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月刊シロロ

月刊シロロ  9月号(2017.9)

 

 

 

 

 

《トピックス》第29回 白老ペッカムイノミ(初サケを迎える儀式)を開催


 文:木幡弘文

▲神窓から初サケを迎え入れる(中島多恵氏撮影)

 

はじめに

 

 本稿では9月6日、ウヨロ川河口(注1)を主会場として開催された第29回白老ペッカムイノミ(サケの豊漁祈願の儀礼)について報告します。

 

1.白老のサケ儀礼


 サケはアイヌにとって特に重要な食料です。アイヌ語でもシペ(<シ「主要な」・イペ「食べ物」)と呼ばれ、秋サケ漁の初めにはペッカムイノミ(川の祭り)やアシリチェプノミ(初サケの祈り)と呼ばれる儀礼を行い、この儀礼を終えてからサケ漁を行いました。

 これは白老も同様で、犬飼哲夫「アイヌの鮭漁に於ける祭事」(犬飼1954)に次のように記されています。

 …アイヌ各部落の中で白老部落が比較的に複雑な鮭漁に関する行事を残している故に、主として同部落の宮本エカシイトクにつき調査したところを先ず述べて、本主題の基準としたい。
(犬飼1954 P.79 原文ママ)


 他地域と比べてサケ漁に関する行事を残していると言われた白老ですが、他地域と同様、明治以降アイヌ本来の川漁は「密漁」として禁じられたため、サケ儀礼の伝統も一旦途絶えていました。

 それが白老で復活したのは1989年。アイヌ文化復興の動きを受けて1982年に札幌市豊平川で「アシリチェプノミ」(初サケの祈り)が復活したのを皮切りに、その後白老をはじめ各地に波及しました。白老では当初、白老港の祭りのオープニングセレモニーとして実施されていましたが、その後伝統儀礼ペッカムイノミとして当館が引き継ぎ、現在に至っています(野本正博1999、2001)。

 

2.実施概要

 

日 時: 2017年9月6日(水) 10:00〜12:40
場 所: アイヌ民族博物館ポロチセ及びウヨロ川河口
主 催: アイヌ民族博物館
祭 主: 野本三治(アイヌ民族博物館伝承課長)
列席者: 野本正博、野本裕二、新井田幹夫、高橋志保子、八幡一厳、山道陽輪、山道ヒビキ、木幡弘文、新谷裕也、山丸賢雄、早坂駿、米澤諒
供 物: サケ(鮭)、清酒、シト(餅)、果物、アワ、ヒエ、刻みタバコ
祭 具: エトゥヌプ(片口)2、トゥキ(酒杯)・イクパスイ(捧酒箸)12組、パッチ(鉢)、タクサ(ササとヨモギ)
木 幣: 表2参照

 

▼表1 当日のスケジュール

時間 日程 場所
8:30~10:00 儀礼準備 当館ポロチセ及び博物館園内
10:00~10:20 開式の儀礼 当館ポロチセ
10:40~11:50 ウヨロ川河口における儀礼 ウヨロ川河口
12:10~12:30 初物のサケを迎え入れる儀礼 当館ポロチセ
12:30~12:40 閉式の儀礼 当館ポロチセ

 

 

3.祭神とイナウについて

 

 宮本エカシマトク氏の伝承によれば、白老のペッカムイノミの祭神とイナウは以下の通りです。

 白老アイヌはニシタップ川をその主要漁場とし鮭漁の時は毎年秋になってそろそろ鮭が上る前に先ずその川口でカムイノミをする。これをペットカムイノミ Pet-kamuinomi(川祭)と称し、各戸から男が出てイナウを作ってヌサを作った。イナウは、
 トマリオルンカムイ Tomari-orun-kamui(入江の神) 二本
 チワシコルカムイ Chiwashi-kor-kamui 二本
 ペットルワッカウシカムイ Petru-wakkansh-kamui(川下の神) 二本
 ペットノワッカウシカムイ Petno-wakkaush-kamui(川上の神) 二本
 チロヌプカムイ Chironupu-kamui(キツネの神) 二本
(犬飼1954)

 

 これらの祭神名は現在当館で伝承するポロチセのヌサ(祭壇)の神々と一致しない部分があり、またイナウも各「二本」とだけ記録されていて詳細は不明ですが、当館では表2のAとBを同一神と見なし、イナウもBを基準として実施しています。

▼表2 ペッカムイノミの祭神(A)とイナウ(=当館で普段Bの祭神に捧げるもの)

A宮本氏伝承の祭神

(犬飼1954)

B当館ポロチセの
祭神
イナウ(主幣) イナウ(副幣)
トマリオルンカムイ
(入江の神)
トマリコロカムイ
(舟着き場の神)
キケチノイェイナウ ハシナウ
ストゥイナウ
チェホロカケプ
チワシコルカムイ
(河口を司る神)
チワシコロカムイ
(河口を司る神
キケパラセイナウ ストゥイナウ
チェホロカケプ
ペットノワッカウシカムイ
(川上の神)
ペテトクンカムイ
(水源の神)
キケチノイェイナウ ハシナウ
ストゥイナウ
チェホロカケプ
ペットルワッカウシカムイ
(川下の神)
マサラコロカムイ
(海岸を司る神)
キケチノイェイナウ ハシナウ
ストゥイナウ
チェホロカケプ
チロヌプカムイ
(キツネの神)
ケマコシネカムイ
(キツネの神)
キケパラセイナウ ハシナウ
ストゥイナウ
チェホロカケプ


 これらに火の神のイナウ(チェホロカケプ)を加えたイナウ類は、9月1日、2日の両日、ポロチセにおいて、男性職員が製作しました。材は主幣とチェホロカケプ、イナウル(削り掛け)がミズキ、その他はヤナギを用いました。

 製作したイナウは儀礼当日の朝にイナウセシケ(主幣と幣脚の接合)を行い(写真1,2)、また会場の清めに使うタクサ(手草)とともに神窓前に並べました(写真3)。

▲写真1 イナウセシケ(主幣と幣脚の接合) ▲写真2 ハシナウにイナウルをつける

 

▲写真3 完成し神窓の下に並べられたイナウ(木幣)とタクサ(手草=右端)

 

 

4.開式の祈り


 男性たちが二列に対座し、祭主の「オンカミアンナー」の声で開式の儀礼が始まりました。まず祭主が火の神へ、次いで列席者が受け持ちの神々にお神酒を上げながら、これから河口でペッカムイノミを行うことを告げた後、一旦座を閉じて神窓から祭具を運び出し、ウヨロ川河口へ移動しました(写真4)。

▲写真4 祭具を神窓から運び出す


 

