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月刊シロロ

月刊シロロ 10月号(2015.10)

 

《ことばからみたアイヌ文化と自然2》アイヌ文化における時間使用

 

 文・写真:高橋靖以
      
(北海道大学アイヌ・先住民研究センター博士研究員)

▲サケの遡上する河川(2015年9月浦河町にて)


 今回の連載ではアイヌ文化における時間使用について考えてみたいと思います。特に社会人類学(social anthropology)における時間の研究を参考にしつつ、アイヌ文化における時間使用の一端に触れてみたいと思います。

 イギリスの社会人類学者エヴァンズ=プリチャードは、アフリカのヌアー族の人類学的研究に基づき、生態学的時間(ecological time)と構造的時間(structural time)というものを区別することを提唱しています(Evans-Pritchard 1940)。生態学的時間とは、環境との関係を反映した時間であり、周期的な性質をもつものとされます。一方、構造的時間とは、社会構造における相互の関係を反映した時間であり、現在の関係を過去を用いて説明するものです。

 それでは、アイヌ文化における生態学的な時間使用の実例をみてみましょう。以下に取り上げるのは、旭川地方の月名です(北海道教育庁社会教育部文化課1982)。ただし、日本語訳は筆者による追加です。
  1月 inomi cup「神に祈る月」
  2月 taskur cup「冷え込み(がある)月」
  3月 toetanne「日に関して長い(?)」
  4月 upas rure cup「雪を溶かす月」
  5月 mun tukka cup「草を伸ばす月」
  6月 toyta cup「畑を耕す月」
  7月 kunne yas cup「夜に流し網漁をする月」
  8月 kunne susi cup「夜に水浴びをする月」
  9月 yas cup「流し網漁をする月」
  10月 komni ran cup「柏の木が落ちる月」
  11月 nitek ranke cup「木の枝を落とす月」
  12月 upas ranke cup「雪を落とす月」

 環境の変化やそれに関連した生業活動がアイヌ語の月名の基礎を形成していることは、上記の例からも明らかといえます。

 次に、アイヌ文化における構造的な時間使用の実例をみてみましょう。ここでは知里幸恵さん(1903-1922)が筆録された親族の系譜を語る伝承を取り上げます(知里2002)。以下にアイヌ語原文と日本語訳を掲載しますが、アイヌ語の分かち書きや旧漢字には少し変更を加えてあります。

  Tush hai turi Tush hai matu
  麻縄をしごいて、パッと一はしを
  korachino itak kurka ene oshmare
  むかふ投げてやるやうに、私の先祖は雄弁家でした。
  mak ta ekashi rehe tapne
  一番前の祖父の名は
  Kashittawe ne, tutanu ekashi
  カシタヱです。次の祖父の
  rehe tapne Iyottahunde ne,
  名はイヨッタフンデです。
  tutanu ekashi rehe tapne
  次の祖父の名は
  Kaniinauni ne
  カニイナウニです。
  Kaniinauni upshor orke
  カニイナウニの懐から
  esan menoko rehe tapne
  出た女の名は
  Inauesanmat ne, Inauesanmat
  イナウエサンマッです。イナウエサンマッの
  upshor orke esan menoko rehe tapne
  懐から出た女の名は
  Ikuesanmat ne Ikuesanmat
  イクエサンマッです。イクエサンマッの
  upshor orke esan menoko
  懐から出た女の名は
  rehe tapne Ikonoiremat ne,
  イコノイレマッです。
  ha um
  以上。

 この伝承には知里幸恵さんによる以下のようなコメントが付いています。

 自分の先祖代々の名をならべてその徳をあげます(これは私等の先祖の事ださうです)。これは初対面の人に挨拶する時とか、カムイノミ(引用者注:神への祈り)をするときとかに男がいふのださうです。

 以上のように、アイヌ文化における時間使用は生態学的な側面や社会構造的な側面を含め、多様な性格を有するものといえます。アイヌ文化における時間使用についてはまだまだ不明な点が多く、今後の研究の蓄積が俟たれるところです。

(たかはし やすしげ)

引用文献
知里幸恵(2002)『復刻版知里幸恵ノート』知里森舎
北海道教育庁社会教育部文化課編(1982)『昭和56年度アイヌ民俗文化財調査報告書』北海道教育委員会
Evans-Pritchard, E. (1940) The Nuer. Oxford: Clarendon.(向井元子訳『ヌアー族』平凡社, 1997年)

 

《図鑑の小窓6》シマリスとエゾリス

 

 文・写真:安田千夏

 

 季節は秋たけなわです。森ではシマリスがほお袋いっぱいに木の実をつめこんで、長い冬眠の準備に忙しく走り回っています。のんびり写真を撮っている人間にはかまっちゃおれんということでしょうか、ばったり木道の上で鉢合わせをしてもかまわずに真っ直ぐ突進して来ることがあります。多分そのままあざやかな股抜きで私の巨体をかわす自信があるのでしょう。でも大概は私の方がひるんで道を譲らされてしまいます。そしてシマリスの習性なのか、通り過ぎてから必ずと言っていいほどこちらを振り返って様子を窺うインターバルがありますので、そのシャッターチャンスを逃すわけにはまいりません。木道から足を踏み外しつつ上体をひねりシャッターを切るという技を駆使し、秋の散策は撮るか撮られるかという緊張感の中で過ぎて行きます。

▲写真1 木道上の見返りシマリス(ウトナイ湖)

 愛くるしい姿を惜しげもなく見せてくれるシマリスは、アイヌ語名はルオチロンヌプ(筋がついた獲物)、カシイキリクシ(その上を筋が通る)などその独特な縞模様に注目した名がいくつか採録されています。「コタン生物記」(注1)には意外にも「冬になると地獄に行く奴だ」と言って嫌われたというエピソードと、それとは異なり「堅雪の頃木の穴から出て来たのを追いかけ、木にのぼるとゆすぶり落して捕え、簡単な棍棒木幣をつけて太い木の根におき、『大きな熊をさずけてくれ』などと頼んだりもする」(注2)という異なる性質のエピソードが書かれています。アイヌ文化でのシマリスに対するイメージを一言で説明するのはどうも難しいようです。

