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月刊シロロ

月刊シロロ  11月号(2017.11)

 

 

 

 

 

 

《ポロトコタン私史5》チセプニ「家を持ち上げる」(1998年)

 

 文:安田益穂

 

 

1.はじめに


 みなさんは家を持ち上げたことはおありでしょうか。
 普通はないでしょうし、そもそも持ち上げようなんて思いませんよね。
 ところが今から19年前、家を持ち上げようとした人たちがいました。
 今回はそのお話です。


▲写真1 チセプニを終えた関係者一同(1998年11月15日)

 アイヌ民族博物館では1998年、アイヌ文化振興・研究推進機構「アイヌ生活文化再現マニュアル 建てる」の作成を受託し、実際にチセ(家)を建て、映像ソフトと解説書からなる家づくりのマニュアルを作成することになっていました。

 その前年、18m×9mの大きな家(ポロチセ)を現代的な方法で建設(本誌2017年2月号参照)した当館では、「祖先の時代の家づくり」をテーマに、釘もノコも使わずに、可能な限り伝統的な方法で家を建てようと考えました。

 そこで浮上したのが「チセプニ」です。

 チセプニとは、チセ(家)プニ(を持ち上げる)の名のとおり、地上で先に屋根を作り、その周囲に柱を立て、その上に屋根を担ぎ上げるというものです。『蝦夷生計図説』などの史料に見える伝統的な構法ですが、誰も実際にやったことも見たこともありません。

 その結果どうなったかは、その年発行の『アイヌ民族博物館だより40号』に速報を掲載したのでご覧いただくとして(安田1998=PDF)、今回は事後報告として、事業の写真や図版と、元祖チセ建設マニュアルとも言える史料『蝦夷生計図説 チセカルの部』(以下「図説」)を対照する方法で振り返ってみたいと思います。

建設概要 
家のサイズ 総床面積 26.3㎡
 2間×3間(3.5m×5.4m)の母屋に
 セム(玄関兼物置、1.9m×2.4m)が付属
付属建物 熊檻、倉庫、便所(男女)、物干し
建 材 ミズナラ(柱)、ハンノキ(柱以外)、アオダモ(茅押さえ材)、等
被覆材 ヨシ葺き
結束材 ヤマブドウのつる、ひも(シナ製)、等(釘や金物は使わない
道 具 ナタ(山刀の代用)、マサカリ、小刀、カマ等、史料に見えるものを中心に(ノコは極力使わない
建築期間 1998年11月4日着工、11月15日チセプニ、11月25日竣工。
別に地鎮祭(10/31)、新築祝(12/12)を実施
成果物

『アイヌ生活文化再現マニュアル 建てる—祖先の時代のチセづくり—』ビデオ(60分)、書籍60ページ(PDF版)(2000年3月、アイヌ文化振興・研究推進機構)=以下「マニュアル」と略す。

 

2.『蝦夷生計図説』との対照と検討

 

蝦夷生計図説 マニュアル1998
シリカタカルの図 シリカタカラ(地組)の図
▲写真2a 扠首(サス)を立て並べる ▲2b 桁・梁と三脚(ケトゥンニ)
 
  ▲2c 三脚に隅垂木と棟木が加わる
 
  ▲2d 母屋の屋根組完成
原文

口語意訳

前に図したるものみな備りてより家を立るにかかるなり

先つ初めに屋のくみたてをなす事図の如し是をシリカタカルと称すシリは下の事をいひカタは方といはんか如しカルは造る事をいひて下の方にて造るといふ事なり

以上に図示(木材、縄等=引用略)したものをすべて準備してから家を建て始めます。
まず初めに屋根を組み立てます(写真2)。
これを「シリカタカラ」と言います。シリは「下」、カタは「方」、カラは「造る」、つまり「下の方で造る」ということです。※sirka-ta-kar(地上・で・作る)

これは夷人の境萬の器具そなはらすして梯とふの製もたた独木に脚渋のところを施したるのみなれば高きところに登る事便ならす

まして 本邦の俗に足代なといふ物のごときつくるべきよふもあらす

アイヌの地には道具が十分ではなく、梯子のつくりもただ一本の木に足掛かりをつけただけなので、高いところに登るには不便です(写真3)。

ましてわが国でいう「足場」を作って用いるようなこともありません。

▲写真3a 倉にかけた梯子(参考) ▲3b 倉にかけた梯子
原文

口語意訳

然るゆへに柱とふさきに立るときは屋をつくるへきたよりあしきによりて先つ地の上にて屋のくみ立をなしそれより柱の上に荷ひあくる事也これ屋の下の方にて造れるをもてシリカタカルとはいふ也

そのため、柱を先に立てると屋根を造るのに不便です。そこでまず地上で屋根を組み立て、それを柱の上に担ぎ上げるのです。これを屋根を下の方で作ることからシリカタカラと言うわけです。

右屋のくみたて調ひ荷ひあくる斗りになして置て其大小広狭にしたかひて柱を立る事後の図のことし 以上、屋根の組み立てが済み、担ぎ上げるばかりにしておいて、その寸法に合わせて柱を立てることは後図(写真4a)の通りです。
検討

⑴ 屋根の二脚(サス)構造と三脚(ケトゥンニ)構造

「屋根を地上で先に組み立てる」点では同じですが、図説が二脚の丸太を並列させて屋根の骨格としているのに対し、マニュアルでは三脚を二つ並べ、そこに部材を足して骨格にしました。前者はサス(扠首)構造、後者はケトゥンニ構造と呼ばれ、鷹部屋福平『アイヌの住居』(1943)等主要な文献の多くは、この三脚構造こそアイヌの住居の特徴であるとしています。ただしこの図説が示すように、実際にはどちらもあったようです。