5.ウヨロ川河口における儀礼


  河口に移動後、まずは会場を清める「フッサカラ」を行います。男性2人がタクサ(手草=清めの草束)をそれぞれ両手に持ち、会場の上手(かみて)から下手(しもて)へと「フッサ、フッサ」のかけ声とともに掃き清めました(写真5)。

▲写真5 フッサカラ(会場の清め)

 

 祭壇にイナウ等を立てた後、シト(団子)、初物のサケ、果物を祭壇に供えました(写真6)。また、列席者が座る場所には無地のござを、祭具や供物の下には花ござを敷きました。

▲写真6 ウヨロ川河口に立てた祭壇と祭具、供物。イナウは左から①トマリオルンカムイ、②チワシコロカムイ、③ペテトクンカムイ、④ペップトゥンカムイ、⑤ケマコシネカムイ。

 

▲写真7 祭主による火の神への祈り

 

▲写真8 祭壇前での拝礼の様子

 

 会場の準備が完了し、ウヨロ川河口における儀礼が開始されます。最初に祭主が火の神へ祈った後、あらかじめ祈る神が割り当てられた列席者は祭壇に立てたイナウの前へ行き、拝礼と祈詞を述べます(写真8)。

 祭られた神々にはそれぞれ祈る内容があり、犬飼1954に祈詞の概略が記載されています。

 

 …その祈詞は各人の意のあるところで多少異なるが大体、トマリオルンカムイには秋が来ました、この村に海から鮭を沢山上らせてコタンに御恵をたれて下さい、チワシコルカムイには鮭の上る時は海と川の戦で、海が荒れる(ペトオムシ)と鮭が上がらないから、油断することなく見守って下さい。川の神々には、今カムイチェップが上るが、川を掃除し御腹の中を奇麗にしますし、不潔な物は川に入れませんから、チェップを沢山上らせて下さい。キツネの神には海の幸、山の幸といわずに我々に多くの獲物を与えてください。油断をせずにカムイチェップを沢山上らせて下さい。万一不漁のようなことがあると、貴方は神々の間で威厳を損することになります。
(犬飼1954 p.81)

 

 拝礼後、河口での儀礼の閉式を火の神に報告してウヨロ川河口における儀礼が終了となりました。

 閉式後、組み立てた祭壇を解体して、立てたイナウ等をポロチセの祭壇に運び、表2で対応した祭神の場所に納められました(写真9)。トゥキ(酒杯)やイクパスイ(捧酒箸)などの道具も出した時と同じく神窓から運び入れました。

 

▲写真9 5神のイナウをポロチセの祭壇に納める

 

 

6.初物のサケを迎え入れる儀礼


 ウヨロ川河口の会場から戻り、場を整えて列席者が全員着座後に初物のサケを迎え入れる儀礼が行われました。河口で供えたサケを神窓から運び入れるのですが、この時屋内には受け手の女性二人が神窓前で待機し、供えられたサケを両手で持ち、そのサケを上下させながら「オノンノ、オノンノ」(めでたい、めでたい)の掛け声をあげて花ござの上の指定された場所まで運び置きます。運び入れたサケを今度は祭主隣の男性がサケの背中から身を切り、その切り身を祭主が受け取って今年の初物のサケを火の神に捧げました。

 

▲写真10 オノンノ(めでたい、めでたい)と言いながらサケを室内に迎え入れる
(撮影者:中島多恵氏)


 

7.閉式の儀礼


 捧げ終えた後、本日の儀礼が無事に終えられたことを祭主は火の神に、列席者は開式の儀礼の際に祈った神々に対して感謝と報告の祈詞を述べます。祈り終えた後に使用した道具や供えられたサケ、花ござを宝壇側にかたづけて、火の神にイナウを捧げて終了となります。

 

8.おわりに

 

 今回筆者は儀礼の参列者として参加することができました。私は札幌出身で小さい頃から札幌の儀礼の場を目にしていたのですが、札幌の作法とは違い3年前に参加した際には戸惑うことばかりでした。しかし、このような経験が大きな学びの場であり、儀礼の場が継続され、また増えていくことで学ぶ機会が増えることを願っています。

 最後に今回写真を提供していただいた中島多恵氏には厚く御礼を申し上げます。

 

注1 河口のすぐ手前で白老川、ウヨロ川、ブウベツ川が合流して海に注いでおり、サケが上るのは主としてウヨロ川です。

〈参考文献〉

犬飼哲夫 1954「アイヌの鮭漁に於ける祭事」『北方文化研究報告 第九輯』北海道大学

知里真志保 1959「アイヌの鮭漁」『北方文化研究報告 第十四輯』北海道大学

アイヌ民族博物館 1990『イヨマンテ―熊の霊送り―報告書 ―日川善次郎翁の伝承にもとづく実施報告―』

萱野茂 1996『萱野茂のアイヌ語辞典』三省堂

田村すず子 1996『アイヌ語沙流方言辞典』草風館

野本正博 1999「第11回しらおいチェプ祭の開催について」『アイヌ民族博物館だより43号』(PDF

野本正博 2001「復活したサケ儀礼—登別・千歳・札幌・白老の事例—」『アイヌ民族博物館だより47・48合併号』(PDF

財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構 2008 『アイヌ生活文化再現マニュアル ペッカムイノミ 【川神祭り-新しいサケを迎える儀礼】』

 

[バックナンバー]

サパンペ(儀礼用冠)の製作について(木幡弘文) 2017.2

《映像資料整理ノート1》川上まつ子さんのサラニプ(背負い袋)づくり 2017.6

《映像資料整理ノート2》サラニプ(背負い袋)についての新資料報告 2017.7

《映像資料整理ノート3》忘れられた野菜「アタネ」について 2017.8

 

 

 

 

 

《図鑑の小窓27》ムクという名の野草について

 

 文・写真:安田千夏

 

 今回の野草3種は、どれも盛夏から晩夏にかけて花が咲きます。北海道の短いけれどそれなりに暑い季節を過ぎてひんやりとして来た空気の中、ひっそりと可憐に咲く花を探して原野を歩くのはささやかなマイイベントなのです。

 まず初めにツルニンジン(ジイソブ)(注1)。ツル性で4枚の葉が輪生し、葉は表裏ともに短毛がなくツルツルしています。花はつりがね型、うつむくように地味に咲きますが、風情があり画題にでもなりそうな佇まいをしています。

▲写真1 ツルニンジン(ジイソブ)

 次にバアソブ。ツル性で4枚の葉が輪生というところがツルニンジンにそっくりで、ぱっと見では見分けがつきにくいかも知れません。でもこちらは葉の裏が短毛に覆われているので、触った感触がフカフカしていてツルニンジンとは区別できます。この特徴を覚えておけば、花が咲いていなくても間違えることはありません。そして花もツルニンジンによく似ていますが花の赤みが強く、並べるとその差は一目瞭然です。