 同じリス科エゾリスは体の大きさはシマリスの倍近くあり(注3)、冬眠はしないので一年中元気に雪の上でもかまわず走り回り、見ているとじつに色々なしぐさをしてくれるので見飽きるということがありません。でもアイヌ文化ではエゾリスに対しても「不気味だ」「縁起が悪い」という印象を持っている人が少なからずいて、下の写真を撮ったときには「分類辞典」(注4)記述を思い出しました。

「これは木の上にいて人を拝んでいるさまが、いかにも貧乏くさく不吉とされ、狩人が朝出がけにこれを見かけるとその日はだめだといって家に戻る」(注5)

▲写真2 人を拝んでいるさまが貧乏くさい(?)エゾリス(ウトナイ湖)

 こうした印象は個人的な好き嫌いに留まらないものがあったようで(注6)、多くの場合「その姿を見たらその日の猟を中止し家に帰った」のように存在自体を嫌がられてしまっているのですが、アイヌ民族博物館の聞き取りデータには少しニュアンスの異なる話が採録されているのでご紹介します。

 あるおじいさんがふたりで連れ立って魚をとりに山へ行きました。途中でエゾリスが木の上にいて、木の上を跳び回りながら木の枝をくわえて折り、振り回していました。まるで何かに怒っているようでした。

 その晩は魚をとって山に泊る予定でしたが、おじいさんたちは、エゾリスはどうしてあんなことをするのだろうと話し合いました。そしてエゾリスに向かって「何かを知らせてそうするのであっても、私たちは何か悪い心を持って来たのではないのだ。魚をとるために来たので、何かを知らせているのなら神様達どうか私たちを守ってください」と言って祈りました。

 そのまま予定通り魚をとりに行って、大きな火を焚き、とった魚は仮小屋の奥の穴に入れてふさいでおきました。ふたりで話をしてから眠りにつくと、ひとりのおじいさんが何かの音で目を覚ましました。すると魚を埋めたところで何者かが魚を掘り出して食べている音がしました。そこでおじいさんは声をあげて火の燃えさしをつかんで外に出て、木に登って行きました。もうひとりのおじいさんは火を抱えて家の奥にまき散らしました。するとクマが大きな声を出して逃げて行きました。そのおじいさんも木に登り、クマが逃げて夜が明けてからおりて来ました。無事を喜んで「エゾリスの様子を早くに見て神に頼んでおいたから生きることができた。山に行ったらあたりをよく見回して歩くと運気が良くなるのだよ」と、あるおじいさんが物語りました。(34448)(注7)

 

 ここではエゾリスの存在について云々ではなく、行動を見てその後に起こることを予測し、実際に大変なことが起こった体験談として語られています。アイヌ文化では野生生物の行動がいつもと違っている場合、それは神としてその後に起こる重大な事案を人間に知らせているのだと解釈する場合があるのです。「コタン生物記」に書かれているシマリスについての記述「山に入る前にこの獣が尾をたてて騒いだりすると渋い顔をし、ササ束で身辺を清め大木の神に頼んだりもする(注8)」という記述も同様と考えることができます。

 以上のことから、アイヌ文化ではシマリス、エゾリス双方に対する考え方には以下のような2面性があるのではないかと考えられます。

1. 姿を見るだけでも不吉な存在。
2. 人間に何かを知らせるもしくはもたらす存在。

 後者の考え方は神としての役割がより明確で、他の野生生物についても見られるものです。次にその考えが色濃く反映されたキツネ(キタキツネ)の散文説話の例をご紹介しましょう。

 ある村の上手に神の住む美しい小山がありました。どんな神様のお住まいであるかはわかりませんでしたが、村長がその山へ祈りつつ暮らしていました。

 ある時キツネがその山のてっぺんから鳴きながら下りて来て、村長の家の高い祭壇と低い祭壇の間に来て、神窓の方に顔を向けて頭を上げ下げしながら鳴きました。やがて山の方へ鳴きながら帰って行き、山のてっぺんで鳴き声はしなくなりました。村長は、神が何かを知らせに来たに違いないから、キツネが帰った方向へ逃げようということになりました。そこで村中の人たちが大勢で山へ登って逃げて行きました。途中で狩小屋を作り、神へ祈りを捧げて泊りました。

(以下話者は村長)

 私は寝ずにいたのですが、夜明け頃に少し眠ると夢に神のような男性が出て来てこう言いました。「私は昨夜キツネに化けて祭壇のところまで行った神である。人間のようにしゃべれるわけではなかったが、おまえは精神が良いので、ただ鳴き声を聞いただけでここへ逃げて来た。知らせようとしたことは、山津波と海津波がおまえたちの村でぶつかることになっているということだ。日中は静かだが、今夜からは地震と地鳴りのような音がするだろう。おまえは木幣を作って神に助けを求めて祈りなさい。そして木幣と供物を山津波、海津波に投げたなら水は引いて行くだろう。村は流されて跡形もなくなってしまっているけれど、人間は生き残るのだ。これからは私に祈りなさい」。そこで私は言われた通りにし、村人たちに命じて木幣を作りました。そしてその晩には神が言った通りに地鳴りのような音がして、地震のように地面が揺れました。木々が流されてぶつかり合う音がすさまじく、山の中腹まで水が上がって来たので驚きました。仲間たちと一緒に踏舞をして祈り、今までこれほどの尊い神を祭ることをしなかったのを詫び、これからは祈りを欠かしませんと言いました。するとやがて水は引いて行き、もとの陸地が姿を見せました。そこに1軒、2軒と家を建て、新しい村を作りました。そしてそれからは水の神に祈り、獲物もたくさんとれて何不自由ない暮らしをし、祈るときは何よりも先にキツネに化けて津波を知らせてくれた山の神に祈りました。

 子供たちには、神に祈ることを忘れないようにと言いおいて死んでいきますと、ある男が物語りました。(34620)(注9)

 

 幸いこの話では賢い村長の指示に従った村人はみんな助かったという展開ですが、別の資料では神の知らせを聞いて逃げた人間は助かり、ないがしろにした人間は不幸な目に遭ったという話(注10)があります。生物神の知らせがどんなに重要な情報であるかということを戒めとして語り伝えているわけなのです。
 
