますが、他の地方では特にそういうわけでもないようです。この女性の挨拶自体を指す言葉としては、白老方言に最も近い隣の幌別(登別)方言ではライメク、日高の沙流方言ではライミク、エトゥフカラなどと呼ばれます。

 久保寺逸彦「挨拶・礼儀・作法」には、以下のように書かれています。

 訪れて来た婦人は、眼を伏せて静かに本座に控えている。主人の方から、日常の口語で、言葉を掛ける。例えば、「ウヱラミシカリ アン ヤッカ ウエランカラパン ナ!(お互いに初めてお会いしますね)」、「タント シリメマン(今日は寒いね)、ホクレ アペクル ヤン(さあ、火にあたたまって下さい)」というようにいうと、訪れた婦人は、うつむいたまま、相手の顔を見ないようにしながら軽く両手を合わせた後、静かに右手を左膝の上から上げて、人差し指(イタンキ・ケム・アシケペッ)で鼻下を左から右に一度、引くように擦って、膝の上に下ろす。これがライミックとかエツ゚フカラ(鼻を作る)という女礼である。

 この女礼「ライミック」は、成年以上の女子が主として男性に対して行うもので、女性どうしで行う場合、祭りなどの改まった席に限るようである。

 また、女子の挨拶には、膝を立て、首を垂れ、前髪を下げて顔を覆い、両掌を鬢の辺りまで、静かに上下して拝するものがある。この場合は、ライミックはしないらしい。このことは「蝦夷雑書」などにも見えている。

(久保寺逸彦『アイヌ民族の文学と生活』、草風館、2004年所収、p.192)

 

秦檍磨(村上島之允)『蝦夷島奇観』より女夷の礼(東京国立博物館蔵)

 

 

儀式における女性の作法 パケシコロ(お流れをいただく)

 

 今日、ライメクなどアイヌの伝統的な作法を実践する機会はごく限られていますが、様々な礼儀作法が最も集約されているのが儀式です。

 儀式の際、長老や来賓など主だった男性たちは2列に向かい合って対座(ウウェソプキ)しますが(冒頭のコタンノミの写真参照)、女性は下座に控えていて、男性が差し出すお流れ(飲み残し)の酒杯を受け取って飲みます。お流れをパケシ(pakes 飲み残し)、お流れを渡すことをパケシコレ(pakes-kore 飲み残し・を与える)、お流れを受けることをパケシコロ(pakes-kor 飲み残し・を持つ)と言います。

 次の動画2はアイヌ民族博物館の地鎮祭の映像で(祈り詞はコチラ)、祭主は静内地方の伝承者・葛野辰次郎エカシ(=「エカシ」は長老の意味、当時73歳)、隣には織田ステノフチ(「フチ」はおばあさんの意味、当時81歳)が控えています。まずは葛野エカシが祈り終え、織田フチにパケシコレするまでの流れです。

▼動画2 アイヌ民族博物館地鎮祭(1983年8月2日)から、「開式の祈り」を終えた場面

 

葛野エカシが火の神への祈りを終え、

①オンカミし(0:08〜)

②炉頭のイナウ(木幣)、(0:17〜)

③サパウンペ(幣冠)の前・後(0:25〜)

左肩・右肩(0:32〜)

⑤刀の柄・つばに捧酒し(0:38〜)

上座、下座の方にオンカミし(0:43〜)

⑦飲んで(0:57〜)

⑧織田フチにパケシコレ(飲み残しを渡す)(1:08〜)

 

 ここまでは男性の祈りの作法ですが、②のイナウに捧酒するのは普通だとしても、その後③④⑤と自分の体のあちこちにお神酒を垂らしていますね。右隣の二人の男性(静内からの来賓)も同じようにしています。何をしているのでしょう? 女性の所作と共通する部分もありますので、少し基本に立ち返ってみましょう。