▲写真2 バアソブ

 最後のツリガネニンジンはツル性ではなく、前の2種に比べてまぎらわしいところはありません。直立した茎につく葉は4、5枚の輪生、花は小型で紫色、数段の輪生でまとまって咲きます。ツル性の2種は個体数が多くはなく、他の野草がうっそうと茂る中で地味に咲くのに対し、ツリガネニンジンは原野や空き地などのひらけた場所にまとまって開花するのでとても目立ちます。

▲写真3 ツリガネニンジン

 じつはこの3種は同じキキョウ科に属し、茎や葉を折ると白い汁が出ること、また根菜のような立派な根がついているという共通点があります。

 採録されているアイヌ語の名前と利用法は以下の表の通り。ツリガネニンジンは本州の中部地方では「トトキ」という山菜として知られているそうですが、アイヌ文化での主な利用部位は根です。特にツリガネニンジンのレシピ2.はとてもおいしそうで目をひきますが、我々は興味本位で根を取るという行為は控えなければなりませんので、サクサク、ホクホクとしている(であろう)食感を想像の世界で楽しむことにしています。

日本語名 アイヌ語名の例 主な食用部位 レシピの例(知里1953)
ツルニンジン
(ジイソブ)
トプムク(知里1953)日高 1.根を加熱して食べた
バアソブ ムク(宮部・神保1892)日高 1.根を生または加熱して食べた
ツリガネニンジン ムケカシ(吉田1886)十勝(注2 1.根を加熱して食べた
2.根をつぶして丸め、揚げものにして食べた(注3


 ところで当館の資料でこの3種について伝承者に質問したデータを見ると、「ムク」と言うのが3種のうちのどれなのかはっきりとした答えが帰って来ず、未解決のデータがあります。文献の名前を整理してみても、バチェラー1938に「Muk,ムク,ツルニンジン(注4)」とあったりするので、やはりどこまで区別されていたのかが判然としません。

 改めてアイヌ語名を見ると「ムク」という語が全てに共通しています。ツリガネニンジンのムケカシは「ムク エカシ(ムクの長老)」で、ひときわ立派な根がついていることに由来するのでしょう。あるいはこの3種は「食用の根がついている(注5)」つながりで、3種とも「ムク」で通じてしまう面があったのかも知れない、そんなことをあれこれと考えていました。

 ある年の夏のことです。博物館の近くを一緒に歩いていた私より少し年上のアイヌの女性がツリガネニンジンの花を見て「モッケだ!懐かしい」と言ったのでした。訊くと「意味はわからないけど、むかし親達がそう呼んでいた」ということで、「花がきれいだからボンバナ(注6)と一緒に摘んで飾ったりもしたよ」と思い出を語ってくれました。もしかしてツリガネニンジンをこの人の家ではムクと呼んでいて、そのアイヌ語名がモッケと形を変えて(注7)語り継がれた例なのではないかと、ひとりで勝手に盛り上がってしまいました。

 この想像が当たっているかどうかは読まれた方の判断にお任せしますが、決してこの例だけではなくアイヌ語は暮らしの中に今でも残っていて、ひょんなところで出会うことがあるものです。そうした場面に居合わせると、アイヌ語は今でもちゃんと使われている生きた言葉なのだということを改めて実感するのでした。

(注1)ツルニンジンの別名ジイソブは、一説によるといずれかの方言で「ジイさんのそばかす」という意味なのだとか。次に出て来るバアソブは「バアさんのそばかす」なのだそうで、ここでもうすでにまぎらわしい雰囲気をかもし出しています。

(注2)宮部・神保1892や知里1953などにもムケカシという名は採録されていて、ポピュラーな呼び名であったことを示しています。ちなみに道北や樺太ではモシカラペという名で呼ばれていたとあります。

(注3)知里1953に樺太の例として記録されています。

(注4)バチェラー1938、P306

(注5)根を食用にする野草に「ムク」の名は散見します。チカプムク(キジカクシ)など。

(注6)ボンバナは、この時はオミナエシの俗名として語られていました。お盆に供える花の総称として使われることもあります。日本語の俗名とアイヌ語らしき名称が並んで出て来たところも面白いと思いました。


▲写真 オミナエシ

(注7)アイヌ語の発音では母音「u」は「o」に近く、日本語話者は「o」と聞いてしまうことがしばしばあります。「アイヌ」を「アイノ」と記録した例などがそれです。また最後の音節末子音「k」も日本語話者は聞き取れなくてないことになってしまったり、余計な音をつけてしまったりということが結構な頻度で起こります。

<参考文献・データ>
吉田巌「アイヌの薬用並に食用植物」『人類学雑誌第三十三巻第六号』日本人類学会(1886年)
宮部金吾・神保小虎「北海道アイヌ語植物名詳表」『東京地學協會報告第14年第1號』(1892年)
宮部金吾・三宅勉『樺太植物誌』樺太庁(1915年)
ジョン・バチェラー『アイヌ・英・和辞典』岩波書店(1938年)
更科源蔵『コタン生物記』北方出版社(1942年)
知里真志保『分類アイヌ語辞典 植物編』日本常民文化研究所(1953年)
アイヌ民族博物館『アイヌと自然デジタル図鑑』(2015年)

[バックナンバー]

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《アイヌの有用植物を食べる 4》ヒシ

 

 文:新谷裕也

 

はじめに

 

 私は伝承者育成事業の研修生だった2016年9月、研修の一環としてアイヌの食用植物ヒシの実を採取し試食する機会を得ました。札幌大学ウレシパクラブの学生達と合同で札幌近郊で行われたこの研修では、湖沼の管理者の許可と協力をいただいて採取しました。前回まで山でとれる植物を紹介しましたが、今回は水辺に自生する水草ヒシについて、アイヌ文化との関わりを中心に紹介します。

 

1. ヒシとは

 

▲写真1:水辺のヒシ

▲写真2:ヒシの実

 

 ヒシ(菱)は、湖や沼に自生する一年草(注1)の水草です。ヒシという名前の由来は諸説あり、葉の形や実の形が菱形だからという説や、実がおしつぶれたような形から「拉(ひし)ぐ」からきたとの説もあります。ヒシの実は葉の下に隠れるようについており、殻に大きな棘があるのが特徴です(写真2)。この棘は、ヒシを食べるヒシクイという鳥の体に引っかかって種子を運ぶ役目をします。ヒシにはオニビシ、ヒメビシという近縁種(注2)があるのですが、種類によって棘の数が異なり、ヒシの実には棘が2本、オニビシ、ヒメビシの実には4本あります。このオニビシやヒメビシの実を、忍者は撒菱(まきびし)として使用したと言います。