 リスたちは色々なしぐさをしてくれるので知らせの読み取り甲斐のある存在です。私もかつてエゾリスが胸に手を当てるお得意のポーズで静止し、こちらをじっと見て尻尾を振り回しながら鋭く短い声で何度も鳴いている場面に遭遇したことがありました。あれは何かを私に知らせようとしていたのかも知れません。でもその後何の事件も起きなかったところをみると、ただ単に無遠慮にカメラを向ける巨大生物への威嚇に過ぎなかったと今では解釈しています。

(やすだ ちか)

 


(注1)『コタン生物記 野獣・海獣・魚続編2』更科源蔵、更科光 法政大学出版局1976 
本文中は以下「コタン生物記」
(注2)注1文献、旭川地方「近文など」の伝承
(注3)シマリスの尾を除いた全長は12-19㎝程なのに対しエゾリスは22-27㎝程
(注4)『分類アイヌ語辞典 動物編』知里真志保 日本常民文化研究所1953 本文中は以下「分類辞典」
(注5)デジタル図鑑参照
(注6)注1文献の他に『昭和56年度アイヌ民俗文化財調査報告書 アイヌ民俗調査Ⅰ(旭川地方)』北海道教育委員会1982 p38 など
(注7)伝承者非公開資料 採録年月日は1982年11月27日
(注8)注1文献、空知地方の伝承
(注9)話者川上まつ子氏 採録年月日は1985年10月14日
(注10)川上まつ子氏神謡34650A34718A「ペペシ鳥と水害」

 

[バックナンバー]

《図鑑の小窓》1 アカゲラとヤマゲラ 2015.3

《図鑑の小窓》2 カラスとカケス   2015.4

《図鑑の小窓》3 ザゼンソウとヒメザゼンソウ 2015.5

《自然観察フィールド紹介1》ポロト オカンナッキ(ポロト湖ぐるり) 2015.6

《図鑑の小窓》4 ケムトゥイェキナ「血止め草」を探して 2015.7
《自然観察フィールド紹介2》ヨコスト マサラ ウトゥッ タ(ヨコスト湿原にて) 2015.8

《図鑑の小窓》5 糸を作る植物について 2015.9

 

《伝承者育成事業から》今月の新着自然写真「私の一枚」

 

 アイヌ民族博物館で行われている伝承者(担い手)育成事業受講生の新着写真等を紹介します。

 

▶木幡弘文の一枚


(写真)タラノキ/アユシニ タラノキの実

今回は秋空に映える秋の花火のようなタラノキの実を今月の一枚にチョイス。

タラノキはタラの芽が有名ですが、それと同じく棘も有名だと思います。

アイヌ語でもayus-ni アユシニ [ay(とげ)us(多くある)ni(木)](知里真志保)

とあるように沢山の棘があります。

(木幡弘文)

木幡弘文のアルバム

 

▶新谷裕也の一枚

(写真)カラハナソウの実です。アイヌ語ではコサと呼びます。アイヌ文化では、ツルの根を焼いたり煮たりして食べていたようです。実は発酵させると麹になります。また、ツルの外皮の繊維を取って、糸にする地域もあるそうです。

(新谷裕也)

新谷裕也のアルバム

 

▶中井貴規の一枚


(写真)キハダ(シコロ)の実

シコロの実は苦い独特の風味がします。

幼い頃体が弱かった私は、この実を煎じて黒糖を混ぜたものをよく飲まされた記憶があります。

また、私はこの実を使ったラタシケプという野菜などの混ぜ煮料理が好きです。今度作ってみようかな〜。

(中井貴規)

中井貴規のアルバム
 


 

▶山本りえの一枚


(写真)ホオノキの実

 夏には一際大きな葉っぱをつけ、南国を感じさせる大好きな木がホオノキです。ホオノキの実も鮮やかなピンクでとても魅力的です。アイヌはホオノキの実をお茶にして飲んでいました。お腹が痛いときの薬にもなったそうです。良い香りがしてとても美味しいですよ。

(山本りえ)

山本りえのアルバム
 


 

▶山丸賢雄の一枚


(写真)ヤマブドウ  アイヌ語名 ハッ hat

秋になりヤマブドウが実っていました。熟した実は甘くて美味しいですが、まだ渋い物がありました。ツルが他の木に巻きつき高い所で実っていたので、採るのに苦労しました。アイヌはこの実で刺し身のたれを作ったりしています。そちらも試してみたいです。

(山丸賢雄)

山丸賢雄のアルバム
 


 

▶山道ヒビキの一枚


(写真)カツラ  アイヌ名:ランコ

ピンク色のカツラの幼木がありました。大人のカツラの葉は卵型が多いのですが、この幼木の葉は細長いです。

アイヌ文化では丸木舟や臼、小刀の柄、調理器具を作ります。実際に盆や団子箆、刀の飾り板などを作る際に使用したことがありますが、材木としての色は赤みのある茶色でやわらかくて加工のしやすい木です。

(山道ヒビキ)

 

山道ヒビキのアルバム

 

 

《トピックス》オッカイポ ウタラ ナイト レポート

 

 文:城石梨奈(北海道大学アイヌ・先住民研究センター博士研究員)
写真:山﨑幸治(北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授)

 

 Irankarapte。Shiroishi Rina sekor ku=rehe an na。

 去る10月3日(土)の19:00より、札幌市中央区のBar Minoさんで6人のオッカイポたちによる「オッカイポ ウタラ ナイト」というイベントが開催されました。このイベントは、5月の「メノコ ウタラ ナイト」、9月の「Ainu meets Italian」に続くシリーズ第三弾とのこと。一観客として参加した立場から、この熱き夜のライブレポートをさせていただきます。

 まずは、ゆめぴりか川上さんの軽快なMCによる幕開けで、皆さんの♡ががっちり掴まれました。

 以下、演じられた順に内容を紹介して参りたいと思います。

 