 そもそも「神に祈る」のが儀式ですが、人の祈り言葉は直接神には通じません。人がクマに祈っても、クマは人間の言葉がわかりません。その通訳・仲介役をするのが火の神です。火の神は人間の言葉の足りないところを補い正し、案件を吟味した上で所定の神へ伝えてくれます。また、神酒や供物も、火の神をとおして神の国へ届けられることになっています。

 ただ、人と神との間には火の神だけが介在するものではなく、火の神が直接伝令に走るとも考えられていません。祈り手は自分の憑き神の力を借りて祈り、祈り手の周辺ではイナウ[木幣]やヌサ[祭壇]、トゥキ[酒杯]やイクパスイ[捧酒箸]などの儀礼具エムシ[儀刀]やサパウンペ[幣冠]などの礼装などがそれぞれ霊的役割をもって人間の祈りを助けます。また、火の神の周辺では煙や火の粉、火の神の配下神であるスワッ[炉鉤]、イヌンペサウシペ[削り台]、宝物に宿る神々などが協力し、神の国でも直接間接に様々な神々を経由して最終目的地となる神の許へ祈り詞や酒、供物が届へくと考えられているのです。(詳しくは「アイヌの儀礼具」参照)

 憑き神(守護霊)は頭の後ろのへこみ「盆の窪」についているのだそうで、その人を守ると同時に性格を決定づけるものと考えられています。④⑤で両肩にお神酒をつけているのはこの憑き神に対してで、これは女性も同様の所作をします(後出)。③サパウンペ(幣冠)、⑤エムシ(刀)にお神酒をあげている意味も、祈りを手助けしてくれる者たちにご褒美をあげているわけです。

 さて本題です。次の動画3は、女性にトゥキが渡った後の場面です。ここでは織田ステノフチ、林イツ子氏(白老の伝承者、当時50歳)と、静内地方と白老地方の女性伝承者2人が続けてパケシコロ(お流れを受ける)している貴重な映像です。

▼動画3 同・「閉式の祈り」を終えた場面のパケシコロ

 この映像をイベントごとに分けると以下のようになります。

①祈り終えた葛野エカシが酒を飲み、パケシ(お流れ)を織田フチに渡す。(0:05〜)

②織田フチは手を上下させてこれを受け取り、イクパスイ(捧酒箸)の向きを自分が使う向きに直し(注:イクパスイだけ向きを直すのではなく、酒杯ごと回して向きを変えており、これが正しい作法とされる)、トゥキを上下させる。

③葛野エカシからの指示で、スワッ(炉かぎ)に捧酒しながら声を出さずに祈る。(0:18〜)

④祈り終えると再びトゥキを上下させ(0:40〜)

⑤飲む。(0:45〜)

⑥飲み残しを後ろに控える林イツ子氏に渡す。(0:50〜)

⑦林氏は受け取って低い位置で三方(左・右・中央)に上下させ(0:54〜)

⑧イクパスイで自分の左肩、右肩、頭の後ろに向けて捧酒する仕草をし(0:57〜)

⑨酒杯を上下させた後(1:01〜)

⑩飲む(1:03〜)

 

 この映像では二人ともライメクをしていませんが、するとしたら⑤⑩のお流れを飲む前になります。その場合は「いただきます」の意味になります。

 林イツ子氏が、イクパスイで自分の左肩、右肩、頭の後ろに向けて捧酒する仕草をしている(=⑧)のは、先に述べたように、首の後ろのへこみ(盆の窪)にいる憑き神にお神酒をあげているわけです。ライミクも⑧も必ずやるわけではなく、略される場合もあります。

 また、③では炉かぎの女神(スワッ カッケマッ)に祈っています。女性が直接祈って良い神というのは限られていて、女性は通常、火の神や祭壇の神々へ祈ることはできません。その代わり、炉の下手の神々、すなわち炉かぎ、鍋置きなどは火の神の配下の神々で、炊事にかかわって女性が受け持つ神です。ですからパケシを受けると、炉かぎや炉の下手隅などに捧酒しながら祈ります。これも二度目三度目のパケシの時には略されることが多いようです。