 古い白老のチセ建設の写真でもこの三脚構造は見られるので、マニュアルではこれを踏襲しました。

 二脚だと最初は倒れないように支えの杭などが必要で、図説にもそれが見えますが、三脚は自立するので便利です。一方、三脚の分だけ重量が増えますので、後でチセプニすることを考えると不利に働きます。

⑵ 道具と足場について

 図説では、地上で屋根を造る理由を道具と足場に求めていますが、全く同感です。

 足場に関しては、写真6に新旧の足場が見えます。1997年のポロチセ建設など、当館の従来のチセ建設では、金属製の組立て式足場(ビティ足場)を使っていますが、これだと堅牢かつ簡便で、高所作業の不便は感じませんが、図説に見える足場は軒先に板をくくりつけただけの貧弱なものです。まして写真3に掲げた梯子では役に立ちません。

 また道具に関して、1998年に実際にやってみて痛感したのは、ノコギリを使わずにナタやマサカリなど古来の「たたき切る」タイプの刃物で木材を切ろうとすると、地上でなければ極めて難しいということです。シリカタカラ「地組」の必要性は、図説が記す通りでした。

 

蝦夷生計図説 マニュアル1998
トント゜アシの図 トゥントゥアシ(柱立て)の図
▲写真4a トゥントゥアシの図 ▲4b 屋根の四隅に柱穴を掘る
 
  ▲4c 柱を立てる。先端はY字型に削り、桁の受けになっている。
原文

口語意訳

屋のくみたてととのひてよりそれを地上に置て其形の大小広狭にしたかひ柱をならべ立るなり 屋根を組み立てたら、それを地上に置いて、家の形や寸法に応じて柱を並べ立てます。
是をトント゚アシといふトント゚は柱をいひアシは立る事をいひて柱を立るといふ事也 これをトゥントゥアシといいます。トゥントゥは「柱」、アシは「立てる」を言い、「柱を立てる」ということです。※tuntu-asi 柱・を立てる
その柱をたつるに図の如く根のかたを少しく外の方に斜に出して立る事は屋を荷ひ上るの時頭のところよく桁と合ん事をはかりて也 その柱を立てるのに、図のように根元を少し外の方に斜めに出して立てるのは、屋根を担ぎ上げる時、頭のところが桁と合うように考えてのことです。
柱を立る事終りてより屋をになひ上る事後の図の如し 柱を立て終わってから屋根を担ぎ上げます(写真5a)。
検討

⑴柱の形状

 本稿では省略しましたが、図説には、柱は桁を載せるため、先端が元々二股になった木か、あるいはマサカリ等を使って先端にV字型の「受け」を作ることが記されています。この点は新旧写真ともに見えます。

 また、図説ではマサカリを持った男性が根元をとがらせています。これで地面に一層しっかり食い込むわけですが、マニュアルでは湖畔の埋め立て地で地盤が軟弱なことから、地下に基礎(転ばし丸太=木製電柱を使用)を埋め、その上に柱をとがらせずに載せました。

 また、柱の上に人が屋根を担いで載せる場合、高さは自ずと限度があります。マニュアルの写真を見ると、ちょっと高すぎるような気が……

⑵柱の本数

 図説の左の人物は、屋根の四隅だけではなく、長辺の中間点にも柱を立てようとしています。本数が多い方が安定するのは間違いありませんが、マニュアル1998では、チセプニの時点では四隅だけでした。これまたいやな予感が……

⑶柱の外踏ん張り

 図説には、柱を垂直ではなくやや外に開いた形で斜めに立てるとあります。地面には屋根が置いてあり、その周囲に穴を掘りますから、当然屋根の桁梁の四角形よりも、柱穴の四角形の方が大きくなり、自ずと外踏ん張りになります。チセの軸組(柱・壁)には斜材が一切ありませんから、この外踏ん張りが有効と言われています。工程上も構法上も自然で、巧まずして理に適っています。

 一方、⑴で触れたようにマニュアルでは地下に転ばし丸太を埋めたため、斜めに柱を立てると、地下、地表、軒の三箇所でそれぞれ四角形の大きさが異なるので、かなり緻密な計算が必要になります。

 

蝦夷生計図説 マニュアル1998
▼リキタフニの図 リキタプニ(屋根を持ち上げる)の図
▲写真5a リキタプニの図 ▲5b リキタプニ(屋根を持ち上げる)
 
  ▲5c 柱に桁をのせる
 
  ▲5d 柱に屋根をのる
 
  ▲5e 柱を足す
原文

口語意訳

リキタブニと称するはリキタは天上といはんか如しブニは持揚る事をいひて天上に持揚るといふ事なり リキタプニというのは、リキタは「天上」というような意味、プニは「持ち上げる」、つまり「天上に持ち上げる」ことです。※rik-ta-puni 高い所・に・持ち上げる
是は前にいふか如く柱を立ならふる事終りてより数十の夷人をやとひあつめてくみたてたる屋を柱の上に荷ひあくるさま也 これは前述の通り、柱を立て並べることが終わってから数十人のアイヌを雇い集めて、組み立てた屋根を柱の上に担ぎ上げる様子です。
屋を荷ひあくる事終れはそれより柱の根をはしめすへてゆるきうこきとふのなきよふによくよくかたむる事なり 屋根を担ぎ上げる事が終われば、今度は柱の根元をはじめ、全て緩くて動くということがないように、よくよく固めます。
検討

⑴どこまで地上で作るか

 新旧の写真を見てまず目につくのは、図説では屋根の骨組み(木材)だけなのに対し、マニュアル1998ではすでに屋根葺きの一部の工程が済ませてあります。地上の方が作業が楽ですので、持ち上がれば結構なことなのですが、人力で持ち上げるには自ずと重量の限界があります。