 アイヌ語では「ぺカンペ(水の上にあるもの)」等と呼ばれます(→知里1953=アイヌと自然デジタル図鑑参照)。ヒシの実にはでんぷん質が多く含まれており、ゆでて食べると栗のような味になるので、ゆでてから炉棚の上で貯蔵して保存食としました。食べ方としてはお粥に入れて「ぺカンペサヨ(ヒシのお粥)」にしたり、米と一緒に炊いて食べたり、お酒の材料にしました。またイヨマンテ(クマの霊送りの儀式)の際にラタシケプ(混ぜ煮)の中に入れてクマの油を垂らして食べたとも言います。

 昔は北海道の至る所でヒシの実が採取されており、別寒辺牛(釧路管内厚岸町内を流れる川、[ペカンペ・ウシ=ヒシ・多い・所]の意味)、ユークシトー(<i-uk-us-to ヒシの実をとりつけている沼)など、各地にヒシの実に関係するアイヌ語地名が残されています。白老町にもヨコストの地名があり、実際にヒシがとれる沼もあったので、あるいは関係するものかも知れません(→安田千夏2015.8号注参照)。

 また、かつては網走湖でもペカンペ祭りが行われていて、この地に伝わる舟歌に「どこで菱を採る 小屋があるのか あそこから舟が出てきた どこで菱を採る 舟が出たのか あそこに小屋がある」という歌が残っています(更科1976)。

 

2. 儀式


 ヒシの実取りの前には「ぺカンペカムイノミ」という儀式を行います。ヒシの実が豊かに実ったことに感謝し、安全に採取できますようにと祈ります。現在は行われなくなりましたが、かつて塘路コタン(釧路の北、現在の標茶町内)では9月頃にぺカンペカムイノミを行い、これをしてからでないとヒシの実の採取はしてはいけないことになっていました。ヒシの実は昔国造りの神がこの島を作るときに自分の弁当であるヒシを置いて行ったとされていて、この祭りでは「カムイ・レタシケプ(神の弁当)」という祈り言葉を使うと言います(更科1976)。

 私たちがヒシの実の採取をした際にも、無事に採取を行えるように儀式を行いました。このような祈りは、山に入って山菜や木を採取する際や、漁に行く前などに、神々の許可と加護を得るために日常的に行われていました。

 

3. 採取方法


 儀式が終わると、舟に乗ってヒシの実を採取します。この時、塘路では魚の漁や狩猟の時には歌われない特別な舟歌を歌いながら採取しました。「ホー チプ テレケレ フン ホー チプ ホー フン(そら舟よ とべとべ フン そら舟よ  そら フン)」と歌いながらヒシがある場所まで行き、舟に乗っているおばあさんが、「ケタ ハタ(群落をとってみたか)」と歌うと、一緒に乗っている娘が「ケタ フレ(群落が赤いよ)」と歌います。群落が赤いというのは、ヒシの実が完熟していることを言います(更科1976)。

 美幌では「ネタワタ カササ トオチペク ネタワタ チペカ トオカサシ(どこに一体 小屋があったのだろ? あそこに舟が来る! どこから一体 舟が来たのだろ? あそこに小屋がある!)」という歌を歌いました(知里1953)。この様な「イウク ウポポ(物をとる歌)」と呼ばれる労働歌を歌いながらヒシの実を採取しました。

 

4. 道具 


 ヒシの実は葉の裏側に隠れてついているので、それを素手で取りますが、水辺の植物ですので以下の道具も使います。

●長い棒:水面のヒシを手繰り寄せるのに使います。棒があれば、岸から近くのヒシの実を採取することができます。棒の先に鉤状の突起があればうまくヒシをひっかけることができます。

●舟:岸の近くは棒で取れるのですが、奥にあるヒシの実は舟を出さないと採取することができません。昔は丸木舟で採取したそうですが、今回はモーターボートを使いました。

 

5. 調理方法


 採取したヒシの実をご飯と一緒に炊きました。以下が調理方法です。

①ヒシの実の殻を取る

 棘の付いている殻を刃物で切って皮を取ると白い実が出てきます(写真3)。乾燥していると殻が固くなるので、一度水で戻してから皮を取ると良いです。棘が痛いので注意します。

▲写真3:ヒシの実のむき身

②研いだ米と混ぜて炊く

 ヒシの実と米を混ぜ合わせて、イナキビ、塩、油を入れて炊きます。

③ヒシの実を乾煎りする

 混ぜたのとは別のヒシの実をフライパンで炒めます。
 炒めたヒシの実は炊きあがったご飯に混ぜ合わせます。

④完成(写真4)

 簡単ですが、これで完成です。


▲写真4:ヒシの実の炊き込みご飯

 

6. 味


 ヒシの実は、火を通す前はシャキシャキして歯ごたえが良く、特に癖もない淡白な味でした。今回のようにご飯と一緒に炊けば、ほくほくしてまるで栗のような歯ごたえになります。乾煎りしたヒシの実を加えれば、炊いたものとは違った風味が加わります。木の実とはまた違った歯ごたえと風味で、おいしく頂きました。味はほのかにする程度なので、味をつけるためというよりは、昔はお米や稗といった穀物が貴重だったので、かさ増しのために入れられていたのかもしれません。今回は炊き込みご飯を食べたので、次はお粥やラタシケプに入れて食べたいと思います。

 

7. おわりに


 ヒシの実は昔は白老町内の湿原でもとれたそうですが、現在では干上がってしまったり、外来種の魚に食べられてしまったり、貴重な存在になってしまっています。普段は勝手に採取できないのですが、今回は研修の一環として許可を得てヒシを採取して食べることができたので、とても貴重な体験をすることができました。

 

注1:種から芽を出して一年以内に花が咲き、種をつけ、枯れる植物。

注2:生物の分類で、近い関係にある種。

 

〈参考文献・データ〉

・福岡イト子『アイヌと植物』旭川振興公社(1993年)
・知里真志保『分類アイヌ語辞典 第1巻 植物篇』日本常民文化研究所(1953年)
・知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター(1956年)
・更科源蔵、更科光『コタン生物記Ⅰ樹木・雑草篇』法政大学出版局(1976年)
・アイヌ民族博物館『アイヌと自然デジタル図鑑』(2015年)
・宮部金吾、神保小虎「北海道アイヌ語植物名詳表」『東京地学協会報告第14年第1号』(1892年)
・ジョン・バチラー『アイヌ・英・和辞典(第4版)』岩波書店(1938年)

 

[バックナンバー]