1. ホニポロクフさんによる口上からのタプカラ。

 ホニポロクフさん(「お腹の大きな人」の意味で、息子さんから命名されたとのこと)による挨拶の言葉に始まり、タプカラは白老に伝わるものが演じられました。唄は松永千代吉エカシの録音から、動きは1896年に渡島/胆振でコンスタン・ジレルが撮影した映像に残されたものの組み合わせです。男性4名による迫力のあるタプカラでした。

 

2. 米澤諒さんとホニポロクフさんによるトンコリ演奏。

 札幌大学ウレシパ学生の米澤諒さんは、今宵がトンコリデビュー演奏だそうです。調弦も兼ねてケヘケヘヘタニパイェアン(「さあ、さあ、行きましょう」)を披露しました。

 ホニポロクフさんの演奏は、イケレソホテ(魔物が足を引きずって歩く音)のトンコリ伴奏にあわせたヤイカテカラ(恋愛の唄)です。

 

3. ホニポロクフさん、中井貴規さん、米澤諒さんによるウポポ。

 ホニポロクフさんと米澤さんに、伝承者(担い手)育成事業第3期受講生(以下、担い手)である中井貴規さんを加えた「フンベ・ブラザース」の3名による、白老・春採・塘路のウポポ6曲。フンベ・ブラザーズとしては初舞台だったようですが、随所に機転を利かせたステージでした!

 

4. 板木兄弟さんによる語り。

 板木兄弟さんは、門別の雷神のカムイユカラを鳩沢ワテケさんの語りから聞き起こし、演じられました。鳩沢さんの語りが収められている昭和22年のNHKの録音音声と、『沙流アイヌの歌謡』(門別町郷土史研究会編、1966年)、その他の話者の語りを参考になさったそうです。低音の効いた美声による語りが素敵でした。

 

5 ヒビキさんによる語り。

 第2期担い手ヒビキさんの一つ目の演目は、「鳥の聞きなし」です。雲雀の鳴き声をもとにした言葉あそびを、3地域(二風谷、三石、鵡川)のバリエーションで演じられました。見事な早口言葉に会場からは拍手が沸き起こりました。

 ヒビキさんの二つ目の演目は、鍋沢元蔵さんのユカラ、「クトゥネシリカ」です。このユカラは、担い手で聞き起こしをして、2013年度「イタカンロー(アイヌ語弁論大会)」で優秀賞を受賞した演目で、金のラッコを石狩の海で捕まえることをめぐる一連のストーリーです。

 

6. ヒビキさんによるクリムセ。

 ヒビキさんのクリムセは、幼い頃から踊っているものです。ステージが狭く感じられるほどに躍動的な踊りでした。

 

7. 中井貴規さんによるトゥイタク。

 旭川の砂澤クラさんのトゥイタク(節を付けない散文の語り)を、中井さん自身が聞き起こしたものが語られました。化け物子グマのお話を、わかりやすい解説と共にやさしく演じてくださいました。

 

8. 中井貴規さんによるタプカラ。

 中井さんのタプカラは、旭川の尾澤カンシャトクさんによるものです。戦後すぐの昭和22年のNHKの録音音声から。内容は、先祖が守ってきたウタリの大地が戦争によって荒廃してしまったことへの悲哀とこれからの希望、という当時の世相を反映したメッセージが込められたものです。

 

9. mukarさんによるムックル演奏。

 第2期担い手、全道ムックルチャンピオンのmukarさんによる圧巻のムックル演奏でした。

 

10. ヒビキさんによるウポポ。

 まずは「エトゥヌプ」で始まる似た歌詞と、異なった節回しを持つウポポを唄われました。これらは5地域(鵡川・沙流川下流・二風谷・帯広伏古・旭川)のものの歌い比べです。

 次の白糠のウポポは、クマを獲った晩に、エムシで家の梁を斬りつけながら踊るものだそうで、今回が初演。ウポポにあわせた動きは、mukarさんと板木兄弟さんによるナイスなアドリブで演じられました。

 続いて、二風谷の「鹿の群れの唄」と、鵡川の「ウシシキナ(エゾフユノハナワラビ)という山菜の唄」、二風谷のご実家で歌われていたヤイサマ(即興歌)を披露なさいました。

 

11. ホニポロクフさんによる語り。

 鍋沢元蔵さんが語られたカムイユカラで、病気の原因をつきとめるお話です。家のなかで最も近くにある火のカムイから、順々にカムイの名前を挙げていって、最後に病気の原因をもたらした湖の女神にたどり着くというストーリー。

 

12. mukarさんによるエムシリムセ。

 春採の秋辺福太郎さんのエムシリムセをモデルにした演目。昭和40〜50年代のもので、カラー映像と音声が残されています。

 

13. アンコールのホリッパ。

 平取のホリッパの唄に合わせて、ホニポロクフさんが三線で伴奏をつけるという試演で、盛況のうちにライブは終了しました。

 こういった盛りだくさんの内容で、最後には来場されていたOKIさんからも激励の言葉が寄せられました。

 今回のオッカイポ ウタラ ナイトは、札幌大学ウレシパ奨学生と、担い手育成事業の出身者・現役研修生を中心に、若い世代がこれまでの学習と研鑽の成果を十分に披露されました。選ばれた演目の性格としては、50〜70年前の記録から、伝承を掘り起こしたものが中心です。今後、もっともっと伝承に幅と厚みが出てくることへの期待を感じさせるようなライブだったと思います。

▲次回のメノコウタラナイト2に出演する川上容子さんも特別に1曲だけ披露

(しろいし りな)

 

 

 

《資料紹介1》映像で見る挨拶の作法1

 

(文:安田益穂)

 

 昨今アイヌ語の挨拶と言えば「イランカラプテ」(注1)が知られていますね。2013年から官民あげたキャンペーンが実施され、北海道内ではテレビCM(▶︎youtube)も流れましたから、ご覧になった方も多いと思います。