⑵持ち上げる人数

 図説には「数十人のアイヌを雇い集めて」とあり、絵には16人が描かれています。一方、マニュアル1998では、報道関係者や撮影スタッフ、見学者はたくさんいましたが、肝心の男手が足りず、急遽呼び集められたらしい半纏姿の女性たちが目立ちます。もはや悪い予感しかしません。

⑶持ち上げる途中で仮に屋根をのせる台

 人数にもよるでしょうが、重量挙げのスナッチのように、一気に柱の上まで上げるのは困難で、文献には用意の「臼」などに一旦載せるとあります。マニュアルの時も臼は使いましたが、それでは当然足りず、丸太の端材や、即席の三脚などを作って支えましたが、折れて二脚になり……

 

蝦夷生計図説 マニュアル1998
キタイマコツプの図 キタイアクプ(屋根葺き)の図
▲写真6a 屋根葺き 板の足場が見える ▲6b 屋根葺き 丸太で足場を組んだ
原文

口語意訳

是は家のくみたてととのひてより屋をふくさま也 これは家の組み立てが終わって屋根を葺く様子です。
キタイマコツプといへるはキタイは屋をいひマコツプは葺事をいひて屋をふくといふ事也 キタイアクプというのは、キタイは「屋根」、アクプは「葺く」ことで、「屋根を葺く」という意味です。
屋をふかんとすれば芦簾あるは網の破れ損したるなとを屋をくみたてたる木の上に敷て其上に前に録したる葦草の中いつれなりともあつくかさねてふく也 屋根を葺くには葦簀(よしず)、あるいは網の破れたものなどを屋根を組み立てる木の上に敷いて、その上に前記のヨシやカヤ等のどれでも厚く重ねて葺きます。
 
  ▲6c 茅葺きの下地となるよしず
こゝに図したるところは茅を用ひてふくさま也 図示したのは茅を用いて葺く様子です。
この芦簾あるは網よふのものを下に敷く事はくみたてたる木の間より茅のこほれ落るをふせくため也 この葦簀あるいは網のようなものを下に敷くのは、組み立てた木の間から茅がこぼれ落ちるのを防ぐためです。
家によりては右の物を用ひす木の上をすくに茅にてふく事ももあれとも多くは右のものを下に敷事なり 家によってはこれを使わず木の上に直接茅で葺くこともありますが、多くはこれを下に敷きます。
こゝにいふ芦簾は夷人の製するところのものなり ここでいう葦簀はアイヌが製作したものです。
網といへるも同じく夷人の製するところのものにて木の皮にてなひたる縄にてつくりたるものなり 網というのも同じくアイヌの製作したもので、木の皮で綯った縄で作ったものです。
すへて夷人の境障壁とふの事なければ屋のみにかきらす家の四方といへとも同しく其屋をふくところの茅をもてかこふ事なり すべてアイヌの地には(室内に)間仕切りなどがないので、屋根だけでなく家の壁も屋根を葺くのと同じ茅で囲います。
其かこひをなすに二種のことなるあり その囲い(壁葺き)をするのに二種あります。
シリキシナイの辺よりビロウの辺まてのかこひは 本邦の藩籬なとのことくにゆひまはして家の四方を囲ふなり

シリキシナイ(恵山)からビロウ(広尾)辺までの囲いは、わが国の垣根などのように結い回して家の四方を囲います。

ビロウの辺よりクナシリ嶋まてのかこひは屋を葺てより其まゝ家の四方にふきおろして囲ふ也 広尾の辺より国後島までの囲いは、屋根を葺いてそのまま家の四方に葺き下ろして囲います。
委しくは後の全備の図を見てしるへし 詳しくは後の全体図を見て下さい。
其茅をふく次第は家のくみたてとゝのひてよりまつ初に四方の囲ひをなしそれより屋をふく事也

その茅を葺く順序は、家の組み立てが終わったら、まず初めに四方の囲い(壁葺き)をし、それから屋根を葺くことです。

 凡屋をふくにつきては其わさことに多くして此図一つにして尽し得へきにあらす別に器財の部のうち葺屋の具をわかちて録し置り合せ見るへし  およそ屋根を葺くにはその技がことに多く、この図一つでは十分ではありません。別に「器財の部」の中に葺屋の道具を載録しているので、あわせて参照して下さい。
 
  ▲6d チセセム(下屋=左)と壁葺き
右の如く屋を葺事終りて其家の右の方に小きさげ屋を作りて是をチセセムといふチセは家をいひセムはさげ屋といふ事なり 以上のように屋根を葺き終わると、その家の右の方に小さい下屋を作ってこれをチセセムと言います。チセは「家」セムは「下屋」ということです。
 さげ屋といふはすへて 本邦の俗語に本屋のつゝきに小き家を作り足すことをさげ屋といふ事なり  下屋というのはすべてわが国の俗語で、母屋の続きに小さい家を造り足すことを下屋といいます。
この家の図の右の方に口のあきてあるは其チセセムを造るへきために明け置事也 この家の図の右の方にある開口部はそのチセセムを作るために開けておいてあるのです。
後の全備の図を見てその造れるさまをしるへし 完成図を見てその様子を確認して下さい。
是にてまつ居家経営の事は終れりこれより後に録するところは全備のさまをしるせるなり これでまず家屋建設の事は終わります。以後は完成図を載録します。
検討

