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アイヌの歴史と文化アイヌの歴史と文化(概説)

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狩猟

■獲物

 主な獲物は、獣類ではヒグマ、エゾシカ、ウサギ、タヌキ、キツネ、テンなどであり、特にエゾシカは重要な食料資源でした。毛皮も衣服の材料や交易品として重要でした。

 鳥類では、オジロワシ、オオワシ、ワタリガラスなどをはじめ、様々な種類の鳥を獲りました。

■猟の方法

 クマ猟では、雪解け前に、まだ冬眠中のクマを獲る「穴熊猟」が最も一般的でした。犬を連れ、気の合った者数名で山に入ることが多かったといわれます。家を出る前には、火の神、家の守り神に、豊猟と猟の安全を、山にいる狩猟の神に伝えてほしいと祈りました。

 夏期のクマ猟には、仕掛け弓が用いられました。

 シカ猟には、弓矢のほかに罠や仕掛け弓が用いられました。そのほか、海や川に追い込んで弓を射たり、集落総出でシカを断崖から追い落とすなどの狩猟法もあったといわれています。

■毒

 仕掛け弓の矢の先にはトリカブトの根茎からとった毒を塗りました。毒はスルクと呼ばれ、その製法は各家ごとに伝わり、秘伝とされていたようです。効力を強めるために、イケマの根茎、ザトウムシ(アシダカグモ)、獣の胆などさまざまなものが混合されました。

弓矢による狩りの様子

仕掛け弓(『蝦夷島奇観』)

 

漁労

 漁労は狩猟と並ぶ重要な生業でした。アイヌの集落の多くは、サケやマスが遡上する河川流域や海浜に立地していました。

■川漁

 夏のマス漁、秋のサケ漁が代表的ですが、イトウやウグイ、その他の小魚も獲りました。マレクとよばれる突き鉤で一匹ずつ獲ったり、川をせき止めて遡上した魚を獲ったりしました。ネマガリダケやヤナギの細枝で円錐形の落とし籠を作り、水中に仕掛けることもありました。

■海漁

 長さ3~4メートルの船を操り、銛(もり)でメカジキやマンボウを獲りました。網を使った漁では、さまざまな種類の魚が獲れました。

 オットセイ、アザラシ、イルカ、クジラなどの海獣猟も行われ、特に噴火湾では、オットセイ、クジラ猟が盛んでした。

 

漁労

マレクによる川漁の様子

採集


■山菜

 アイヌにとって、野山にある植物は重要な食料でした。

 春3月から5月にかけては、ギョウジャニンニク、フキ、ヨモギ、アマニュウ、ウド、ハナウド、ニリンソウ、ワラビ、ゼンマイ、ヤブマメ、エゾエンゴサクなど、夏6月から8月にかけては、オオウバユリ、クロミノウウグイスカグラ(ハスカップ)、ハマナスなど、秋9月から11月にかけては、エゾノリュウキンカの根、クリ、クルミ、ドングリ、ヤマブドウ、サルナシ(コクワ)、キハダ(シコロ)の実、ヒシの実、キノコ類などを採りました。

 これらの採取は、主に女性の仕事だったといわれます。採る植物によってさまざまな種類の道具を使いました。

■薬草

 いろいろな薬草を採取し用いていたことが知られています。喘息や化膿止めに用いるキハダ、咳止めに用いるチョウセンゴミシ、腹痛の時に用いるキンミズヒキをはじめ、多種多様な植物が利用されてきました。

ギョウジャニンニク

ギョウジャニンニク

シケレペ(キハダの実)

農耕


 ヒエ、アワ、キビを中心とする穀物のほか、ソバ、マメなども栽培されていました。穀物は、儀式に使う酒の材料としても重要でした。

 江戸時代になり、和人社会の影響が強くなると、ジャガイモ、ダイコン、ネギ、キュウリなどの野菜も栽培されるようになりました。

耕作

農耕の様子

北海道白老郡白老町若草町2丁目3番4号 一般財団法人アイヌ民族博物館

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