《伝承者育成事業レポート》イパプケニ(鹿笛)について 2017.1

《アイヌの有用植物を食べる》1 オオウバユリ(前) 2017.6

《アイヌの有用植物を食べる》2 オオウバユリ(後) 2017.7

《アイヌの有用植物を食べる》3 ヒメザゼンソウ 2017.8

 

 

 

 

 

《第3期伝承者育成事業レポート》イヨマンテでの祈り詞(平取地方)その10

 

 文:伝承者(担い手)育成事業第三期生一同(木幡弘文、新谷裕也、中井貴規、山本りえ、山丸賢雄)、北原次郎太(講師)

 

 

 ここに掲載するものは、名取武光氏が記録したイヨマンテの祈り詞です。名取氏の論文「沙流アイヌの熊送りに於ける神々の由来とヌサ」(『北方文化研究報告 第4輯』、1941年、北海道帝國大學)には、仔グマを連れ帰った場面からイヨマンテを終えるまでの一連の祈り詞54編と、その意訳が収録されています。名取氏の同論文は、1941年に最初に発表され(戦前版)、その後1974年に著作集『アイヌと考古学(二)』に収められました(戦後版)。著作集収録の際、浅井亨氏がアイヌ語の校正をしており、一部解釈や表記が変わりました。

 第3期「担い手」育成研修では、2016年1月頃からアイヌ語研修の一環として、これらの祈り詞の逐語訳に取り組みました。和訳にあたっては、新旧のアイヌ語原文を比較しましたが、ここでは戦前版での表記とアイヌ民族博物館で用いられている表記法(辞書で引けるような表記)で書いたものを並べ、戦後版については必要に応じて引用しています。なお、原典では改行せずに書き流していますが、ここでは、一般的な韻文の形式で、一行と考えられる長さごとに改行しています。それぞれの最後に、名取武光氏による意訳をのせています。

 今回は、そのうち26、27、28を掲載します。 (→その1 →その2 →その3 →その4 →その5 →その6 →その7 →その8 →その9

 参照した辞書の略号は次の通りです。

【太】:川村兼一監修、太田満編、『旭川アイヌ語辞典』、2005、アイヌ語研究所
【萱】:萱野茂、『萱野茂のアイヌ語辞典 [増補版]』、2002、三省堂
【久】:北海道教育庁生涯学習部文化課編、『平成3年度 久保寺逸彦 アイヌ語収録ノート調査報告書(久保寺逸彦編 アイヌ語・日本語辞典稿)』、1992、北海道文化財保護協会
【田】:田村すず子、『アイヌ語沙流方言辞典』(再版)、1998、草風館
【中】:中川裕、『アイヌ語千歳方言辞典』、1995、草風館

 

26)Chikapoi pentapkashi anbakamui inonnoitak
サラバの川向の大鷲の神に申す祈詞

 

戦前版の表記 新表記 和訳
Tapantonoto tapan tonoto  このお酒
inauturano inaw turano  イナウと共に
eashikorokashi e=askor kasi 貴方の手の上
aekoongami a=ekoonkami にそれでもって拝礼する
kishirihi ki sirihi  その様子
sekoranyakkune sekor an yakne  ということなので
chiaikorushika ciyaykoruska  憐れむこと
iekarakarawa i=ekarkar wa  を私にして
neppatum nep patum  どんな病が
utumkoshiyakka utumkus yakka 流行っても
kenruoroke kenru orke  館の所
chikohosari cikohosari  を振り返ること
iekarakarawa i=ekarkar wa  をして
nishashinoshukup nisasnu sukup  健康な育ちを
utariturano utari turano[1]  仲間と共に
iekarakarawa i=ekarkar wa  して
ikoropareyan i=korpare yan.  下さい。
naasamata na sama ta  またさらに
neppatum nep patum どんな病が
utumkushiyakka utumkus yakka  流行っても
kotankurukashi kotan kurkasi  村の上
chikoshirimore cikosirmore を静かに治めることを
iekarakarawa i=ekarkar wa  して
ikoropareyan. i=korpare yan.  下さい。
[1] ここはつながりが少し不自然なので数行脱落があるかもしれません。祈り詞2及び12にnisasnu sukup ki kunihiという言い回しが見られます。また祈り詞21ではcikopunkine i=ekarkar wa i=korpare yanという言い回しもあります。これらから推測すればnisasnu sukup utari turano ki kunihi「仲間達と共に健やかな成長をするように」やcikopunkine i=ekarkar「私達を守ってください」といった言い方が考えられます。  

 

 

26.名取意訳

 大鷲の神よ、貴方の力で、村中の者皆達者になって居りました。有難い為に、此の酒と幣と一緒に、貴方に御礼に上げますから、受け取ったら直ぐ、私の所を見て下さい。家中の者皆達者になる様に守って下さい。又色々な悪い病気が流行っても、村中に障らぬ様に、面倒を見て下さる様にお願申します。

 

27)Tunni(=inau-ko-ashini)ko-inonnoitak
村の柏木(通所・イナウを上げる木)に申す祈詞

 

戦前版の表記 新表記 和訳
Tunnitonomat tunni tono mat 柏の木の女神よ
oshikinokani hoskino kane はるか昔
piraturukotan piratur kotan 平取村の
kotannoshikike kotan noskike 村の中央
eranakamui eran a kamuy に降りた神が
enewakusu e­=ne wakusu 貴方であるので
ainuureshipa aynu urespa 人間が生活
teksamkashi teksam kasi する側を
ekopunkine e=kopunkine 貴方が守って
pirikauwari pirka uwari 子孫繁栄が
tapanpiraturu tapan piratur この平取の
kotanupushyoro kotan upsor 村の中
eanakushutap ean a kusu tap にあったので
ukohepoki ukohepoki 一同に礼を
akiwakushu a=ki wa kusu するのです。
taneanakkune tane anakne 今は
ponnohomaka ponno homaka 少し後ろに
kotanyakka kotan an yakka[1] 村が移ったけれども
ukohepoki ukohepoki 一同に礼をする
aniwakushitap =an wa kus tap[2] ために
tapantonoto tapan tonoto このお酒
inauturano inaw turano 木幣と一緒に
eashikorokashi e=askor kasi 貴方の手の上に
aekoongami a=ekoonkami 拝礼する
kishirihi ki sirihi 様子
sekottapanna sekor_ tapan na. です。
chiaikorushika ciyaykoruska 私たちに憐れみ
iekarkarwa i=ekarkar wa をかけて
ureshipateksam urespa teksam 生活する側を
chikopunkine cikopunkine 守護
iekarakarawa i=ekarkar wa して
ikoropareyan. i=korpare yan.  くださいませ。
[1] 次の祈り詞28に同様の表現がある事からこのように解釈しました。
[2] a=ki wa kus tapかもしれません。