⑴よしず

 当館のポロチセなどでは、古くなった合成繊維の漁網を使っていますが、マニュアルでは文献の通り、よしずを使いました。

⑵屋根葺きと壁ふきの順序

 「家の四方の囲い」と言っているのは、「本邦の藩籬(垣根)のごとく結い回す」と言っているので冬囲いのようにも読めますが、以下の図や前後の文脈から、「壁を垣根を編むのと同じ要領で作る」の意に解釈されます。

 図説では「家の四方の囲い」が先で、屋根葺きはその後と言っていて、絵も壁が先に葺いてあります。マニュアルでは、屋根を先に葺きました。この点は従来の当館の例を踏襲しています。

 

蝦夷生計図説 マニュアル1998
シヤリキキタイチセの図 サラキキタイチセ(ヨシ葺屋根の家)の図
▲写真7a シヤリキキタイチセの図 ▲7b ヨシ葺きの家と付属施設の完成
原文

口語意訳

此図はシラヲイの辺よりビロウの辺にいたるまての居家全備のさまにして屋は芦をもて葺きたるなり この図は白老から広尾辺りに至るまでの住宅の全景です。屋根はヨシで葺いてあります。
是をシヤリキキタイチセと称すシヤリキは芦をいひキタイは屋をいひチセは家をいひて芦の屋の家といふ事なり

これをサラキキタイチセ(ヨシ屋根の家)と言います。サラキは「ヨシ」、キタイは「屋根」、チセは「家」、つまり「ヨシの屋根の家」という意味です。

此辺の居家にては多く屋をふくに芦のみをもちゆ下品の家にてはまれに茅と草とを用いる事もあるなり この地域の住居では多くの場合、屋根を葺くのにヨシだけを使います。質素な家ではまれにカヤと草を用いることもあります。
右二種の製は四方のかこひを藩籬の如くになしたるなり 上記二種の家(カヤ葺きとヨシ葺き)では四方(の壁)を垣根のようにします。
検討

⑴カヤ葺きとヨシ葺き

 本稿では省略しましたが、図説には各地のチセ(家)を大別して、カヤ葺き、ヨシ葺き、笹葺き、木の皮葺きの4種を解説しています。図説によると当地白老はカヤ葺きとヨシ葺きの地域の境目に当たるようです。

 

3.総括

 さて、こうして無事に家は建ったのですが、賢明な読者諸氏はすでにお気づきの通り、伝統的な人力によるチセプニ「家を持ち上げる」の再現は、実は失敗に終わりました。

▲写真8a 人力の限界 ▲8b 重機登場
 
▲8c 映像マニュアル用の「チセプニ」撮影風景

⑴ 軒の高さ

 問題点のいくつかは、すでに上記「検討」の欄に書きました。写真8cは、重機を使ってすでに柱の上にのせ終えた屋根を翌日、撮影用に「今のせました」的な演出を施した場面です。男10人で担いでいますが、台に乗っています。軒が高すぎて地上からは届いていません。もちろん映像の演出的には足もとは映しません。

 一方、その高さから落下した屋根組は、釘も金物も使わず、ヤマブドウの蔓やシナ縄だけの結束でしたが、全く損傷がありませんでした。昔の人の知恵というのは偉大なものです。

⑵ 屋根の重さと持ち上げる人数のバランス

 実際にこの人数で持ち上げてみると、図説のように四方から一度に上げることなど不可能で、辺ごとも難しく、角ごとに柱にのせているうちに大きく傾いて落下しました。つまり屋根が重すぎる、人数が少なすぎる、その両方です。

 その重量と人数の関係に余裕があって、1ステップで一気に持ち上げられるようなら、臼などの上に途中で仮置きする必要はないのですが、全く余裕がないので、ステップ数がどんどん増え、仮置きする台や三脚などを急遽寄せ集めることになってしまったわけです。

 早い段階で中止すれば良かったのですが、報道各社に事前告知し、テレビカメラも回っている中で、誰も中止・延期を指示できる人がいませんでした。「やめる勇気」というやつです。けが人が出なかったことが何よりでした。

⑶ 屋根の重量、必要な人数を計算してみる

 通常の建材はよく乾燥させてありますが(気乾材)、今回の屋根材は生木です(10/26伐採)。手遅れですが、本稿執筆にあたってざっと試算してみました。

①屋根(木材部分) 400kg(気乾材)+含水率(生木70%−平衡20%)=600kg
②ヨシ(一段目) 2.5kg/束×133束=330kg
③その他 下地のスダレ、結束用のヤマブドウ蔓、シナ縄等
①+②+③=約1トン(1000kg)


 18歳以上の男子が取扱可能な重量は、労働省通達では55kg以下と定められています。(注)

1トンの屋根を持ち上げるのに必要な人数は 1000kg÷55kg=18人


 10人では持ち上がらなくて当然でした。①の木材の骨組み(小屋組)だけでも難しいのに、②のヨシ葺きは余計でした。①だけにして、長辺ごとに上げるのであれば、可能だったかも知れません。例えば以下は『アイヌ民族誌』に見える方法です。

⑷ 荷重を分散させる工夫

①柱は四隅だけでなく、長辺の全ての柱を立てておく。また右列の柱はあらかじめ埋め固めておく。
②屋根の右辺を中間点まで持ち上げ、縄や臼などで仮置きしておく。
③屋根の左辺を左列の柱の上に載せる。
④右辺を右列の柱の上に載せ、調節の上、柱の根元を踏み固める。
  ▲チセプニの別の方法(CG作成:筆者)

 

 

4.終わりに

 あれからすでに19年。「マニュアル事業」と銘打って実施した事業で、多くの成果もありましたが、特にチセプニに関しては悔いの残る結果となりました。ただ、アイヌの伝承が一旦途切れた分野について、文献を元に復元してみるというのは、建築に限らず、アイヌ文化関連の多くの事業に共通しており、その過程で試行錯誤は避けられません。この経験が将来に生かされることを期待しています。