 それに比べてちょっと見過ごされがちなのが「オンカミ」(注2)を始めとする挨拶の所作でしょう。オンカミとは「両手をすり合わせてから、手のひらを上に向け両手をゆっくり数回上下させる、男性の挨拶」(中川1995)で、伝統芸能でも「剣の舞」(▶︎youtube)の冒頭などに組み入れられています。また伝統儀式では、祭具の出し入れから開式閉式、祈りと、ひょっとしたら所要時間の半分はオンカミをしていると言っても過言ではないかもしれません。しかし所作は文章では理解しづらく、古くからアイヌ絵や文献で紹介されている割に、初めて見る方には一体何をしているのか不明なのではないでしょうか。

 そこで百聞は一見にしかず、WEB雑誌の利点を生かし、今回は動画を活用しながら挨拶の所作、とりわけ伝統儀式などの場で今も行われている拝礼の作法を中心にご紹介したいと思います。

 

▼動画1)無声映画「白老コタンのアイヌの生活」(1925年撮影)より

 

 

タイトル:「白老コタンのアイヌの生活」(注3)
撮影年:1925年
製作:札幌堀内商会
監督:北海道帝国大学理学博士 八田三郎
撮影:宮崎潔
時間:約30分
所蔵:アイヌ民族博物館

 

基本的な礼の所作

 映画では「礼儀 男と女では挨拶が異なる」というテロップ(略)に続いて、男女が戸外で(注4)それぞれ挨拶をしています。この映画撮影の現地コーディネーター役を務めた元白老郵便局長の満岡伸一は、その著書『アイヌの足跡』(満岡[2003])の中で、この所作について次のように解説しています。

礼儀作法

 挙手、握手、叩頭、拍手の礼法と異なり独特の礼法がある。男女でその形式が異なる。男は両手を揃えて掌を上にし、図のように鬚(ひげ)をなでる。(鬚のない子供もやはり鬚をなでる真似をする)。神を拝するときまたは貴人に対する際は、初め合掌し、静かに掌をすり挨拶を述べ、述べ終わって前記のように掌を開いて一回転させて円を描き鬚をなでる。そして手が鬚に触るとき口を結んだまま「ウウウー」と口中でうなる。女子は、左手を出して掌を上に半開きにし、右手の人差し指を伸ばして左の掌をなで、その指を直ちに鼻の下(上唇の上)を横に一文字になでる。このとき静かに「ハープ」という。これが普通のお辞儀である。ちょっと変わっているので、誰も分からないので、事情に通じない者はこの礼を受けても気づかず、アイヌ婦人は礼儀を知らないように思うことがある。元来彼らの社会は、生活に余裕のあることと、神に対し信心深いこと、そして専門の神官も僧侶もなく各自直接に朝夕神に仕えるため、皆儀式典礼に慣れ、個人間の礼儀作法なども常に厳格に行われ、少しもおろそかにしない。神に対する挨拶をオンカミ(onkami 拝みか?)、来客に対する挨拶をウエランカラプ(uerankarap)といい、熊祭その他の儀式の際、来賓に対する挨拶をヤイクレカラパ(yaykurekarpa)という。

 

左は女性の「ハープの礼」(=エトゥフカラ)、右は男性の「オンカミ」の図

 

 男女で異なりますが、どちらも人と神の両方に対して可能で、室内、野外など場面を問わないオールマイティな所作です。

 以上から男性の所作(オンカミ)について要点を抜き書きすると、基本は以下の動きだろうと思います。

 

基本編――男性(オンカミ)

 

①両手をすり合わせる数回

②手のひらを上に向け両手をゆっくり上下させる。(数回)

③手を下ろす際、あごひげを撫で下ろすようにして手を下ろす。

④その際、「ンンンン」とシムシシカ(咳払い)する。

 

 中でも①すり合わせて②上下させる、というのが基本中の基本の動作で、酒杯(トゥキ)や祭具を手に持つ場合など様々なバリエーションがありますが(後述)、いずれもよく見れば①②の組み合わせであることがわかります。

 ちなみに、①〜④はどの文献の記述も大同小異ですが、1925年の映像(動画1↑)を見ると、①の動作の前に、手のひらを上に向けて両手を胸の前まで上げる動作(=②)が入っているように見えます。また後出の葛野辰次郎エカシ(エカシは「長老」の意)の儀式映像(動画456↓)でも、①の動作の前に②の動作が1〜4回行われています。これは「これから拝礼いたしますよ」という趣で、儀式であれば対座した列席者に対する礼(注5)動画1ではカメラマンに対して?)という意味合いかと思われます。動画1は無声映画ですから④シムシシカ(後述)は確認できません。

 また「②手のひらを上に向けて上下させる」というのも重要で、手のひらを下に向けて上下させるのは葬式など不祝儀の作法とされますので、平時にこれをやってはいけません。(ハレとケ、祝儀・不祝儀で動作が逆になることが多々ありますので要注意です)

 

オンカミの事例

 

 では具体的にどんな場面でどんなオンカミをするのか例をあげてみましょう。

Ⓐ人に挨拶する場合のオンカミ

 現在は儀式の場以外ではあまり行われません。ただし、挨拶としてのオンカミは本来お辞儀と同じですから、自分に対してオンカミされたらこちらも遅れずに、男性ならオンカミ、女性ならエトゥフカラ(ハープの礼)をしなければ失礼になりますので、知っておくべきかと思います。

 まず互いに無言でオンカミします。続いて挨拶の言葉を述べる場合は、上記満岡[2003]にあるように、述べる側も聞く側もその間、①手をすり合わせる動作を続け、述べ終わったら最後に②手を上下させて③手をあごひげに沿うように下ろし④「ンンンン」とシムシシカ(咳払い)で終わります。

 挨拶の言葉は本来、古語を連ねて節つきで悠々と語られます。ですから主客双方が挨拶を交わすのに30分から1時間かかることも珍しくなく、雨宿りさせてくれないかと立ち寄った家で1時間余りかけて挨拶していたら、用件に入る前に雨が止んでいたというエピソードが満岡[2003]に載っています。

 今号で高橋靖以さんが紹介されている知里幸恵の親族の系譜の話にも、

「自分の先祖代々の名をならべてその徳をあげます(これは私等の先祖の事ださうです)。これは初対面の人に挨拶する時とか、カムイノミ(引用者注:神への祈り)をするときとかに男がいふのださうです」

