アイヌ民族博物館
 

表紙

グラビア

目次
表・図・写真図版番号
例言(凡例)
緒言

I
準備−酒・供物づくり
準備−用具づくり

II
酒漉し

III
家に祀る神の着物替え

IV
前夜祭

V
本祭り

VI
祖霊祭

VII

終わりに
  奥付
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緒言

1.イヨマンテ実施に至る経緯

 かつて伝統の時代に、全道の各地に散在するコタンでは盛大なイヨマンテが行われていた。狩猟採集の民であったアイヌにとって、イヨマンテはコタンのイヤーサイクルの中で重要な位置を占めていた。山で猟をして熊を獲ったものが、あるいは山でいただいた仔熊を家で飼うものが、年の明けた1月から2月にかけてその魂を天上の神々の国へ送る儀式を行なっていた。

 だが、明治以降の同化政策によってアイヌの生活文化が急激な変容を受け、言語をはじめ多くの習俗が現実の生活から遊離していったように、年間の最大の儀式であったイヨマンテも次第に行われることが少なくなってきた。それでも、伝統の中だけで生き続けてきた古老たちが健在であった戦前あたりまでは、時折ではあったが古来の慣行にしたがって行われる例もあった。全道的にほぼそうした状況であったが、わたくしども白老では他に比べてまだ少しは遅い時期までそれが行われていたと言えよう。

 他地方に比べ白老は“地の利”に恵まれており、早くから道内外の観光客がコタンを訪れていた。そのような人々に対し有志らがアイヌ民族の解説をしたり、伝統芸能を披露していた。その文化的観光事業の中で、時折ではあったがイヨマンテが古来通りに行われていたのである。その当時の記録は写真にも残されているし、それを直接記憶されている年輩の方々もいる。学術研究の分野で、当時の白老コタンのイヨマンテの事例を紹介した報文もある。

 しかしながら、戦後に至るとこうした儀式そのものがほとんど行われなくなってきた。以前のように、コタンをあげて実施したイヨマンテは白老町では昭和29年の町制施行記念の行事として盛大に行なったのが最後であった。このときはアイヌ文化の観光事業に携わるもの、あるいは他の職業に携わるものの区別なくコタンの老若男女が参加した。その後、映画撮影のために儀式の一部を復元した形で行なったことはあったが、それ以外に本格的なイヨマンテは実施されることがなかった。

 昭和51年に財団が設立されてから、伝承保存事業の一環で財団主催によるイヨマンテが昭和52・53年と55年に行われた。白老コタンにおける最後のイヨマンテから実に20数年ぶりであった。だが、このときは、すでに白老地方に伝わるイヨマンテの方法やその他仔細を知る古老が残念ながら生存しておられなかった。それゆえ、儀式を司る祭主は千歳地方出身のすぐれた伝承者・故栃木政吉翁であった。いきおい、そのやり方はその古老の知る千歳地方の伝承にもとづくものであった。それから、現在までに10年あまりが過ぎている。10年ほどで、世間のアイヌ文化に対する認識と理解は比べものにならないほど高まり深くなってきている。アイヌ自らの民族としての意識も高揚し、文化を担い伝承保存しようという気運も高まってきている。それと同時に、財団もこの10年間で組織体制が大幅に拡充されてきた。事業全体の拡大もさることながら、次代を担う若い職員の数が大幅に増えてきた。このような中で、民族のすぐれた文化を未来永劫にわたって組織的に伝承保存していくためには、どうしても若い世代が直接古老の教えを受け伝統を身につけていく必要性が生じてきた。そうした経緯の下で、財団は昭和63年度にイヨマンテを実施することにしたのである。

2.祭主の決定と事前協議事項

 昭和52・53・55年に財団主催で行なったときと同様、今回も白老地方独自の伝統でイヨマンテを司ることができる古老はいなかった。極端にいえば、アイヌ文化は各地方地方で個性があり、同じ一つの儀式でもその細部に渡る手法にはそれぞれ独自のものがある例が多い。できることなら白老地方伝統のプリ(慣習・習俗)を担うということが理想であるが、現状ではそれは無理なことであった。

 そこで考えたのが、第一に、例えどこの地方のやり方だろうと儀式そのものは大筋で変わりがないのだから、儀式を司る古老の教えにすべてしたがってまず全員が儀式そのものを細部にわたって体験すること。そして、第二には、体験し覚えたことをベースに、可能な限り文献記録や断片的な聞き取りから白老地方のデータを得てそれを次に実施する儀式に応用していくこと。すなわち、次回以降からはなるだけ白老流に近づけて行こうとすることであった。

 それらのことを基本に決め、次に祭主の選定に入った。そこで、財団が白羽の矢を立ててお願いした方は、道東・屈斜路湖畔に在住する古老-日川善次郎翁(79歳)-であった。同翁は道東居住者であるが、日高・沙流川地方振内(旧フレナイコタン)の出身で、ご自身が身につけておられるアイヌ語をはじめ伝統習俗の一切は沙流川流域の文化そのものであった。翁はこれまでイヨマンテを4・5回ほど司祭者として執り行ったことがあったが、その際のやり方はご自身が担う沙流川地方の伝統に即したものだったという。

 ただし、同翁と財団はこれまで親密なつき合いがなかったため、接渉にあたっては同翁と親しい関係にある標茶町郷土館々長・豊原煕司氏にそのパイプ役をお願いした。同氏の事前交渉を得て昭和62年の秋も深まった頃、豊原氏の案内で財団の担当者が翁のご自宅までうかがって儀式の計画を相談し、祭主になってもらう旨を願いでた。翁は若い世代が中心となって伝統を受け継ぐことの重要性を非常に強調され、ご自分の意志を汲んですべての面でサポートしてくれる豊原氏と若干の身内の参加を条件に、財団の申し入れを快諾してくれたのである。