 

(注)労働省通達より
イ  満18歳以上の男子労働者が人力のみにより取り扱う重量は、55kg以下にすること。また、当該男子労働者が、常時、人力のみにより取り扱う場合の重量は、当該労働者の体重のおおむね40%以下となるように努めること。
ロ  イの重量を超える重量物を取り扱わせる場合には、2人以上に行わせるように努め、この場合、各々の労働者に重量が均一にかかるようにすること

 

参考資料

アイヌ文化振興・研究推進機構 2000:『アイヌ生活文化再現マニュアル 建てる—祖先の時代のチセづくり—』ビデオ(60分)、書籍60ページ(PDF版

アイヌ民族博物館 1998:『アイヌ民族博物館公開シンポジウム アイヌのすまいチセを考える』

鷹部屋福平 1943:『アイヌの住居』彰国社

村上貞助 [著]、秦檍丸 撰、間宮倫宗 増補 1990(1823):『蝦夷生計図説』北海道出版企画センター。

安田益穂1998:「ポンチセ(小さい家)建築速報—チセプニ(屋根を持ち上げる)初挑戦」『アイヌ民族博物館だより第40号』アイヌ民族博物館

 

 

 

[ポロトコタン私史 バックナンバー]

1.樹齢20年のカツラ 2017.1

2.1996-1997 チセ火災と再建の3カ月 2017.2

3.アイヌ民族博物館デジタルアーカイブのいま 2017.6

4.コタンのデジタル事始め 2017.9

 

[トピックス バックナンバー]

1.「上田トシの民話」1〜3巻を刊行、WEB公開を開始 2015.6

2.『葛野辰次郎の伝承』から祈り詞37編をWEB公開 2015.9

3.第29回 春のコタンノミ開催 2016.5 

4.アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブを公開 2017.5

5.必携書が身近に! 萱野、田村両アイヌ語辞典をネット配信 2017.7

 

 

【儀式見学の予備知識 バックナンバー】

1.式場とマナー 2016.6

2.祭神⑴ 家の神々 2016.7

3.祭神⑵祭壇の神々 2016.8

4.儀式の日程と順序⑴開式まで 2016.9

5.儀式の日程と順序⑵開式からの流れ 2016.11

 

[資料紹介]バックナンバー

1.映像でみる挨拶の作法1 2015.10

2.映像でみる挨拶の作法2「女性編」 2015.11

3.映像で見るアイヌの酒礼 2016.1 

4.白老のイヨマレ(お酌)再考 2016.3

 

[今月の絵本 バックナンバー]

第1回 スズメの恩返し(川上まつ子さん伝承) 2015.3

第2回 クモを戒めて妻にしたオコジョ(川上まつ子さん伝承) 2015.4

第3回 シナ皮をかついだクマ(織田ステノさん伝承) 2015.5

第4回 白い犬の水くみ(上田トシさん伝承) 2015.7

第5回 木彫りのオオカミ(上田トシさん伝承) 2015.8

 

 

 

 

 

《図鑑の小窓29》植物のアイヌ語名から読み取れること

 

 文・写真:安田千夏

 

 初夏の頃、山地や林内でひっそりと可憐に花を咲かせる野草ツバメオモトのアイヌ語名は「フッポクシムン(トドマツの下に生える草)」といいます。文字通りトドマツ林の林床にツバメオモトの花を見つけると、アイヌの先人もこんな景色を見て名前をつけたんだなあ、と嬉しくなります。

▲写真1 ツバメオモトの花

 あるときこんな質問が寄せられました。ユクトパキナ(フッキソウ)の意味を分解すると「シカの群れ草」となります。この方は「フッキソウをシカが食べているところを見たことがありません。アイヌの方が嘘をつくはずがないと思うのですが…」と悩んでおられました。しかしよく名前を見てください。名前の中には「〜を食べる」を意味する単語はなく、植物アイヌ語名全体を見渡しても「(特定の)生物が食べる」ことに由来する名前は一例も見出すことができません。そうである以上「食べる」に固執する理由はなく、例えばフッキソウは群生する性質がありますので「シカの群れ(のように群生する)草」という解釈も可能なのではないかと思います。植物をよく観察してこそ名前の本来の意味に近づくことができるような気がするのです。

▲写真2 群生するフッキソウ

 リヤハムシ、あるいは少しなまってレハムシ「越冬して葉がつく」という植物名はキバナシャクナゲ、ツルマサキ、エゾユズリハ、ゴゼンタチバナといういくつかの植物につけられています。植物に詳しい方はもうおわかりでしょうけれど、どれも冬でも青々とした葉をつける、常緑の植物です。こんなふうにその植物を見なくても特徴をずばり言い当てられることもありますので、そんな時はアイヌ語の勉強をしておいてちょっと得をしたなあ、と思ってしまうわけなのでした。

▲写真3 ゴゼンタチバナの花(「アイヌと自然デジタル図鑑」より)

 「意味がわかる名前」を見て行くと、ある程度は名づけに傾向があり、大まかに分類すると以下のようになりました。(注1

1. 利用法に由来する名
          例)チマキナ(ウド)「かさぶた草」傷の治療に用いる。
            オトンプイキナ(クサノオウ)「お尻の穴草」痔の治療に用いた。
            アイカンニ「矢を作る木」矢柄を作った。

2. 分布に由来する名
          例)マサロルンペ(エゾスカシユリ)「海辺の草原にあるもの」
            ペッパウシ(ヤラメスゲ)「川の縁に生える」
            コトルシニ(コシアブラ)「(山の)斜面に生える木」