 

27. 名取意訳

 柏木の神よ、昔は平取村の真中に居る神様で、村中で、幣を立てて、どうかしてこの平取村に子供が沢山出来て、村がよくなる様に守護して下さいと、皆が祈りした神であるが、今では旧平取村から少し村が離れて居るけれども、其の恩は皆忘れなく、こうして幣と酒とが出来る度に差し上げて居ります。今酒と幣とを上げますから、どうぞ此の酒を受け取ったら、直ぐ私の方を見向きして、村中が皆達者になる様に、面倒見て下さい。又この村一般に守護して色々な病気がない様にお頼み申します。

 

28)Popayushinai inonnoitak オバウシナイの水の神に申す祈詞

 

戦前版 新表記 和訳
Hoshikinokani hoskino kane 以前は
kirishamuoroke kirsamorke  お膝の側のところに
kotanunkusu kotan un kusu 村があったので
nupurusantobe nupur san tope[1] 霊力のある尊いお乳で
aereshupakunip a=eurespa kuni p 私たちが生活した
popaiushinai popayusnay  オパウシナイの
pekechiukashi peker ciw kasi  清い流れの上を
oengarakamui oinkar kamuy  見守る神よ
nupurusantobe nupur san tope  霊力のある尊いお乳で
aeureshipawa a=eurespa wa 私たちは育ち
tapabekusu tapan pe kusu  そのため
usaptekunip usapte kuni p  子孫繁栄させてきたものが
aneakushutap a=ne a kusu tap  私たちであるので 
ukohepoki ukohepoki  一同に礼を
anwakusu =an wa kusu するので
taneanakkune tane anakne  今は
ponnohomaka ponno homaka  少し後ろに
kotananyakka kotan an yakka 村が移ったけれども
neptonoto nep tonoto  どんな酒席
newaneyakka ne wa ne yakka  でも
iyoirasakkuno ioyra sakno  忘れないで
aekoongami a=ekoonkami  私たちが拝礼する
kamuineakushitap kamuy ne a kusu tap  神であるので
tapantonoto tapan tonoto  これなるお酒
inautura inaw tura  とイナウとともに
eashikorokashi e=askor kasi  あなたの手の上に
akoongami a=koonkami  私は拝礼する
sekoranshiri sekor an siri  という様子
nihitapanna ne hi tapan na.  でありますよ。
chiaikorushika ciyaykoruska  憐れみをかけることを
iekarakarawa i=ekarkar wa  私たちにしてくださって
tukitasa tuki tasa  酒杯に向かって
chikohosari cikohosari  振り向くことを
iekarakarawa i=ekarkar wa  して
ikoropareyan. i=korpare yan. くださいませ。
[1] 飲み水のことを水の女神の母乳に例えた表現。川や水の神に祈る時によく使われます。

 

 

28.名取意訳

 水の神様よ、どうぞお願い申します。昔は貴方のいる前に村を立てて、澤の流れの水は、親の乳を飲んで育つと同じ事で、それで皆育って居りました。今は少し離れて村を立てて居りますけれども、其の恩がありますので、御礼に今酒と木幣とを一緒に、神様に差し上げます。それだから、可愛がって、私の方を見向きして、家の者皆病気なく、達者で育つ様に、お頼み申します。

 

《伝承者育成事業レポート(第3期) バックナンバー》

女性の漁労への関わりについて 2015.11

キハダジャムを作ろう 2015.12

ウトナイ湖野生鳥獣保護センターの見学 2016.2

アイヌの火起こし実践ルポ(前編) 2016.3

アイヌの火起こし実践ルポ(後編) 2016.4

ガマズミ・ミヤマガマズミの見分けについて(山本りえ)2016.11

「ハンノキについて学んだ者が物語る」(中井貴規)  2016.12

イパプケニ(鹿笛)について(新谷裕也) 2017.1

サパンペ(儀礼用冠)の製作について(木幡弘文) 2017.2

 

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その1 2016.12

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その2 2017.1

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その3 2017.2

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その4 2017.3

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その5 2017.4

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その6 2017.4

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その7 2017.6

 

 

 

 

 

 

《ポロトコタン私史4》コタンのデジタル事始め

 

 

 文:安田益穂

 

 

1.はじめに

 

 技術は日進月歩。IT・デジタル機器の多くは耐用年数4〜6年とサイクルが短く、すぐに時代遅れになる宿命にあります。IT・デジタル化というのは、ある意味で後世から笑われるための落とし穴とも言えそうです。

 1995年に筆者がこの博物館に勤めるようになったのも、当館がその落とし穴に見事にはまっていたのがきっかけでした。以来22年間、部署の異動もありいろんな業務に携わりましたが、いつもパソコン相手に、新しい機器が粗大ゴミになる前にモトをとらねばと、落とし穴の中で格闘してきた気がします。

 とはいえ、新しもの好きには最高に楽しいのもこの仕事。ふと我に返ると、素人の自分がこんなに好き放題して良いものかと思うほど。ホームページをはじめ、たいていのことはよそに先駆けてさせてもらえました。なかでも本誌5月号からたびたび記事にしてきたアイヌ語アーカイブ(リンク参照↓)や『アイヌと自然デジタル図鑑』は、この博物館にとっても筆者にとっても関連事業の集大成でした。幸い館外の多くの方々に評価していただき、苦労した甲斐があったと思える昨今です。

 この博物館には今なお著名な伝承者が遺した貴重なアイヌ文化遺産が膨大に眠っており、その公開・活用はIT・デジタル化の成否にかかっているとも言えます。これまでの過程は失敗の連続でしたが、周りの皆さんへの感謝とお詫びの気持ちを込めて振り返ってみたいと思います。

〈関連記事リンク〉
《トピックス》アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブを公開 2017.5
《ポロトコタン私史3》アイヌ民族博物館デジタルアーカイブのいま 2017.6
《トピックス》必携書が身近に! 萱野、田村両アイヌ語辞典をネット配信 2017.7

 

2.博物館のデジタル化年表

 

トピック 主な成果物 私史

凡例:=DTP(デジタル出版)=DTV(デジタルビデオ) =アイヌ語アーカイブ =データベース =インターネット ●=アナログ

開館

1984〜

視聴覚機器導入(記録・編集・展示用=アナログ)(1984)※注1

展示用映像ソフト
儀式映像記録等

●Ⓐ聞き取り調査音声記録
 
収蔵資料DB導入(1994.1)
伝承物DB導入(1995.2)
 
1995 DTP(Mac組版システム)導入(7月-)

伝承記録2(10月)

博物館だより31号(11月)刊行〜

学芸課

(7月-)

学芸データベース(庶務系)稼働(Access1.1〜FM3.0 10月-)
1996

デジタルビデオ撮影機器導入(DV規格)