と記されています。初対面の挨拶とはいえ、先祖に遡って自己紹介をしていれば時間がかかるのもさもありなん、という感じです。また、それだけ挨拶が重んじられる厳格な社会だった、ということでもあります。

 

Ⓑ神に祈る場合のオンカミ

 酒杯を持たない場合はⒶと同じです。神にオンカミした後、祈り詞を述べる場合は、その間①手をすり合わせる動作を続け、最後に②手を上下させて③④で終わります。

 以下は1989年にアイヌ民族博物館で実施したイヨマンテ(クマの霊送り)の映像の一部です。このケースではオンカミの対象は絶命した直後のクマ神で、日川善次郎エカシ(1910-1990)と葛野辰次郎エカシという高名な儀礼伝承者が二人並び、何も持たずにオンカミしながら、日川エカシが祈っています。この後、祭壇前にクマ神を安置してから改めて酒杯で拝礼しています。関係部分を「報告書」から抜粋します。

「こうして人間の手によって魂が遊離した熊の頭の前に日川翁と葛野翁の二人がヌサを背に並んで立ち、立ったままオンカミする。このときは、トゥキもイクパスイも持たず、単にオンカミの動作(両手の平を合わせ軽く擦り合わせながら左右にゆっくりと振る)をするだけである。オンカミしながら日川翁が他の祈りよりはずっと短い言葉であるが、「我らが育てた神よ!あなた様は今までこのコタンの人々と一緒に無事に暮らしてきましたが、もう神の国に行かれる歳になられました。コタンの立派な方々と一緒になってあなた様にお休みいただくよう神にもお願いしてありますので、この祈りをようくお聞きいただいてあなた様は神の国に安らかに行かれることでしょう……」というような祈りを行なったのである。……祈り言葉を言い終え、二回、三回と二人の翁がオンカミした後……

(イヨマンテ―熊の霊送り―報告書WEB版「V-7.肉体と魂の遊離」参照)

▼動画2)アイヌ民族博物館ビデオテーク「イヨマンテ 熊の霊送り」(1989)より

 

 しかし何も持たずに祈るというのは例外で、一般的に神へ祈る場合はイクパスイ(捧酒箸)がのったトゥキ(酒杯)を持ちます。このトゥキを持った時のオンカミはどうなるのかというと、以下の動画をご覧ください。対座した二列の間で「献酬」(交互に酒杯をやりとりして祈る)ということが行われているのですが、酒杯を持った側(手前)は右手でタカイサラ(杯台、天目台)をさすりながら祈り、何も持たない向かい側(奥)の列席者はそれに合わせて手をすり合わせています。互いに①手(と酒杯)をすり合わせて拝み、②手(と酒杯)を上下させ、③ひげをなで下ろし……という流れは人同士で挨拶をする時と一緒ですね。

動画3)「白老アイヌの生活」より献酬(けんしゅう)

 献酬せずに神に祈る場合も、地方によっては杯台(タカイサラ)を手でさすりながら祈りますが、「白老アイヌの生活」の映像や葛野辰次郎エカシの映像を見る限りでは、杯台をさする動作はあまり目立たず、祈りの間も炉火やイナウ(木幣)に繰り返しサケチッカ(捧酒)しながら祈っているように見えます。

 

Ⓒ儀式の開式・閉式時のオンカミ

 はじめに書いた通り、儀式は礼に始まり礼に終わると言っていいほどオンカミの繰り返しですが、儀式の開式・閉式の時には、「オンカミアンナ」(拝礼しますよ)とか「オンカミアンロー」(拝礼しましょう)という祭主の発声に続いて、列席者全員でいくつかの方向に向かって一斉にオンカミをします。

 その方向とは、葛野エカシの伝承によれば以下の通りです(地方や伝承者によって違いがあります)。

 開式時……①火の神へ②神窓へ③酒器へ

 閉式時……①神窓へ②火の神へ③酒器へ

 ①火の神は炉火、②神窓の外には主要な神々を祭る祭壇(ヌサ)があるのでその方向、③酒器(シントコ[行器]エトゥヌプ[片口]トゥキ[酒杯]・イクパスイ[捧酒箸]等)もイオイペカムイ[i(ものを)o(入れる)ipe(もの)kamuy(神)]という儀式には欠かせない神なので、最後に必ず祈ります。

 次の動画では葛野エカシ自身がオンカミの向きについて指示しています。

▼動画4)開式時のオンカミ(守護神の送り儀礼、1991年より)

 葛野:(最初に対座する年長者にオンカミした後)はじめこの、……(火の神に向かって)、東窓(神窓)に向かって、それからこんど、これイオイペカムイっていうんだ、おらの方では。ここのエカシたちも昔はそうやって言ったはずだ。さ、お神酒注いでください」

 

 次の動画は閉式時の例です。

▼動画5)閉式時のオンカミ(守護神の送り儀礼、1991年より)

 

 葛野:ヤクン パセカムイ アリワクテ アンキ ロク ア イ アエラメス イネ カムイコオンカミアン ナ」(では、重い神を昇天させましたこと、一同が満足して神に拝礼いたしますよ)

の言葉に続いて、最初に対座する年長者にオンカミした後、①神窓へ②火の神へ③酒器へ一同が拝礼する。

 

 

 また、次の動画は葛野辰次郎エカシが祭主を務めた1997年の「ポロチセの新築祝」の開式時のものです。 開式の拝礼に続いてシムシシカ(咳払い)について説明しています。

▼動画6)アイヌ民族博物館ポロチセ新築祝い(音量注意!)