3. 目立った特徴に由来する名
          例)フラルイムン(カリガネソウ)「においがきつい草」マジでクサい。
            アユシニ(タラノキ)「とげのついた木」枝がトゲトゲ。
            ラプシニ(ニシキギ)「翼のついた木」小枝にコルク質の翼が。

4. 色に関する名
          例)フレプ(エゾイチゴ)「赤いもの」
            クンネエマウリ(クロイチゴ)「黒いイチゴ」

5. 生物の名がついた名
          例)チカッポペロ(コナラ)「小鳥のミズナラ」
            セタプクサ(スズラン)「犬のギョウジャニンニク」(注2
            トゥナフカイキナ(ヒカゲノカズラ)「トナカイ草」樺太方言。

6. 地名がついた名
          例)マンチウキナ(チシマフウロ)「満州の草」樺太方言。
            ヌチャトマ(ジャガイモ)「ロシアのイモ」樺太方言。(注3

7. 日本語に由来する名
          例)ミチパ(ミツバ)
            マタタンプ(マタタビ)

 こんなふうに分解してなるほどと納得がいく名前がある一方で、ランコ(カツラ)、スンク(エゾマツ)など、名がついた理由はよくわからないというものの方が数が多く、全体の半数以上あります。それは日本語名の例でサクラの語源を考えてみても「不明」または「諸説ある」としか言いようがないのと同じなのですが、なぜかアイヌ語名に関してだけは「分解するとどうなりますか?」と厳しく追及されてしまう傾向があります。それは「頑張ってそのまま覚えてください」としか言いようがないというのが実情なのでした。

(注1)特に断っていない場合は北海道方言です。
(注2)見た目の似た種がある場合に、区別する意味でセタ(犬)をつけることがあるようです。穀物の場合には「食べられない」という意味を兼ねているようで、これは日本語名でイヌビエと言ったりするのと似た傾向です。
(注3)ジャガイモは、北海道方言ではコソイミ(←ゴショイモ)、エモ(←イモ)など日本語系の名前が採録されています。

参考文献・データ
宮部金吾・三宅勉『樺太植物誌』樺太庁(1915年)
知里真志保『分類アイヌ語辞典 植物編』日本常民文化研究所(1953年)
アイヌ民族博物館『アイヌと自然デジタル図鑑』(2015年)
アイヌ民族博物館『アイヌ語アーカイブ』(2017年)

 

[バックナンバー]

《図鑑の小窓》1 アカゲラとヤマゲラ 2015.3

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《図鑑の小窓》4 ケムトゥイェキナ「血止め草」を探して 2015.7
《自然観察フィールド紹介2》ヨコスト マサラ ウトゥッ タ(ヨコスト湿原にて) 2015.8

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《図鑑の小窓》6 シマリスとエゾリス 2015.10
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《図鑑の小窓》8 カッケンハッタリ(カワガラスの淵)探訪 2015.12

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《図鑑の小窓》12 ハスカップ「不老長寿の妙薬」てんまつ記 2016.4

《図鑑の小窓》13 冬越えのオオジシギとは 2016.5

《図鑑の小窓》14「樹木神の人助け」事件簿 2016.6

《図鑑の小窓》15 アヨロコタン随想 2016.7

《図鑑の小窓》16「カタムサラ」はどこに 2016.8

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《図鑑の小窓》25 トゥレプ(オオウバユリ)とトゥレプタチリ(ヤマシギ) 2017.7

《図鑑の小窓》26 オロフレ岳と敷生川のミヤマハンノキ 2017.8

《図鑑の小窓》27 ムクという名の野草について 2017.9

《図鑑の小窓》28 ヤイニ ヤクフ(ドロノキの役目) 2017.10

 

 

 

 

《アイヌの有用植物を食べる 6》 チョウセンゴミシとホオノキの実

 

 文:新谷裕也

 

はじめに


 風もすっかり冷たくなり、実りの秋が終わり、もうすぐ寒い冬が訪れようとしています。今年の秋も山にはたくさんの木の実がなっており、私たち人間だけでなく、様々な動物もその実を採取し、越冬する準備をしています。今回紹介する植物は、この季節に採取する果実、チョウセンゴミシとホオノキの実です。

 

1.概要

 

1-1.チョウセンゴミシとは

 

▲写真1:チョウセンゴミシ

 チョウセンゴミシはマツブサ科のツル性植物で、秋に赤くて小さな果実をつけます。名前のゴミシとは、漢方名「五味子」で、甘味、酸味、辛味、苦味、塩味の5つの味がすることからつけられました。この果実はそのまま生食しますし、咳の不調の薬や強壮作用があるとされていて、生薬としても使われます。

 アイヌ語ではレプニハッまたはフレハッといいます。アイヌ文化でも果実を生食します。風邪の時はツルをせんじた汁を飲み、目が悪いときはせんじた汁で目を洗いました。おかゆの中に入れたという地域もあります。また、ツルはかんじきの材料にもなりました。樺太ではシャーマンが叩く太鼓のばちにも、このツルを使ったと言います。また、ツルを輪にしてお風呂に入れて薬湯にしたという話もあります。(知里1953、アイヌ民族博物館2015)

 

1-2.ホオノキとは

 

▲写真2:ホオノキの葉 ▲写真3:ホオノキの実

 

 ホオノキはモクレン科の樹木で秋に穂のような実をつけます。とても大きな葉が特徴の木で、和人文化では木材を下駄の材料に使ったり、葉には殺菌作用があるとされて、朴葉寿司や朴葉餅などに使われます。また、落ち葉となった後も、比較的火に強いため味噌や他の食材をのせて焼く朴葉味噌、朴葉焼きといった郷土料理に使われます。果実や樹皮は生薬として利用されてきました。