イヨマンテ映像記録(3月)
チセ火災と建築儀礼映像記録(12月〜翌年5月)
ホームページ開設(7月)
1997  

伝承記録3『上田トシのウエペケレ(CD付き)』(3月)

〃WEB版公開(音声ファイル+PDF)(3月)

デジタルビデオ編集機器導入(DTV=Mac映像編集 8月)

シンポジウム「チセを考える」資料映像作成・上映(9月)

1998 機構マニュアル『建てる』映像制作(11月〜翌年5月)
1999 伝承記録4『川上まつ子の伝承』
2000

独自ドメイン取得(6月)

ainu-museum.or.jp

『ポロチセの建築儀礼』出版(3月)

2001   伝承記録5
2002 LAN敷設(全課)

伝承記録6

伝承記録7『葛野辰次郎の伝承』(DVD-ROM、CD4枚付)出版

『イオマンテ報告書』出版(復刻合本 11月)
〃WEB公開

2003 財団データベース(管理系=全課)

総務課

2004    
2005  

『西平ウメとトンコリ』出版

 (DVD・CD付 12月)

2006    
2007   受付レジDB作成・導入
2008

アイヌ語アーカイブス〜祖先の物語を子どもたちへ HP公開

(口承文芸のあらすじとサンプル音声/デジタル絵本12本他)

2009
2010    

2011〜

2014

アイヌ語音声資料のデータベース化(全文転写・DB化=文化庁補助)

学芸課

2015

アイヌと自然デジタル図鑑WEB公開
博物館情報システム

 (ipad映像展示アプリ)

自然図鑑(postgreSQL)
Web雑誌「月刊シロロ」創刊
デジタル絵本17話Youtube公開
『民話ライブラリ1〜3』(CD付 3月)
2016 アイヌ語アーカイブシステム作成(mySQL)
2017

〃WEB公開開始

ainugo.ainu-museum.or.jp

アイヌ語・音声・映像資料公開(5月)
アイヌ語辞書WEB公開(7月)

 

3.1995年という年


 中年のパソコン好きにとって「95」という数字は特別な数字ではないでしょうか。ウィンドウズ95、インターネット、デジカメ、デジタルビデオ……。デジタル関連のいろんな「××元年」が1995年でした。

 筆者の「パソコン元年」もこの年。東京で印刷・出版関係の仕事をしていてワープロ専用機(というのが昔はありました)歴は10年あったものの、パソコンは触ったことなし。白老移住後の飯の種にとApple マッキントッシュのDTP(パソコン組版)システムを導入したのも束の間、縁あってこの博物館のデータベース担当として採用されました。

 この時博物館は開館から11年目。開館時に導入した視聴覚機器(注1)は老朽化し、保守が限界にきていました。また前年までに導入した2つのデータベース(収蔵資料データベース、伝承物データベース)は、世界初の一眼レフデジタルカメラとDOSパソコンを組み合わせた最新の画像データベースでしたが、導入のタイミングが最悪でした。直後にWindows95やカシオQV-10(デジタルカメラ)という歴史的な製品が発表され、しかも導入後すぐに担当者が相次ぎ退職。博物館のIT・デジタル化はスタートから暗礁に乗り上げていました。

 

4.DTP(デスクトップパブリッシング=パソコンによる書籍編集・組版)


 東京で印刷・出版関連の仕事をしていたことは先に述べましたが、市民対象のアイヌ語勉強会(講師:中川裕先生)に出入りしていた縁でアイヌ語関連書籍の製作にも関わっていました(注2)。博物館の出版物というのは少部数なうえ、普通の印刷所ではアイヌ語など見たこともありませんから組版に一苦労します。その点、アイヌ語をかじった人間が自分で版下を作成できるDTPというのは大変メリットがありました。また版下データをそのままPDF化することでインターネットとの連携も容易です。

 当館の出版事業の中では、アイヌ文化伝承者からの聞き取り調査資料をまとめた『伝承記録』シリーズはアイヌ語アーカイブの原形とも言え、他に先駆けて音声CDを裏表紙に貼付した『伝承記録3 上田トシのウエペケレ』(1997年)は、最初からインターネット版(PDF+音声ファイル)と同時公開しました。幸い当時から今に至るまで最も広く利用されているアイヌ語資料の一つとなりました。

 『伝承記録』シリーズではその後も音声・映像資料を収めたDVDやCDを書籍に添付することを基本とし、館外のアイヌ語研究者の協力を得ながら刊行してきました。現在、出版物はコスト等の問題から発行のペースを落とし、「アイヌ語アーカイブ」などインターネットコンテンツへ重心を移しつつあります。

 

 

5.DTV(デスクトップビデオ=パソコンによるビデオ編集)


 アイヌ無形民俗文化財の伝承・公開を行う博物館として、ビデオ記録は大変重要です。時代が下れば下るほど伝承者が高齢化・減少し、伝承の変容や消滅の危機が増大します。アイヌ語は音声記録でも大きな問題はありませんが、儀礼、舞踊、製作技術などは映像が不可欠です。

 当館では1996年3月1日、初のDV規格テープのデジタルビデオカメラ(VX-1000)及びデッキ(DSR-30)を導入しました。早速アイヌ料理教室や伝統歌唱法講習会などを撮影していたのですが、その月にイヨマンテ(飼い熊「フックン」の死に伴う熊送りの儀礼)があり、夏には丸木舟づくり(2017.1月号拙稿参照)、さらに年末のポロチセ火災と撮影機会が相次ぎ、翌年にかけてチセ建築工程・儀礼あわせて97時間を撮影しました(2017.2月号拙稿参照)。特に長時間の儀式の記録にはデジタルビデオは欠かせないものとなり、1997年には3時間録画が可能なビデオカメラを導入し、その後この両機で合計212時間分のデジタルビデオを撮影しました。

▲60分撮影可能なデジタルビデオカメラ

SONY VX-1000(1996.3導入)

▲184分撮影可能なSONY DSR-200

(1997.4導入)

 

 またシンポジウム「アイヌのすまいチセを考える」(1997年9月)では、撮影した建築工程及び建築儀礼をパソコンでビデオ編集し、プロジェクター映写しながらパネラーが報告しました。今では当たり前のことですが、当時は新しい試みでした。

 1998年の『マニュアル作成事業1 建てる』(アイヌ文化振興・研究推進機構受託事業)では、パソコンで自作CGを含む60分の映像編集を行いました。ただ、これは受託事業の重さと当時の技術水準を考えれば無謀と言われても仕方ないものでした。