 パケシの時の炉かぎへの祈りは、1991年に葛野辰次郎エカシが当館職員に伝えた祈り詞が採録されています。

▶︎30206-4.炉鉤の神への祈り  音声[0'19"]

スニ トポチ 自在鉤の召人神
カムイ トポチ 神なる召人神よ
イレスカムイ 育ての神
カムイ ツヤ オロ 神の□□の所
アエシスイェ で揺られ
アンキ カネ ながら
ピリカ イペ 良い食料
ピリカ ハル 良い穀物を
エハンケ クル 近くの人に
エニスイェ 煮炊きして
ウンコレ キ ヤン 下さいませ。

 

 次の動画4は結婚式後の酒宴の場面で、列席者は献酬(トゥキライェ)という方法で一斉にオンカミしています。通常女性はこの列に加わりませんが、結婚式なので新婦が列座していて(右列の一番手前)、男性が手をすり合わせるときには何もしていませんが、酒杯を受け取って上下させる時には男性以上に大きく上下させたあと、ライメクを(左手で!)してから飲んでいます。これも「いただきます」の意味ですね。では女性は両手を擦り合わせて上下させる所作(=オンカミ)はしないかというと、文献にはそうした例も見られます(注1)

▼動画4)無声映画「白老コタンのアイヌの生活」(1925年撮影)より「婚礼」

 パケシを終えた女性は、用意してきた容器に残り酒をあけ、持ち帰って良いことになっていました。当館の儀礼では、下座に大きなパッチ(鉢)を用意し、そこに残り酒をあけるシステムになっています。

 以上、様々な作法をいくつかの古い動画から紹介しました。昔の女性の作法の一端を知っていただけたら幸いです。(やすだ ますほ)

 

注1) 本稿掲載後、久保寺逸彦「アイヌの建築儀礼について―沙流アイヌよりの聴き書き―」『北方文化研究』3、1968年、北海道大学発行、pp.260-261)に以下のような記述がありましたので訂正しました(2016.1.8)。

 III 女たちのUkoshintoko-raye(行器収納)……

 (1)主賓の夫人と主婦とが、酒行器を隔てて対座する。
 (2)互に両手を擦り合わせて、手を静かに上下すること数度にして下ろし、右手を静かに膝の左側から挙げ、人差し指で鼻下を撫でる女礼即ちraimikを行う。(手を擦り合わせ上下して拝するには、各々自分の前にある行器の左側から掌で掬い上げる様にして相手に礼をする。この時、行器の上には手を出さない様にする。)

 

参考文献

満岡伸一『アイヌの足跡』1924年初版、2003年改訂9版、アイヌ民族博物館→ミュージアムショップ通販

北海道教育庁生涯学習部文化課編『久保寺逸彦 アイヌ語収録ノート調査報告書―(久保寺逸彦編 アイヌ語・日本語辞典稿)』北海道教育委員会、1992年)

久保寺逸彦「挨拶・礼儀・作法」(『久保寺逸彦著作集2』草風館、2004所収)

アイヌ民族博物館『伝承記録7 葛野辰次郎の伝承』(アイヌ民族博物館、2002年)

アイヌ民族博物館『伝承事業報告書 ポロチセの建築儀礼』(アイヌ民族博物館、2000年)

服部四郎『アイヌ語方言辞典』(岩波書店、1964年)

 


[トピックス バックナンバー]

「上田トシの民話」1〜3巻を刊行、WEB公開を開始 2015.6

『葛野辰次郎の伝承』から祈り詞37編をWEB公開 2015.9

 

[今月の絵本 バックナンバー]

第1回 スズメの恩返し(川上まつ子さん伝承) 2015.3

第2回 クモを戒めて妻にしたオコジョ(川上まつ子さん伝承) 2015.4

第3回 シナ皮をかついだクマ(織田ステノさん伝承) 2015.5

第4回 白い犬の水くみ(上田トシさん伝承) 2015.7

第5回 木彫りのオオカミ(上田トシさん伝承) 2015.8

 

[資料紹介]

《資料紹介》映像でみる挨拶の作法1 2015.10

 

 

 

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