 

葛野「昔のエカシ(長老)はこの後に、何ていうかな、シムシシカということを、ンンンンン、みんなも、神々に礼拝しましたということを、みんなも、ンンンンンってやったもん。今ごろ……ま、咳払いっていうかその、私らの言葉で言えば、シムシシカと言ってやっておりました。はい、どうも。じゃあ、お神酒」

 

 シムシシカは以下のような場面で、感謝や恐縮の意を示す時に男性が使います。女性の礼エトゥフカラ(「ハープの礼」、次回詳述)と似ているかもしれません。

・オンカミの最後に手を下ろす時…「かしこみ謹んで」等の意味で

・酌を受けながら……「恐れ入ります」「ありがとうございます」の意味で

・訪問の時、玄関先で……「ごめんください」の意味で


Ⓓ宝物や祭具(木幣、酒器、ござ)を持つ、置く、受け取る、渡す時のオンカミ

 アイヌの作法では、大切なものを持つ、置く、受け取る、渡す時には必ずオンカミします。その際、特に目立つのは、その大切なものを上下させる動きです。

 以下は婚礼の時の結納の品の受け渡しの場面です。原資料では動画7の前に次のテロップが入っています。

新郎の父は、新婦の父に太刀を贈り、
新婦の父は、新郎の父に衣服を呈す
太刀は新郎の武勇を示し、
衣服の刺繍文様は婦女(メノコ)の誇りで新婦の工芸を表す

 

▶︎動画7)「白老コタンのアイヌの生活」より「婚礼」

 上下させる動きは、アイヌ語で「リクンルケ ラウンルケ」(久保寺1992)等と呼ばれ、ユカラ(英雄叙事詩)等の口承文芸にも登場します(注6)

 次の動画は当館で2002年に実施した第一回コタンノミです。儀式の最後、サイシントコ(儀式用の酒樽)を片付ける場面で、列席者が何度もオンカミしていますが、片付け役の男性職員が酒樽に触れる時、樽の両側面をなで、樽の足をなで下ろし、樽を上下させてから高く掲げて運んでるのがわかると思います。撫でてから上下させる、というのは、オンカミで手をこすり合わせ、上下させるのと同じです。またウルイルイェ(↓写真参照)と言って互いの体を撫で合う挨拶がありますが、その動きとも共通するものがあります。

▼動画8)行器収納の儀(サイシントコライェ)アイヌ民族博物館第1回コタンノミ(2002.5.12)

▼ウルイルイェ(久保寺[1969]より)

 次の動画は同じく2002年のコタンノミから、チタラぺ(花ござ)を片付ける所作です。なでる動作はどこにあるかというと、あまりはっきりしませんが、ござを持つ時に奥から手前に手をすべらせています。①なでて、②上下させる、というのは同じです。

▼動画9)花ござの収納 アイヌ民族博物館第1回コタンノミ(2002.5.12)

 

 

おわりに

 

 今回は男性の作法について紹介しました。次回は女性の作法についてご紹介したいと思っています。

 最後に、久保寺[2004]から、「非礼なこと」として列挙されている部分を抜粋します。悪いオンカミの例なども含まれていて大変おもしろいので、ぜひ参考にしてください。

久保寺[1969]「挨拶・礼儀・作法」より

 

    非礼なこと


    ⑴コンチなどの被り物をかぶって人の家に入ってはならぬ。戸外でとって入る。

    ⑶他人の家はのぞかぬ。ことに、神窓(カムイ・プヤラ)からのぞき込むことはもっとも忌まれる。このようなことをすれば、賠償(アシンペ)を要求されてもしかたない。

    ⑸他家へ行った時、炉の火をいじってはならない。火の中へ物を投げ込んだりすることも謹まなければならぬ。「火の嫗神」の聖なる棲家を荒らすことになるからである。

    ⑽人に食物を出し惜しみすること(イペフナラ)は、もっとも卑しむべきこととされる。

    ⑾食物を粗末にしない。食べ残して捨てることなどよくない。人差し指を、アイヌ語でイタンキ・ケム・アシケペツと呼ぶ。その原義は「椀なめ指」である。食物はそれぞれ霊があるもので「ハル・カムイ(食糧神)」と呼ばれる。みな食べられてこそ、食物の神は喜ぶ。椀についたものは、人差し指で拭うようにして食べてしまうのが、礼儀作法に適うのである。

    ⑿非礼の男女を意味する慣用句に次のようなものがある。

     ㋑イソコヤラケ・ヱンクル(荒々しく歩いて敷物をぼろぼろにする下人)

     ㋺イソコルツ゚・ヱンクル(敷物を足で押し動かす下人)

     ㋩ソーテム・ヱンクル(挨拶の拝をする時、両腕を広げすぎる下人)=床の長さを両手を広げて計る下人

     ㋥ムシオンカミ・・ヱンクル(拝をする時、せかせか手を動かす下人)=蝿拝み

     ㋭ハルポソ・イヱンテ・マツ(食糧をこぼして夫を貧乏にする悪妻)

     ㋬イシケライケ・イヱンテ・マツ(夫を横目で睨み殺す悪妻)

     ㋣イパエライケ・イヱンテ・マツ(夫を口で殺す悪妻)

     ㋠イキリコポイェ・イヱンテ・マツ(夫にひっついて坐る悪妻)

     ㋷イソコヤラケ・イヱンテ・マツ(荒く歩いて敷物をぼろにする悪妻)

     ㋦イスイェチレ・イヱンテ・マツ(炊事が手荒で、鍋の中に物を投げ入れ、とばっ散りで夫をやけどさせる悪妻)

(やすだ ますほ)

 


注1)中川裕『アイヌ語千歳方言辞典』(1995、草風館)の記述は以下の通り。
イランカラプテ こんにちわ;本来は通常の挨拶言葉ではなく、あらたまったときに男性のみが用いる言葉だったが、現在はもっと軽い感じで使われている。

注2)オンカミの語源について、田村すず子『アイヌ語沙流方言辞典』(1996年、草風館)は(<日本語 おがみ)としている。また、オンカミには、「①(狭義に、アイヌ民族の男子の正式な拝礼を指す。)両手を胸の前でてのひらを上に向けて上下に動かす形式で拝礼する。②(広義に、拝礼一般を指す。)hepoki hetari kane onkami ヘポキ ヘタリ カネ オンカミ 頭を下げたり上げたりしておじぎする。③拝む。onkami-kur オンカミクル 拝む人=「お寺さん」(=坊さん)……と複数の意味をあげているが、本稿のオンカミは①の意味。葛野エカシの儀式では、ハルエオンカミ(供物による拝礼)、シラリエオンカミ(酒粕による拝礼)など、所作だけでなく祈り詞を伴う祈祷を指す言葉でもある。