 アイヌ語名はプシニやイカヨプニと呼ばれ、プシやイカヨプという矢筒を作るときに使います。加工しやすい性質の木なので、他にも小刀のさや、杓子、槍の柄といった様々な道具の材料にしました。この果実を煎じたものは、お茶のようにして飲み、リウマチや神経痛、婦人病の薬としたそうです。(更科1976)

 

2.採取


 前述したとおり、チョウセンゴミシとホオノキの実はとても体に良いとされており、薬のように利用されてきました。どちらの実も乾燥させることで保存することができます。なので、季節を問わずにいつでも利用することができました。

 チョウセンゴミシの実は5つの味がするので、とても複雑です。最初は甘く、だんだん塩味と酸味が強くなっていき、辛味、苦味が最後にくるという実もあれば、最初から酸味、塩味が強くて、最後は甘くなるとか、甘味がなく苦味や辛味が強くて不味い実も、甘味が強くて苦味や辛味がない美味しい実もあるので、実によって味が一定していないとても面白い植物です。お湯でせんじると酸味が強いお茶になります。

 ホオノキの実は生食できないのですが、せんじると、とても爽やかで良い香りがします。味はほぼ無味に近いですが、香りが良い紅茶のようでとても美味しいです。アイヌ文化の中では様々な植物をお茶にしますが、筆者はホオノキの実のお茶が一番好みです。

 

3.調理


 調理と言っても、今回はお湯で煮出すだけなので、特別なことはしません。チョウセンゴミシの実とホオノキの実があれば誰でもおいしいお茶を作ることができます。

 

3-1.材料


・チョウセンゴミシの実、ホオノキの実
・お湯

①乾燥させる

 実を入手したら、まずは乾燥させます。ざるに新聞紙を敷き、その上に乗せて風通しが良い場所に置いておくだけで簡単に乾燥します。乾燥するとチョウセンゴミシの実はしおしおになり、ホオノキの実は色が茶色くなってきます。

▲写真4:乾燥したチョウセンゴミシの実 ▲写真5:乾燥したホオノキの実

 

②お湯で煮出す

 乾燥したら鍋で煮出します。チョウセンゴミシの実は煮ていくと、水がだんだん赤っぽくなっていきます。ホオノキの実は、水が茶色くなっていき、良い香りがしていきます。色が濃くなってきたら完成です。

▲写真6:お湯で煮出しているチョウセンゴミシの実 ▲写真7:お湯で煮出しているホオノキの実
▲写真8:チョウセンゴミシの実のお茶 ▲写真9:ホオノキの実のお茶

 

 

3-2.味


 チョウセンゴミシの実のお茶は酸味が強く、さっぱりとした味でとてもおいしいです。香りはレモンティーのようで、飲むと体が温まります。ただ、結構酸味が強いので、すっぱいものがだめな人は苦手かも知れません。
 ホオノキの実のお茶は本当に香りが良いですが、かすかに甘味があるだけでほぼ無味です。ハーブティーが好きな人は飲めると思いますが、嫌いな方は苦手かもしれません。体を温めてくれるので、冷え症の方は飲むと良いかも知れません。

 

おわりに


 今回紹介したチョウセンゴミシの実のお茶は、果実を入手して作らなくても、砂糖が足されたパウダースティックタイプのものや果実を乾燥したものが市販されています。ホオノキの実も乾燥した果実や樹皮が市販されていますので購入できます。どちらの果実もとてもおいしいので、機会がありましたら飲んでみてください。

 今回はおもにお茶にして飲む植物を紹介しました。アイヌ文化の中では今回紹介したチョウセンゴミシやホオノキの実以外にも、様々な植物をせんじてお茶のようにして飲む習慣があります。アイヌのお茶として有名なナギナタコウジュ(アイヌ語名セタエント)も体に良いとされていたので、秋に収穫してから乾燥して保存し、1年中お茶やおかゆに使えるようにしておきました。これからも、今回のように食べる植物だけではなく、お茶にして飲むと体に良い植物も紹介していきたいと思います。

参考文献・データ
・知里真志保『分類アイヌ語辞典 第1巻 植物篇』日本常民文化研究所(1953年)
・更科源蔵、更科光『コタン生物記Ⅰ樹木・雑草篇』法政大学出版局(1976年)
・アイヌ民族博物館『アイヌと自然デジタル図鑑』(2015年)

 

[バックナンバー]

《伝承者育成事業レポート》イパプケニ(鹿笛)について 2017.1

《アイヌの有用植物を食べる》1 オオウバユリ(前) 2017.6

《アイヌの有用植物を食べる》2 オオウバユリ(後) 2017.7

《アイヌの有用植物を食べる》3 ヒメザゼンソウ 2017.8

《アイヌの有用植物を食べる》4 ヒシ 2017.9

《アイヌの有用植物を食べる》5 キハダ 2017.10

 

 

 

 

 

《第3期伝承者育成事業レポート》イヨマンテでの祈り詞(平取地方)その12


 文:伝承者(担い手)育成事業第三期生一同(木幡弘文、新谷裕也、中井貴規、山本りえ、山丸賢雄)、北原次郎太(講師)

 ここに掲載するものは、名取武光氏が記録したイヨマンテの祈り詞です。名取氏の論文「沙流アイヌの熊送りに於ける神々の由来とヌサ」(『北方文化研究報告 第4輯』、1941年、北海道帝國大學)には、仔グマを連れ帰った場面からイヨマンテを終えるまでの一連の祈り詞54編と、その意訳が収録されています。名取氏の同論文は、1941年に最初に発表され(戦前版)、その後1974年に著作集『アイヌと考古学(二)』に収められました(戦後版)。著作集収録の際、浅井亨氏がアイヌ語の校正をしており、一部解釈や表記が変わりました。