 こうして、12月には財団に翁を招いて、イヨマンテの伝承を志すわたくしども職員と翁との間で打合せを行ない、儀式の一通りの進行内容について確認した後、実施に関して次のことを取り決めた。

 イヨマンテは本来的に、飼育している仔熊の霊魂を神の国に送る儀式であるが、今回は財団で飼っている明け7歳の成獣雄熊を送る。ただし、イヨマンテの内容をすべてきちんと伝承するという目的のために、これを送る方法は飼育仔熊を送る場合と同じ方法で行なうこととする。

 祭主は日川翁。儀式一切の進行・手順はすべて日川翁のやり方通りに行ない豊原・諏訪両氏が直接それをサポートする。

 未経験者の若い世代が翁の指導を仰いでイロハのイから一つずつ集中的に学んでいく関係上、混乱をきたさないためにこの儀式への参加者の範囲を狭める。参加者は翁と翁を手助けする数名の身内の方々(翁の親族)、日頃、財団が格別の協力をいただいている数人の古老・関係者、それに財団役職員のみとし、広く同族の参加を呼びかける案内は出さない。マスコミ報道も一切遠慮願う。

 儀式は翁流のやり方で行なうが、ただし、これに祭る神、祈る対象となる諸々の神、さらに諸々の神に捧げるイナウ(木幣)に関してだけは白老地方のもの──とくに財団内でいま現在伝承しているもの──で行なう。その他、儀式の際に作られる料理・供物各種は、白老地方の伝統のものに加え日川翁夫人のキヨ媼、静内町の織田ステ媼の指導にもとづいてなるべく多くのものを作る。

 本来は祭主以外の長老が行なうべき役割であっても、若い世代が身をもって伝承するというこの儀式の目的のために、その役割は極力若いものに担ってもらう。

 儀式の準備段階から儀式終了に至るまでの行程を、完全復元可能なようにビデオフィルム(業務用の3管式カメラと4分の3インチビデオフィルム使用)、リバーサルフィルムに記録する。祭主が祈るカムイノミ(神への祈り)も高性能のテープ(DAT使用)に録音する。以上の録画・録音の他に、儀式の内容の細部について祭主のコメントをとりながら細かく観察してノートに筆録する。早い機会にそれらをもとに、詳しい報告書を作成して世に公開する。

3.事業参加者と分担

 このイヨマンテの実施にあたっては、次の古老をはじめ、財団に日頃から密なご協力をいただいている関係者、財団役職員全員が参加した。

日川善次郎翁(祭 主) 明治43年生 弟子屈町屈斜路湖畔在住
葛野辰次郎翁(伝承者) 明治43年生 静内町東別在住
織田 ステ媼(伝承者) 明治32年生 静内町豊畑在住
日川 キヨ媼(伝承者) 大正 6年生 弟子屈町屈斜路湖畔在住
野本 亀雄翁(伝承者) 大正 6年生 白老町高砂町在住
上河 テル媼(伝承者) 明治45年生 白老町高砂町在住
松永 タケ媼(伝承者) 明治45年生 白老町高砂町在住
野本ハナエ氏(伝承者) 大正10年生 白老町高砂町在住
野本ヨシエ氏(伝承者) 大正12年生 白老町高砂町在住
野本 リヨ氏(伝承者) 昭和 3年生 白老町高砂町在住
豊原 煕司氏   標茶町郷土館
諏訪 良光氏   標茶町塘路在住
日川 靖子氏   阿寒町在住
日川 キク氏   阿寒町在住
広野トヨ子氏   阿寒町在住
葛野 次雄氏   静内町在住
正美 忠雄氏   (社)北海道犬保存会
合田 克己氏(獣医)   登別クマ牧場
藤村 久和氏   北海学園大学
鶴丸 俊明氏   札幌学院大学
古原 敏弘氏   静内町教育委員会
奥田 統己氏   千葉大学大学院
志賀 雪湖氏   埼玉大学大学院

※以下、財団役職員名は割愛 ※肩書きは実施当時のもの
 なお、儀式の執行にあたっては、儀式全体の統括責任を山丸和幸(事業部長)、進行責任を伊藤裕満(主任学芸員)、料理・供物製作責任を山丸悦子(芸能係長)、用具製作責任を野本正博(解説係員)、写真及びビデオ記録責任を内田祐一(学芸員)がそれぞれ担当した。

 記録された写真は、リバーサルフィルムで合計2,500カット、ビデオフィルムは、4分の3インチテープ(20分用)が46本、2分の1インチテープ(160分用)が6本である。これらはアイヌ民族博物館に保管され、これらのビデオテープを編集して「イヨマンテ-熊の霊送り-」のダイジェスト版が製作されることになっている。

4.本書の執筆

 本書の執筆担当は次の通りである。
山丸 和幸 (緒言)
伊藤 裕満 (I-16~I-17、II、III、IV、V、VI、VII)
山丸 悦子 (I-1~I-15)
志賀 雪湖 (II~VIのカムイノミの対訳)
奥田 統己 (     〃      )

 

本書および翌1990年に実施されたイヨマンテの実施報告書は、復刻合本として再刊されており、通信販売も可能です。

伝承事業報告書2〈イヨマンテ-日川善次郎翁の伝承による-〉

  • 2002.11.30発行
  • B5版294ページ
  • 定価 2,625円

9 イヨマンテ(白老昭和初期)

10 イヨマンテ(白老昭和初期)

北海道白老郡白老町若草町2丁目3番4号 一般財団法人アイヌ民族博物館

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