注3)この映画については、東京シネマ新社のホームページに以下のように紹介されている。(以下引用)

 「その中で実在している最も古い日本人研究者が関与した映像は、北海道帝国大学農学部の動物学者で、農学部付属博物館の主任もしていた八田三郎教授が1926年に東京で開催される氾太平洋学術会議で公開しようと 1925年に記録した、「白老アイヌの生活」である。それは、集落に新たに掘られた用水供給用の井戸での女性たちの水くみや、荷物の運搬、男女古老の挨拶、アツシ織りの様子、結婚の儀礼、病気の治療、葬式、熊送り、サケ漁などを記録している。

 八田は、当時、東京で、啓明会という学術振興組織が催したアイヌに関する講演会で自分の映画を上映すると同時に、自分がなぜその映画を記録することに努力したかの理由を講演しようとした。(原稿は用意したが、時間の都合で講演は割愛し映写と映画の内容説明のみとし、講演録に掲載した。)そこで注意を引くのは、既に 1920年代、アイヌの文化変容は急激に進んでおり、撮影された映像が当時の、アイヌの生活ぶりを忠実に記録したものではなく、既に日常からは消えようとしている、あるいは消えたものを復元し映像化したと言うことである。八田は、自分が管理する北大農学部の博物館に保管されているアイヌの民具が、ほとんど、当時のアイヌには既に使われていないことに衝撃を受けたのであった。

 この八田の映画は、原版が北海道大学に保管されていたが、葬儀の部分が第2時大戦後の混乱期に紛失していた。1990年代になって、葬儀部分が1920年代末期に作成された英語版ポジプリントの形で存在することが判り、このプリントと残存原版からの画像をビデオ転換することによる復元が筆者らの手によって行われた。新たに日英両語の中間字幕を作成し、利用しやすい形にまとめらえている。」

(東京シネマ新社ホームページ「アイヌと民族誌映像」より)

 また、引用文中の「講演録」は、以下に収録されている。

八田三郎「白老コタンのアイヌの生活(活動写真)」『 啓明会第十八回講演集』(『 アイヌ史史料集(5)』 pp.42-51、北海道出版企画センター、1980年)

注4)この時代の映像は撮影に必要な照度を確保するために、室内で行うべきことも戸外で撮影していることが多い。この挨拶のシーンも同じ理由による。

注5)アイヌ民族博物館『伝承記録7 葛野辰次郎の伝承』(p.88)で、筆者の質問に対し、葛野エカシ自身が説明している。

「葛野:あのね、大勢なお客さんおるわな。そのお客さんは、いずれも神祭りにお出でになった方々なんだ。だからその方々に「これより神々にお祈りの拝礼を致します」ということでもってあれやるの。だからね、あそこの所に来られたお客さんは、人間というものは、お互いに助け合ったり、助けてもらったりするためのやり方だと。自分でさえやればいいという事であったらな、あんなことしないの。ま、これしかないな。」(No.30215、2001.10.31)

注6)rikunruke raunruke 高ク低クサシ(胆振)久保寺[1992]p.226。奥田[1999]はrik'unruke「〜を高くおしいただく」raunruke「〜を低くおしいただく」。

 知里幸恵『アイヌ神謡集』(岩波文庫、1978年、pp.16-17)では、何も持たずに手を上下させる場面でもこの語を用いている。

 Chiseupshor wa onneumurek 家の中から老夫婦が

 tekkakipo rikunruke raunruke arki wa 眼の上に手をかざしながらやって来て

「眼の上に手をかざして」というのは、手を上下させるオンカミが非常に丁寧で、上げた手が視線の上にくるほどだという描写。老夫婦の品格を示している。動画6の葛野エカシのオンカミも、普段我々が行うオンカミよりかなり高い位置で丁寧に手を上下させる。動画9で花ござを持って上座へ運ぶ時や、酒杯の膳を運ぶ時も、「目線より高く」と指導される。

 


引用文献

満岡[2003]:満岡伸一『アイヌの足跡』1924年初版、2003年改訂9版、アイヌ民族博物館→ミュージアムショップ通販

アイヌ民族博物館ビデオテーク『イオマンテ 熊の霊送り』(アイヌ民族博物館、1989年)

アイヌ民族博物館『イオマンテ 熊の霊送り』(アイヌ民族博物館、1990年)

久保寺[1992]:北海道教育庁生涯学習部文化課編『久保寺逸彦 アイヌ語収録ノート調査報告書―(久保寺逸彦編 アイヌ語・日本語辞典稿)』北海道教育委員会、1992年)
  「hap 感謝,ありがとう
   hap a-ki kane kor
  hap-ki hap-!hap! と感謝する」(p.77)

久保寺[1969]「挨拶・礼儀・作法」『アイヌ民族誌 下』(『久保寺逸彦著作集2』草風館、2004所収)

奥田[1999]:奥田統己(編)『アイヌ語静内方言文脈つき語彙集(CD-ROMつき)』札幌学院大学、1999年。

中川[1995]:中川裕『アイヌ語千歳方言辞典』(草風館、1995年)

田村[1996]:田村すず子『アイヌ語沙流方言辞典』(草風館、1996年)

アイヌ民族博物館『伝承記録7 葛野辰次郎の伝承』(アイヌ民族博物館、2002年)

アイヌ民族博物館『伝承事業報告書 ポロチセの建築儀礼』(アイヌ民族博物館、2000年)

 


[トピックス バックナンバー]

「上田トシの民話」1〜3巻を刊行、WEB公開を開始 2015.6

『葛野辰次郎の伝承』から祈り詞37編をWEB公開 2015.9

 

[今月の絵本 バックナンバー]

第1回 スズメの恩返し(川上まつ子さん伝承) 2015.3

第2回 クモを戒めて妻にしたオコジョ(川上まつ子さん伝承) 2015.4

第3回 シナ皮をかついだクマ(織田ステノさん伝承) 2015.5

第4回 白い犬の水くみ(上田トシさん伝承) 2015.7

第5回 木彫りのオオカミ(上田トシさん伝承) 2015.8

 

 

 

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