 第3期「担い手」育成研修では、2016年1月頃からアイヌ語研修の一環として、これらの祈り詞の逐語訳に取り組みました。和訳にあたっては、新旧のアイヌ語原文を比較しましたが、ここでは戦前版での表記とアイヌ民族博物館で用いられている表記法(辞書で引けるような表記)で書いたものを並べ、戦後版については必要に応じて引用しています。なお、原典では改行せずに書き流していますが、ここでは、一般的な韻文の形式で、一行と考えられる長さごとに改行しています。それぞれの最後に、名取武光氏による意訳をのせています。

 今回は、そのうち33、34、35を掲載します。 (→その1 →その2 →その3 →その4 →その5 →その6 →その7 →その8 →その9 →その10 →その11

 参照した辞書の略号は次の通りです。

【太】:川村兼一監修、太田満編、『旭川アイヌ語辞典』、2005、アイヌ語研究所
【萱】:萱野茂、『萱野茂のアイヌ語辞典 [増補版]』、2002、三省堂
【久】:北海道教育庁生涯学習部文化課編、『平成3年度 久保寺逸彦 アイヌ語収録ノート調査報告書(久保寺逸彦編 アイヌ語・日本語辞典稿)』、1992、北海道文化財保護協会
【田】:田村すず子、『アイヌ語沙流方言辞典』(再版)、1998、草風館
【中】:中川裕、『アイヌ語千歳方言辞典』、1995、草風館

 

33)Shumaukongami 仔熊を休ませる祈詞

 

戦前版の表記 新表記 和訳
Kukoroheperepo ku=kor heperpo 私の仔グマよ
taneanakne tane anakne 今は
eeyairayep e=yayrayep 貴方が望んだこと
neyakusu ne a kusu であったので
pirkashinot pirka sinot 良い遊びで
esiramyeyara e=siramyeyar 人々から讃えられ
koramushinne koramusinne 私も安心を 
akikusu a=ki kusu[1] したので
eashirikatu easir katu いよいよ貴方の姿を
cikokannakara cikokannakar 元通りにすることを
aekarakarakusu a=ekarkar kusu するつもりで
neruwetapan. ne ruwe tapan. ありますよ。 
[1] 「pirka sinot e=siramyeyar koramusinne」「(仔グマが)神らしい良い遊び方をして、何事もなく終わり、主催者側として安心した」ということを表現している、と解釈した。(中井)

 

33.名取意訳
 仔熊よ、今迄は、子供の様に可愛がって飼っておいたけれども、習慣だから、今もとの体に直すために一息骨を折らせたのである。御苦労であったから、少し休んで下さい。

 

 

 

34)Paseongami(kamuihuchi-ko-itak) 主神祈(一、火の神への祈詞)

 

戦前版の表記 新表記 和訳
Ireshukamui iresu kamuy 育ての神よ、
tapantonoto tapan tonoto これなるお酒、
inauturano inaw turano イナウとともに、
inauukkamui inaw uk kamuy イナウを受け取る神に、
eetukiukute e=etukiukte あなたが酒杯を渡し
taneanakkune tane anakne 今や
inauturano inaw turano イナウとともに、
inauukkamui inaw uk kamuy イナウを受け取る神に、
eeimekkushite e=eimek kuste 貴方がお裾分けを分配し
hobitaruwe hopita ruwe それも終えた
sekorayakun sekor an yakun と言うことであれば、
tanporoinau tan poro inaw この大きいイナウに
tanporotuki tan poro tuki この大きい酒杯を
hotamukihine kotamke hine そえて、
medotushikamui metotuskamuy クマの王の神に、
eetukiukute e=etukiukte 酒杯を渡して
kinankonna ki nankor_ na. くださいませ。

 

34.名取意訳

 火の神様、このお酒と木幣とを、夫々神様に上げて安心しました。まだ最も貴い、熊神の大神(Medotushikamui)に差し上げる酒と木幣、それはアイヌの言葉で神様へ納めるものでなく、何でも火の神様、貴方からの言葉で、神様に上げる様にお願い申します。

 

 

35)Paseongami(2.medotushikamui-ko-itak)
主神祈(二、熊の大神に告げる祈詞)

 

戦前版の表記 新表記 和訳
Tanporoinau tan poro inaw, この大きいイナウ、
kikeushipashui kike us pasuy 削りかけのついたパスイと
tonototura tonoto tura トノトと共に
medotushikamui metotuskamuy クマの王の神に
aekoongami a=ekoonkami 拝礼する
ikikorokatap iki korka tap ものだけれども
inauporokusu inaw poro kusu イナウが大きいので、
hoshikiinauashiyakka hoski inaw a=asi yakka 先にイナウだけ立てるとも
tonototura tonoto tura 後から酒も添えて
medotushikamui metotuskamuy クマの王の神に
aekoongami a=ekoonkami 拝礼する
kishiritapan. ki siri tapan. ものですよ。

 

35.名取意訳
 これは今の熊送りの酒であるから、大幣と小幣二つと、一緒に酒をあげるべき所であるけれども、我一人で一緒に持ってきて上げる事が出来ませんから、先に大幣と小幣とを、幣掛(Tubasan)に立てるけれども、酒も一緒に差上げるのであるから承知して下さい。

 

 

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その1 2016.12

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その2 2017.1

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その3 2017.2

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その4 2017.3

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その5 2017.4

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その6 2017.4

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その7 2017.6

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その8 2017.7

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その9 2017.8

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その10 2017.9

イヨマンテの祈り詞(平取地方)その11 2017.10

 

 

 

 

 

 

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