 伝承者の多くが亡くなった近年は撮影機会もめっきり減っていますが、一方で今では誰でも簡単にパソコンで編集ができ、YOUTUBEで公開できるようになっています。過去の映像資料のデジタル化が進むのと並行して、今後映像アーカイブの公開が本格化することが期待されます。

 

6.インターネット

 

 1996年7月、アイヌ民族博物館ホームページを立ち上げました。これはおそらく北海道内の博物館では最初ではないかと思います。

 当初は利用案内や園内のイメージマップ、ニュース(『アイヌ民族博物館だより』のhtml版)、アイヌ文化の入門書『アイヌの歴史と文化』(日/英)を公開し(写真参照)、その後は順次『上田トシのウエペケレ』『イヨマンテ(熊の霊送り)報告書』等の書籍のWEB版や、「ムックリ演奏教室」「アイヌの儀礼具」などのオリジナルコンテンツを追加しました。いずれも継続公開中で、今なお多くのアクセスをいただいているのはありがたいことです。

▲開設当時のアイヌ民族博物館ホームページ(1996年7月)

 

 また、デジタル絵本を含む『アイヌ語アーカイブス〜祖先の物語を子どもたちへ〜』(2008〜2009年)、『アイヌと自然デジタル図鑑』(2015年)、『アイヌ語アーカイブ』(2017年)は文化庁、館外研究者や専門業者の協力を得て作成し、インターネット上のアイヌ文化関連サイトとしては量・質ともに本格的なコンテンツとなりました。

 

7.データベース事業


 元はといえば「データベース担当」兼庶務係として採用された筆者ですが、ワープロ専用機しか触ったことがないMac初心者で、PCもデータベースも全くの未経験どころか見たこともありませんでした。いきなりDOSの収蔵資料データベースやWindowsの画像データベースは無理と考え、最初は「業務日誌」や「物品購入伺い」「学芸員講話予約」など庶務系の簡単なデータベースを説明書片手に作りながら、図書、音声・映像資料データベースへと広げていきましたが、しょせんは素人、データベースは出版など他の業務より後回しになっていました。

 そうこうするうちに2003年、これも全く未経験の事務方(総務課)へ異動になりました。必要に迫られてとは言え、総務在籍中はIT化とデータベースの勉強には大変貴重な時間でした。さっそく全課にLANを敷設、入場予約・顧客管理やスケジュール管理等をデータベース化し、全課で共有するようにしました。こうなるとデータベースが組織全体の仕事の仕方まで左右するようになり、責任は重大でしたが、さまざまな処理を自動化・ボタン化できるレベルになると職員にも利点が理解されるようになりました。

 さらに2007年には入場受付のPCレジもファイルメーカーで自作し(下写真)、予約・入場者管理と連動させました。これは「調子に乗った」と言われればそれまでですが、システム開発に回す予算もなく、かと言って電卓片手に「正」の字を書いているよりはマシかと悪戦苦闘。欠陥だらけながら現在まで10年間使ってくれています。その後博物館(学芸課)に戻って自然図鑑、アイヌ語アーカイブなどの複雑なデータベースを作成するようになりましたが、決して得意ではないこの分野で、総務でのデータベース作りは貴重な経験でした。

▲受付レジシステムの1画面(2007年)

 

8.アイヌ語アーカイブ

 

 アイヌ語アーカイブは何度もこの誌上でも紹介しました。東京でアイヌ語の勉強をしていたころ、アイヌ語の辞書、音声資料、テキストがあれば、誰でもどこでもアイヌ語を勉強できるのにと日々考えていました。1996年、1997年にはアイヌ語辞書も相次いで発行され、アイヌ語教室も各地に誕生した一方、博物館には膨大なアイヌ語音声資料が公開されずに眠っていました。それから随分長い時間が経ちましたが、今ようやくその願いが叶いつつあるように思います。

 私は何が専門と言えるだけのものは何もないのですが、おそらく「世に出すこと」「パブリッシング」に最も関心があったのだろうと思います。その点で、今この博物館で担当している仕事は天職とも言え、感謝に耐えません。今のところ後継者は育っていないのですが、 今後予定されている法人の吸収合併や国立博物館開館によって組織や設備が整備され、私のこのような経験が遠い昔話となり、やがて忘れ去られるなら、それはそれで幸いなことだと思っています。

 

(注1)ビデオ撮影・編集システム一式(Uマチック規格)●ビデオトーク(スイッチ式ビデオソフト視聴システム=新旧館通路)5台●マルチビジョンスライド(スライド映写機3台を連動させ大型スクリーンに映写=映像展示室)●ボックス型スライドシステム(スイッチ式スライドショー=「装う」コーナー)。お年玉等年賀はがき寄付金を含め総額1800万円のシステム。

(注2)『銀の滴購読会講義録』1〜(中川裕先生の講義録 1991年〜)※編集・製作担当
・ 萱野茂・上田トシ『アイヌ語日常会話集1 凍ったミカン』(片山言語文化研究所、1992年)※製作担当
・片山龍峯(編)・中川裕(監修)『カムイユカラ』(絵本・テキスト・カセットテープ付き)(片山言語文化研究所、1995年)※DTP製作担当

 

 

[ポロトコタン私史 バックナンバー]

1.樹齢20年のカツラ 2017.1

2.1996-1997 チセ火災と再建の3カ月 2017.2

3.アイヌ民族博物館デジタルアーカイブのいま 2017.6

 

[トピックス バックナンバー]

1.「上田トシの民話」1〜3巻を刊行、WEB公開を開始 2015.6

2.『葛野辰次郎の伝承』から祈り詞37編をWEB公開 2015.9

3.第29回 春のコタンノミ開催 2016.5 

4.アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブを公開 2017.5

 

【儀式見学の予備知識 バックナンバー】

1.式場とマナー 2016.6

2.祭神⑴ 家の神々 2016.7

3.祭神⑵祭壇の神々 2016.8

4.儀式の日程と順序⑴開式まで 2016.9

5.儀式の日程と順序⑵開式からの流れ 2016.11

 

[資料紹介]バックナンバー

1.映像でみる挨拶の作法1 2015.10

2.映像でみる挨拶の作法2「女性編」 2015.11

3.映像で見るアイヌの酒礼 2016.1 

4.白老のイヨマレ(お酌)再考 2016.3

 

[今月の絵本 バックナンバー]

第1回 スズメの恩返し(川上まつ子さん伝承) 2015.3

第2回 クモを戒めて妻にしたオコジョ(川上まつ子さん伝承) 2015.4

第3回 シナ皮をかついだクマ(織田ステノさん伝承) 2015.5

第4回 白い犬の水くみ(上田トシさん伝承) 2015.7

第5回 木彫りのオオカミ(上田トシさん伝承) 2015.8

 

 

 

 

 

本文ここまで

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